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無駄に乾いた咳も収まったころ斎藤くんの背に隠されたこといいことに、背中越しにそっと佐藤さんの表情を盗み見る。
二人は私がこんな事態でも全くもって緊迫感を漂わせた空気を変えることはなく、間違いなく当事者なはずなのにどうみても部外者は私のような感じが否めない。
じっと値踏みするような視線に耐えられず、掴んでいた斎藤くんの服を無意識にぎゅっと強く握り直してしまったようで、「大丈夫か」と再び気遣われてしまった。
「別にとって食ったりなんかしないわよ」
私の動きに空気が緩み、佐藤さんも少しばかりバツが悪そうにするが、本日一連の行動をふり返るととてもじゃないがそんなことは言えないと抗議したくなる。
てか今さっきなんて首絞められたからね。
「あんたが、どうして名字を?」
いつもより3割り増しの低い声でそう問う斎藤くんに、心の中で激しく同意の意を示す。
同時に私が階段から落ちた原因が彼女にあることを知っているようで、頭に疑問符が浮かぶ。
その様子が斎藤くんにも伝わったのか、「あんたのことを佐藤が気にかけていたと、雪村からきいた」とそっと教えてくれた。
ああ、そう言えば千鶴ちゃんはあの後大丈夫だったのだろうか。こうして彼がいてくれるのは、きっと千鶴ちゃんのおかげだろう。
この場にいないこと考えると大きな怪我はないであろうことが推測できるが、救護室に私一人が残ったのはきっと千鶴ちゃんも芳しくない状態だから。
目の前で知っている人物が気を失ったら動転してしまうに違いなく、申し訳ないことをしてしまったと彼女の具合が気にかかる。
同じくその場にいたはずなの佐藤さんは、鋭い視線を向けられつつも話し込む体制になったのか、入口近くの壁にもたれかかり腕を組み立つ。
そこまで離れていない位置でまじまじと彼女の事を見たのはこれが初めてだったが、やはりこうやってみると、うん。
改めて確認した一つの事柄がどうしても気になり、再び険悪になりそうな空気に水を差すような言葉を投げかけざるにはいられなかった。
「佐藤さん…身長いくつ?」
その言葉に、斎藤くんと佐藤さんを取り巻く空気がある意味不穏になった気がしなくもないが、悲しいかな、一度気になってしまったことをこのままにはしておけそうになかった。
それに自分でもこの状況で随分と空気を読まない事を言っていることは重々承知している。(いくらなんでも不思議ちゃんではないのでそこは弁明しておきたい)
が、ジャージ姿にも関わらずすらりとしたその姿は、千鶴ちゃんと並んでいた時も相当高低差を感じていたが、こうして立った斎藤くんと並んでも案外変わらず、容姿も合わせるとどこかでモデルか何かをしているのではないかと思ってしまう。
「昨日会ったときから思ってたんだけど」
斎藤くんの問いかけにも私の質問にも何も答えない佐藤さん。
先程までの強気な態度とは裏腹に、一言吐き出された言葉は何処か寂しさを含んでいるように思えた。
「名前は私のこと、わからないのね」
「え…?」
やはり私は彼女に会ったことがあるのだろうか。
"彼女"、に?
「あ…」
「…名字?」
「もしかして、佐藤さん、」
一つだけ、ほんの一瞬過った考えを口にしようと、斎藤くんの服から離れた手を横につき、その背の後ろから出ようとする。
しかし、私の問いは残念ながらドアの向こうから聞こえる足音と同時に、殴りこむような音を立てて飛び込んできた人物の声によってかき消されてしまった。
「名前ー!!大丈夫かー!?」
「おい真崎、静かにしろ!」
「そうですよ真崎先輩。まだ名字さんが寝てたらどうするんですか」
「僕は土方さんの怒鳴り声と山崎くん小言の方がうるさいと思うけどなぁ」
「沖田、お前はとりあえず名前に謝れ」
途端に騒がしくなった室内に、ほとんどなかったはずの頭の痛みが時間遅れでやってきたような気がした。
***
バタバタと駆け寄る凪は私に飛びつこうとしたところを寸のところで斎藤くんに止められる。
たいした痛みがないとはいえ一応怪我人の身、斉藤くんの行動は大変ありがたかった。
「真崎、どうしてここに」
「どうしたもこうしたもお前のところマネージャーが教えてくれたんだよ!名前が階段から落ちたって!」
それに、と私と斎藤くんに向けていた声のトーンを一段落とし、凪は後ろに立つ土方先生たちを通り越し入口近くの一点に視線を向けた。
「きけば"もう一人のマネージャー"が、名前を随分と気にしてる様子だったっていうし」
その言葉に一斉に向けられる視線を平然と受け止める佐藤さん。
普段やる気のない凪の雰囲気の真面目さだけでも一瞬臆するようなものなのに、ここには一応鬼教師で通っている土方先生と厳しさでは生徒一との噂もある風紀委員委員長だっているのだ。(山崎少年も目つきは悪いがこのメンツの中だと年下のためか可愛らしく見えるという補正がかかっている。沖田に関しては言及の余地などない)
私だったら速攻で布団に潜り込んでいることだろう。今現在も私は何も関係ないと言い張りたい心境であるが、この空気の原因の一端は間違いなく自分にある。
普段のにこやかな優等生キャラは何処へ行ったのやら、飄々とした態度とは一変した様子に加え、いくらなんでも女の子に向けるには厳しい態度に自分へと向けられているものではないとわかっていても思わず固唾をのんでしまう。
しかしこの緊迫感も、凪の一言でそれどころではなくなってしまったのだった。
「何でこんなところにいるんだよ、
"あきら"」
…ん?
「"あきら"?」
私と同じ疑問が頭に浮かんだのか、斎藤くんも隣で軽く首をかしげている。…その仕草が個人的にツボだったのは後でアンナちゃんに報告しよう。
「名前に話したことなかったっけ?"あきら"だよ、佐藤"玲"」
私にはけろっとした何時もの調子で答える凪。
いやいや、そんなあきらって紹介されても、わかっているがわかりたくない妙な事態に頭の中が軽く混乱する。
つい先程思い当たった事実と凪の言葉から導き出される答えは一つのはずだが、これはこの場で尋ねていい話なのだろうか。
「玲って…凪のいとこじゃなかったけ?」
「そうそう」
「あのさ、私が聞いてた話だと、」
男の子だったような気がするんですけど、玲くん…。
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