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地元にいれば辟易としてくる夏の暑さも、この山奥ではすっかり忘れ去られるほどさわやかな緑と風に囲まれ、私の気分はいつにもまして好調だった。
「名前ー朝食終わったらパート練習の打ち合わせだっけ?」
「そうだよー」
「午後一で全体練習だから…あ、しまった。今日はパート練習の場所変わるんだった。ごめん名前、私先に食堂いってるわ」
「はいはいー私もすぐ行くねー」
朝は眠すぎて頭まわんないと何時もより気持ちローテンションなアンナちゃんを見送り、私も部屋を整え食堂に向かうことにした。
「ちょっとその辺一回りしてからにしようかなー。折角こんなに涼しいんだし」
夏休みが始まってすぐの週末、私やアンナちゃんは今、地元からバスで数時間という距離にある山奥にきていた。正確に言うと、私たち吹奏楽部員は、だ。
そう、今年の夏もまた、数日間にわたる吹奏楽部の合宿が行われているのだった。
私たちがいる施設は薄桜高校が所有する合宿施設で、吹奏楽部に限らず、様々な部活が合宿で使用する場所である。
同時に複数の部活を受け入れられるこの巨大な施設は、現に今も吹奏楽部以外に男女テニス部と天文部が使用しているにもかかわらず、まだ余裕がある。
テニスコートに体育館、グラウンドに武道場、そして防音完璧の練習部屋等々。
普段の学内施設だけでも充実してると感じるが、ここまでくると感動ものだ。
この場所を使わない手はないと毎年この施設を使っているが、くる度に一緒になる部活も異なり(去年は陸上部と新体操部、一昨年は男女バドミントン部に美術部とだった)、違う雰囲気で練習に臨んだり合宿生活を楽しめるのだった。
「おーおー精が出るねぇ」
「…真崎氏、オヤジ臭い」
朝の走り込みをしているテニス部を見つけ観察していると、凪も散歩をしていたらしく私の横に並んだ。
「そういえば、きいたか?クラリネットの1年女子と男テニの1年で昨日めでたくカップル誕生したらしい」
「情報はや!そういえばクラのパトリの子が『青春のオーラがつらい』って昨日の夕飯の時嘆いてた気がする」
その時は一体何があったのかと思ったが、なるほど後輩にあてられたんだな、きっと。
「で、とっても優秀(自称)で中々女子におもてになる真崎氏は今回も大変なんじゃないですか?」
夏合宿のお約束、といえばこの(夏なのに)春めいたイベントであろう。
誰が誰に告白した、とか誰と誰が付き合った、とか。
夏という陽気なだけで浮かれやすいというのに、それが日常生活とは離れた自然に囲まれた合宿場という環境に助長され、毎年毎年青春学園ドラマ定番のイベントが発生するのだった。
特にこの場では、部活内外に問わず普段関わることのない学年や人と交流する機会があるためか、以前から気になっていた人にアタック、というケースもあると同時に『この合宿で惹かれました!』なんていう場合もあるわけで。
気付けばあちらこちらで色恋沙汰の噂が流れているという始末である。
特に告白イベントは必須であり、『付き合って下さい』という告白もさながら、『好きです』という想いを伝えたいだけの人もそれなりにいるようだった。
(あくまで女子生徒の話を聞いた中でですよ。男子は知らない)
幸か不幸か見目だけは上位に分類される凪は、合宿ではやたら部活外の女子から熱い視線を送られるようで、去年はアンナちゃん曰く5人は凪のことを呼び出していたとか。
(そう言うアンナちゃんも去年は(アンナちゃんの性格を)何も知らない陸上部の後輩に告白されていたのを私は知っている)
合宿が始まって3日目ではあるが、明後日戻る予定のテニス部の中にはそろそろ動きだす子もいるのではないだろうか。クラリネットの子と見事お付き合いできることになったなんとか君のように。
「いやー、今回は俺より大変な奴らがいるから何にもないと思うな」
「そんな子いたっけ?そりゃホルン1年の山本くんなんかは私的に凪よりありだと思うけど、アンナちゃんにバッサリ切られちゃったし…」
『あんたの趣味が理解できない』って、私と山本くんに謝ってほしいものである。
「吹奏楽部の中じゃなくてさ、ほら、今日の午後くるだろ」
「え、何が?」
「何って…剣道部だよ、剣道部」
「………は?」
けんどうぶ?
「名前、おまえ昨日の伊東先生の話、絶対聞いてなかっただろ」
「やだな真崎氏、人聞きの悪い。そりゃなんか気付いたら伊東先生におやすみなさいね名字さんって言われてたけどさ」
その前の数分間は記憶がないなんて口が裂けても言えない。
どうやら私が意識を飛ばしていた昨晩に、伊東先生から今日もう一団体合宿に来るという話があったらしかった。
しかもそれは剣道部ということで、先生はそれはもう終始にこにこしていたらしい。
移動した後の食堂での朝食中に凪にざっくりと説明を聞いた私は、伊東先生には申し訳ないができれば練習以外の時間が被らないようにしてほしいと心底思った。
しかしそれは伊東先生に呼ばれた昼食前の時間で、あっさりと否定されることとなる。
***
「……あの、伊東先生、今、なんて…?」
「だからね名字さん。本当に急なんですけれど、私は明日急遽学校に戻ることになったの。ですから、明日から剣道部顧問の土方先生に吹奏楽部のこともお任せすることにしましたからね」
おいおい、俺らもいるんだけどな…ときこえてくる声は最近職員室で見かけたばかりの2人の先生。
その先生の前には、またまた最近見かけることの多かった某古典担当の先生が、伊東先生から心なしか距離をとるように立っていた。
そんな3人の先生の態度を一向に気にかけず、伊東先生は『可愛い吹奏楽部員を残さなければいけない上に土方先生ともすぐに別れなければいけないなんて…!』と流れているかは定かではない涙をハンカチで拭った。
「うぅ…っとにかくそういうことですから。あなたのことだから何の心配もしてないですけれど…土方先生のいうこと、よく聞いてくださいね」
では私は一度部屋に戻りますから今後の活動についてよくお話しになってください…!と顔を押さえながら(演技のようでこれが標準装備)その場を去った伊東先生。
伊東先生に呼ばれたと思ったら、訳も分からず引き合わされたのは剣道部の顧問である土方先生と副顧問の原田先生、それに顧問ではないがOBとして参加しに来たらしい永倉先生の3人だった。
そして説明されたのは先述のとおりである。
どうやら明日から、吹奏楽部は剣道部と一緒に活動することになるらしかった。
「…それにしても、何で剣道部なんですかね」
色々と突っ込みたいことはあったが真っ先に浮かんだ疑問を独り言のように呟くと、それはしっかりと土方先生の耳に入ったようで丁寧にも剣道部で吹奏楽部の面倒をみることになった理由を挙げてくれた。
ただでさえ剣道部が今回は一緒と浮かれる女子が多いというのに、顧問が一緒、つまり練習時間以外の行動時間が同じになることで剣道部側にも多かれ少なかれ支障が出るのだろうにも関わらず、土方先生が首を縦に振ったのは不思議だった。(まぁ生徒のことを考えると横には振れないというのもあるだろうが)
「一つ、剣道部は今日から3泊4日の合宿で終了が吹奏楽部と同じため解散まで面倒が見られる。二つ、剣道部は教師3人に対して合宿に参加している部員が少ない。よって吹奏楽部に時間を割く余裕がある。三つ、これがなかったら絶対に実現なんてしなかったはずだが…名字、おまえ以前伊東先生に『土方先生が吹奏楽部に来たら先生も部員も士気があがりますね』っていったことあるだろ」
「え」
「伊東さんが夏休み前にいってたんだよ。『名字さんのおかげで楽しい合宿になりそうですわ』ってな」
まぁその本人は帰ることになっちまってえらく残念がってたが、と続ける土方先生。
そんな馬鹿な、私が伊東先生に土方先生のことなんて言うわけ…
「あ」
「思い当たること、あるだろ」
以前、夏休みの部活動について話し合うため伊東先生に呼ばれた際、途中で来たアンナちゃんからのお怒りメールの怖ろしさに伊東先生の土方先生トークをひたすら褒めちぎってしまった気がしないこともない。
「…はっ!もしかして今年の合宿日程が何時もより遅いのもこれが理由…!?」
「もしかしてじゃなくて120%これが理由だ。剣道部の合宿日程聞かれたと思ったら、見事にぶち当ててきやがった」
あ、土方先生、いらついてるな。生徒の前で口調荒れてますよ。
「伊東さんの土方さん好きもここまで来るとあっぱれだよなー」
私もそう思います、原田先生。
「というか、土方さん好きもそうだけどよ…名字さんも随分と好かれてるな、伊東さんに」
「…そうですか?」
「いや、伊東さんって良い意味でも悪い意味でも好き嫌いが激しいから…名字さんは信頼されてるんだな」
それは買被りすぎな気がしなくもない。
伊東先生は基本的に自分に好意を持っている人に対しては寛大であるし…
「そういえば、何で名字さんなんだ?こういう話って、普通部長とかにするんじゃねーの?」
「新八も気になったか。伊東さんが信頼してる生徒っつーからどんな奴か俺も気になっててよ。まさか名字とは」
「そうだよな。よく考えたら、吹奏楽部は縁が遠すぎて部長や副部長知らなかったから知ってるやつでほっとしたよ」
「伊東さん率いる吹奏楽部の部長副部長だから相当癖があるやつなんじゃないかって思ってたもんな、俺ら」
「…お前ら、仮にも教師なんだから生徒の前でそんなことペラペラ話すな」
土方先生、ナイスツッコミです。でもそれは先生もでしたけど!
いやいやそこは一先ず置いておき、ここで残りの合宿生活を穏便に済ませるためには"吹奏楽部代表"としてきちんと挨拶をしておくべきであろうか。
相変わらずやり取りを続ける原田先生と永倉先生、そしてそれをみてため息をつく土方先生に向き直り、私は深々と頭を下げた。
「改めまして、吹奏楽部部長の名字名前です。明日から3日間、吹奏楽部一同お世話になります」
…原田先生、永倉先生。
その「げっ」って顔、やめてください。
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