君から広がる世界 | ナノ

 23

この瞬間ほど己の軟弱さを呪ったことはない。


まさか階段から落ちたくらいで意識を失うとは。
いやそりゃ打ち所も悪かったし段数も十数段あったけれども。
それでもこんな何処かの少女漫画ヒロインの如くあっさりと意識を失うまでには至らないに違いない。

徐々に覚醒する意識と共に私が決意したことは、ひとまず受け身の取り方を誰かに教わろうということだった。(まあ次はないことを祈りたいが)

身を起こすと同時にずり落ちる薄い布に、我が身を誰かがこの場まで運んでくれたであろうことを知る。
あの時場にいた千鶴ちゃんだけでは、救護室と思われるこの場まで運ぶことは出来ないだろう。
誰かが駆けつけてくれたのだろうか。
自分がどれほど意識を失っていたのかは定かではないが、打ったであろう頭の痛みはたいしたことがなさそうなため、そう時間は経っていないに違いない。

誰もいない室内に目を配りつつ、先程のことを思い出す。

彼女、佐藤さんは、間違いなく「私」に敵意のようなものを向けていた。
あの後千鶴ちゃんに何か危害が加えられていなければ良いがと思うと同時に、考えれば考えるほど疑問が浮かぶ。

そもそも私と彼女は面識はなかったはずだ。強いて言うなら昨晩ぶつかったときだけ。
記憶をたどっても見覚えもなければ聞き覚えもないその姿。
そして私は、突き飛ばされる瞬間に感じた何かの違和感に、妙にひっかかりを覚えていた。

「・・・てか、あれは故意に突き飛ばされたのか?私・・・」

落ちる際にみた彼女の表情は、何処か驚いているように目を見開いたいたように思う。
暗闇から突然肩を押されそのまま傾いてしまったが、勢いはあれど、突き飛ばすほどの力があの細い身体のどこにあったのだろうか。

「まぁ何れにせよ佐藤さんと話さないと何もわからない、か・・・」

「それは丁度良かった。私もあなたと話したいと思ってたところなの」


鳴る戸の音に顔を上げると、そこには見紛う事なき美少女、噂の佐藤さんが立っていた。

「不用心ね。さっきの今で、あなたを一人にするなんて」

ごもっともな意見に確かに…と思わずため息をつきたくなる。
というか理由は何にせよ気絶した少女に誰か一人くらい付き添ってくれてもよかろう。くっ、これが佐藤さんや千鶴ちゃん級の美少女なら付き添いの一人や二人や三人、むしろ二桁くらいの人が目覚めたときにいてくれるに違いないのに…!それこそが物語のヒロインのはずなのにっ…!…言ってて悲しくなってきたな。

「考え中のところ悪いけど」

「へっ…?」

ぎしりという音が聞こえたかと思うと、上半身だけ起こされていたはずの身体は、背中からあっという間に白い布団へと逆戻りする。
見開いた瞳いっぱいに映るは、彼女の顔。

「え、あの、佐藤さん?」

今の状況が飲み込めず彼女の名を呼ぶしかない私。
何とも情けないことではあるが、しかしこれは予想出来ない事態に違いない。

仰向けに布団に沈んだ私の上には、あろう事か彼女が跨っていたのだから。
顔面左に手をつかれ、その眉目秀麗な貌がぐっと近づけられる。
輪郭をなぞるように滑る指に逃れるように顔を背けるも、悲しいかな横にある腕によって思うように動けない。

「これがねぇ…」

何を確認しているのかは全くわからないしわかりたくもないが、されるがまま硬直する私の頬を数度確かめるように行き来させた後、その指が顎から首へとかかり、さすがの私も冷や汗が伝うのがわかった。

「な…んっ…」

喉元に下りた片手にぐっと力が入れられる。

「どうしてあなたなの?」

「なにっ…が…」

片手とは思えぬ力のかかり具合に呼吸が苦しくなる。
もはや彼女が何を目的としているかは知ったことではない。
今私にわかることは、このままでは間違いなく再び視界がブラックアウトすると言うことである。

しかしこんな状況になっても悲しいことに、私の思考回路は我が身の危険よりも未だ彼女のことばかりが気になってしまう。
次第に浅くなる呼吸の中目の前に広がる彼女の表情はどことなく苦しそうで。
そして女の子にしては高い身長とは思っていたが、その身体が触れることで感じた違和感。

もう少しで何かわかりそうなのに、残念なことに酸素の回らない頭にはこれ以上の働きは期待できそうにない。

「ごめんね、名前」

薄れる意識に離れることのない彼女の手。
瞼を開くことすら出来ない私には、その耳が拾う言葉を脳内に送り込むことがやっとである。



どうして、私の名前ー…




「そこからどくんだ、佐藤」


ヒーローとは彼のような人のことを言うのではなかろうか。
離れて行く手とかかる重みが来訪者によってなくなり、自分の手で喉元をさすり咳き込む。
自分から遠のく彼女と入れ違いになるように近づき、私のをさするのは。

「っ…斎藤くんっ…げほっ…」

「大丈夫か、名字!?」

見たことのないひどく焦った様子の斎藤くんの雰囲気に圧倒され、激しく咳き込みながら人形のようにこくこくと首を縦に振る。
そんな私を支えつつ、彼は私から離れた佐藤さんにじっと視線を送る。

室内は今、言いようない緊迫した空気と、私が発する咳の音が支配していた。




ごほっ…やばい、これはむせたな私。
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