21
翌日。
今度こそ佐藤さん観察ができるかと思いきや、早朝の食堂には剣道部マネージャーの姿はすでになく、いるのは剣道部の選手ばかりだった。何でも彼女たちは彼らよりも早く食事をとり、準備に取り掛かるそうだ。
何て献身的なのだろうか。吹奏楽部にもマネージャーがほしい。ていうか千鶴ちゃんがほしい。土方先生にいったら一日くらい吹奏楽部の方で活動してくれたりしないだろうか。
「千鶴ちゃんはあげられないなー」
脳内で繰り広げていたはずの千鶴ちゃん奪取計画に、背後から突っ込みが入る。
(もしやエスパーかと思いきや正面に座るアンナちゃんに「駄々漏れだったわよ」と言われ、納得。恥ずかしい。)
朝から顔をあわせるなんて何てついていないんだとげんなりした表情を背後の人物に向けると、さも心外だというように「なぁにその表情。僕は会えるの楽しみにしてたのに」と鳥肌が立つような台詞をはかれる。相変わらず我が道を全力で突き進んでいそうな彼は、私の表情とは正反対の、にこにことした食えない笑みを浮かべていた。
「沖田総司…」
「補習ぶりだね、名前ちゃん」
この無駄に広い食堂、剣道部の集団とはテーブル5つ分ほどの距離があるはずなのに、何でわざわざ私のところに来たんだろうか。
「へー朝から納豆定食なんて食べるんだー。よくそんなの食べれるねぇ」
そしてさも当然のように私の隣に座るのはやめてください。
腰を落ち着ける気満々の沖田に、私と同様げんなりした表情をしているアンナちゃん。申し訳なさを抱くも我が身の可愛さ優先に何とか席を立つのを留まってもらい、私とアンナちゃんと沖田総司という通りすがりの人が二度見してしまうような何とも良くわからない組み合わせでの朝食がはじまった。
そういえば二人は面識があるのか疑問であったが、どうやら昔委員会で一緒だったことがあるらしい。何委員会かは定かではないがお互い名前と顔が一致するくらいだと後でアンナちゃんが言っていた。
しかしこんな場面吹奏楽部員はともかく他の部活の人々に見られたら早々にフルボッコ確定である。(まぁそのためのアンナちゃんでもあるのだが。間違っても二人きりで並んでごはんはNG、死亡フラグである)
人の少ない時間に出てきて良かったと思うも、そろそろテニス部の子たちが早朝練習を終える時間。大分人も増えてきたので私の横に沖田がいることに気付かれる前に立ち去るべきだろう。
隣の人物は何か用事があってきたのかと思えば、(一方的に)私に話しかけつつ食事をとるだけである。
激しく剣道部に返品したい衝動に駆られるも、内容の8割方が土方先生の愚痴なため聞いたが最後、私も共犯者に仕立て上げられるに違いない。怖ろしい男である。
普段なら絶対にこれ以上お近づきにはなりたくない人物ではあるが、この状況は無理矢理ポジティブに捉えればある意味チャンスだろう。千鶴ちゃんと佐藤さん、二人について探りを入れるには本人たちがいない方がこちらも都合がいい。
「沖田くん、あのさ」
大方食事が終えた頃、もうこれで話はおしまいというように私から話を切り出す。
彼のことだからおそらく彼女たちの妙な空気には気が付いていることであろう。正直なところ真面目に返答してくれそうな斎藤くんに聞きたいところではあるが、こんなところで妙な天然ぶりを発揮し気付いていない場合があるかもしれない。そうなれば余計な心配をかけるだけである。
ところが沖田は話すだけ話した途端、「ごちそうさま」とあっという間に目の前の食器を重ね合わせたかと思うと、ひきとめる間もなく席を立った。
「…ちょっとっ…!」
まってよ、と慌ててあとを追い続けるはずだった言葉は、残念ながら発せられることはなかった。
追いかける私に気付いた沖田は、手の届く距離に近寄った途端器用に片手でトレイを持ち、あいた腕で私をひいてその唇を耳元に寄せた。
「――――」
「……え?」
それは一瞬の出来事だった。
不意な行動に驚くと同時に、囁かれた言葉に思考回路がフリーズする。
言葉の意味を汲み取れず視線を投げかけるも、彼は相変わらずにこりと食えない笑みを浮かべるだけ。
そしてすぐに手を離し、何事もなかったかのように「じゃあね」と立ち去る沖田を私はただ見送ることしかできなかった。
「ちょっと名前、大丈夫」
「う、うん…」
かたまった私を珍しく心配してくれるアンナちゃんではあるが、そのまま沖田の悪口へと移行したため彼が去り際に残した言葉は私にしか聞こえなかったようだ。
妙にドクドクと脈打つ心臓とは裏腹に、私の背筋にはひやりとしたものが流れる。
なんだ、今のは。
「お、二人とも早いなー」
その後、席へと戻り残りの食事を片付けながら先程のことについて考え込むものの、入れ替わるように現れた凪や可愛い吹奏楽部の面々に囲まれ今日の練習について頭を切り替えざるを得なかった。
千鶴ちゃん達のことも気にはかかるが、今は合宿中。優先すべきは自分たちのことだ。
私は引っかかった言葉を一先ず頭の片隅に追いやり、目下のことに強制的に意識を向けることにした。
「―佐藤さんに近づいたら、だめだよ」
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