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扉を開けた先に待っていたのは、一応生徒という社会的に未熟な存在を教育するものとして如何なものかと首をかしげたくなるような会話が飛び交う場面だった。
「ちくしょう、宝塚は絶対に6番がくると思ってたのに…穴馬狙ってたのに…!」
「まぁまぁしょうがねぇじゃねえか、新八。今度おごってやるよ」
「くそ、左之はいいよな、複勝でもあたりはあたりだもんな…俺なんて、これに春のレースの負け分を全額取り返そうと投資してたのによ…それなのにっ、それなのに…!」
「まぁそれは負けても懲りずに次で取り返そうとするお前も悪いと思うけどなぁ…」
「ちくしょー!それは勝ち組の言うセリフだぁぁ!」
…私と斎藤くんはこの残念な大人の会話をつっきりその向こうにある土方先生の机に向わなければならないのだろうか。
ちらりと斎藤くんの表情をうかがうと、非常に冷めた目をしている。
きっと私と同じ心境に違いない。
頼むからこういう会話は放課後の職員室ではなくもうひと頑張りして仕事後の居酒屋で繰り広げてほしいものだ。
「おっ、斎藤じゃねぇか。きいてくれよーこの間の宝塚記念でボロ負けしちまってよー」
「…先生、俺は土方先生に用があってきたので話は聞けませんが…」
「新八が悪ぃな、斎藤。まだ土方さん戻ってねぇから…そっちの会議室で待ってろよ」
「はい」
そっちの子は?と赤い髪の先生に話を振られ、思わずびくっとしてしまう。
斎藤くんが話してくれてたから油断していた。
正確に言うと新八と呼ばれた先生(確か経済の永倉先生…?)があまりにも残念過ぎて心の中で合掌していたのだが。
「彼女も俺と同じで土方先生に用事があるので、一緒に待ちます」
「お、そうか?」
「はい、失礼します」
さくっと答えてくれた斎藤くんの後について職員室にそのまま入る。
会議室は職員室と中でつながった場所にあり、比較的こじんまりとして落ち着いた部屋だった。
私と斎藤くんが入るのを横目で追っていた赤い髪の先生が永倉先生と会話を再開したのを確認し、私は斎藤くんに話しかけた。
「斎藤くんって、よく職員室くるの?」
「委員会の報告で土方先生のもとにはよく行くが…どうかしたのか?」
「いや、他の先生とも仲がいいんだなって思って」
仲がいいというのは語弊があるかもしれないが、比較的親しげな様子であったのが個人的には意外であった。
赤い髪の先生に関してはどうしても名前が思い出せないため、3年のクラスは担当していないように思う。
そんな先生とも顔見知りとは。
意外な発見である。
そんなようなことを斎藤くんにいうと、親切にも先生二人のことを教えてくれた。
永倉先生と原田先生(と赤髪先生はいうらしい)。
どうやら二人とも剣道部の顧問のようで、土方先生と3人仲良く揃ってこの高校の剣道部OBで馴染みが深いらしい。
土方先生は正真正銘鬼の顧問だが、永倉先生と原田先生は立ち位置的にはサブ顧問のため、顧問というより先輩に近い感覚なのだそうだ。
それならば親しげなのも頷ける。
小さな疑問が解決し安心するが、そこで今の状況を思い出す。
会議室で斎藤くんと二人。
こういう事態は一度気がつくと途端に居た堪れない心境になる。
そのまま話題を変え会話を続ければよかったものの、一度終了してしまうと再び口を開くのが重い。
扉を隔てた向こうでは先程からちらちら原田先生と永倉先生がこちらを見ながらヒソヒソ話をしているの様子がわかる。
(ちなみに斎藤くんは扉側に背を向けているため気づいていない)
沈黙は嫌いではないのだが(むしろ会話しなくても成り立つ仲が理想的)、扉の向こうの視線が気になり妙に居心地が悪い。
というか、その男子高校生的なのりをやめてほしい。
あれは「あれ、あの子に風紀指導するの?」的な会話に違いない。
いらぬ誤解が生じる前に今日に限っては早く土方先生に登場してもらいたものである。
***
「待たせたな。斎藤…と名字」
しかたがないので本棚に並べられている本を目で追っているとようやく目的の人物が現れた。(時間にしては5分もなかったが貴重な放課後の5分は重たい)
斎藤くんが待っているのは至極当然のこととして受け止めたようだったが、私も一緒にいたのは予想外だったのか、一瞬動きがとまった。
しかしそれもつかの間、何事もなかったかのように会議室へ入ってくる。
私が来ないとふんでいたのだったら本当に来なければよかったと一瞬思ったが、それはそれで後が怖いのでその考えを振り払う。
土方先生は私に斎藤くんの隣に座るよう促し、自身は先程私が座っていた場所、つまり私と斎藤くんの正面に座って説明を始めた。
「早速だが今回のTAについて簡単に説明する」
その言葉とともに私たちに渡されたのは一枚のプリント。
昼間掲示版でもざっと確認した通り、補習の対象者と補習の細かな日程、そして教室が記されていた。
目を通していると、ほかのTAではなかった項目が目に留まる。
「補習準備…?」
思わず口にしてしまった言葉は土方先生にバッチリ拾われ、「そういえば他のTAはないかもな」と返ってくる。
「斎藤はいつものことだからわかってると思うが、補習が始まる前に二人には手伝ってもらいたいことがある」
古典の補習は先生が鬼といわれるほどのものであるから、当然他の教科よりも厳しいと聞いたことがある。
しかしその厳しさの理由までは残念ながら興味がなかったので知る由もなかった。
土方先生曰く、古典の補習では、毎日の最後にテストという形でその習熟度を測るらしい。
補習は全部で5日間。
つまり先生は5日分のテストとその採点をする必要があるのだ。
私たちTAに課せられるのはそのサポート、資料作りということになるそうだ。
「俺が全部テスト内容考えてもいいんだが、それだとどうも偏りがでるからな」
「つまり私たちも問題を考えるということでしょうか」
「そういうことになる」
なんてこった。
そのような大変面倒くさい作業をやらされることになるとは。
ここはやはり演技をしてでも日本史の先生に泣きつけばよかった。
それか凪と数学チェンジ…ダメだ、バリバリ文系人間の私には数学VCは重たすぎる。
それにしても斎藤くんは古典のTAにあたる度にこんな責務を負わされていたのだろうか。
正直よっぽど古典だけでなく土方先生が好きでないとこんなことはできないであろう。
先生が毎度斎藤くんを指名する理由が頷ける。
私だったらこんな役回り、仮にいくら古典が好きだったとしてもごめんである。
アルバイト料を請求したいくらいだ。
そんな私の内心が表情に出ていたのか、土方先生の眉間の皺度合いが2割増した。
負けじとそれに対して不満さを更に増す私の表情。
会議室では今、土方先生の私の無言の応酬が繰り広げられていた。
「?先生、どうかされましたか?」
「あ?…あぁ…なんでもない」
私の隣に座る斎藤くんはこちらの表情など見えるはずもないので、土方先生の謎の無言に疑問を抱いたようだ。
「…とりあえず斎藤はともかく名字、TAは決定事項だ。今回は"何が嫌でも"やってもらうからな。斎藤、大変だと思うが色々と教えてやってくれ」
以上だ、という言葉とともに私を(おそらく念を押す的な意味で)一瞥し、土方先生は解散命令をだした。
「…なんかごめんね斎藤くん。私初めて(な上にどうも乗り気がしない)だから迷惑かけちゃうかも」
「いや、古典のTAは俺以外よく代わるから慣れている」
「そうなんだ?」
職員室に一礼して扉を閉め、お互いの問題作成の分担やすり合わせの日程を決めつつ帰り道を辿る。
斎藤くんの発言からおそらく毎学期の試験のたびにこの説明をさせられているであろうことが伺え、更に申し訳なさが増すがこれも全て土方先生のせいだということにしよう。(実際にその通りであるし)
「とりあえず明後日の放課後までにお互い決められた範囲で問題考えてくるってことで」
「あぁ」
「じゃあ私友達と待ち合わせしてるからこの辺で」
これ以上一緒に歩いているとどこからファンの子に襲撃されるかわからないし!と内心思い、斎藤くんにじゃあまたと言ってそそくさと立ち去る。
「……」
そんな私の後姿を、しばらく斎藤くんが見ていただなんて、早くいかないとアンナちゃんに怒られるということで頭がいっぱいだった私には気づく余地もなかった。
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