■ いざ手をとりて
5月2日火曜日、PM5:10。
私は今職員室出入り口が見える廊下の影で、土方先生が出てくるのをかれこれ1時間ほど待っていた。
明日から連休のため、校舎にいた人たちは先生も生徒も早々に帰る人も多く、私が所属する部活はなんと練習も休みに。(なんでも先生が明日の朝からハワイに行くらしい。新婚だからな、しょうがない。)
それ故私は今こうして先生を待っていられるわけで、その点は万々歳である。
少し先になるが皆さん、5月5日は何の日かご存じだろうか。
そう、その日は私が慕ってやまない土方先生の生誕日なのである。
副校長で古典担当の土方先生は、女子生徒からの人気は大変高い一方で、その厳しさから広く生徒に恐れられてもいた。
故に表だって先生のファンだなんてとてもじゃないが言えやしない。
もちろん一部の女子生徒はそんなことは関係なく、ファンクラブ何かを作っていたりもするが、私のように陰から先生を慕う生徒はその人たちよりもはるかに多いのではないだろうか。
(そもそも先生はファンクラブ、とかは嫌いそうである。)
今日、正確にいえば5日のためにだが、私は先生にプレゼントを渡そうと今ここでスタンバっているのだ。
昨日の夜、寝る間も惜しんで準備したチョコチップクッキー。
お菓子作りが好きな子にとっては大したものではないかもしれないが、普段お菓子のためどころか料理のためですら台所に立たない私にとっては、よくぞこんなものを作ったと思う。
愛を込めるなら手作りお菓子を!という短絡的な思考で作るのを決意したのはいいが、ここまでの日がなんて長かったことか。
今日もようやく綺麗なものが焼きあがり、ラッピングもうまくできたころには、空も白み始めていた。
手作りは重たいって?
いやいや、先生にはさり気なく、軽ーく渡せばいい。
それこそ「お疲れ様です、これ作りすぎちゃったんでよかったらどうぞ。そういえばお誕生日もうすぐでしたよね?」くらいで。
間違っても今スタンバっていることを悟られてはいけない。
この1時間繰り返し続けているシュミレーションと深呼吸を飽きることなく続け、視線だけは相変わらずドアへと向けてひたすら待っていた。
それから更に待機すること15分、ようやく職員室のドアが開き人が出てきた。
間違いない、あの見紛うことなき美しい黒髪は土方先生!
さすがの先生も今日はもう帰るのか、手には鞄と紙袋。
きっと紙袋の方には私以外の子からもらったプレゼントも入っていることだろう。
その中の一つでいいから、先生に受け取ってもらえたら。
少しでも先生に喜んでもらえたら。
最後にもう一度深く呼吸をし、物陰から出て行こうとしたその時。
私よりも早く土方先生に声をかけた人物がいた。
「雪村」
隣のクラスの雪村千鶴ちゃん。
彼女は可愛い上に、一癖も二癖もある剣道部員たちのサポートをするマネージャーとして有名だった。
直接話したことはないがもちろん私でも知っている。
そんな彼女が手にしているものは。
「あの、土方先生、5日がお誕生日だときいたので…」
顔を真っ赤にして、ピンクのリボンと綺麗な色で包装された小箱を先生に渡す様子は、女の子の私から見ても可愛らしかった。
それこそ見ていられない程に。
こちらからは先生の表情はわからないが、何か言葉を発した先生に対し雪村さんがはにかんだ様子がみえた。
それだけで、わかってしまう。
私なんかが先生にプレゼントをあげる余地なんてないことに。
これ以上二人を見ていることができず、私はそっとその場を立ち去った。
先程まで強く握りしめていたプレゼントは、すっかり包装がくしゃくしゃになってしまっていた。
「もうこれも必要ない、か」
ふと廊下にあるごみ箱が目に入り、自分の持っているものと視線を行き来させてしまう。
このまま何もなかったことにすればいい。
私は今日、何も用意していない、何も持ってきていない、誰も待っていない。
さようなら、私の淡い青春。
自分に暗示をかけ、手にしたものを滑り落とそうとゴミ箱のふたを開けると、聞きなれた声がした。
「白月、そんなところで何をしているんだ?」
「…斎藤くん」
同じクラスの斎藤くんとは、委員会も同じなためか話す機会もそこそこ多く、友達と呼べる仲だった。
…私が一方的に思っているだけで、彼もそう思っているとは限らないが。
「…それは?」
斎藤くんの視線が私の持つものに向けられる。
「…これは、…」
なんでもないよ、と言ってゴミ箱にそのまま落とそうとしたが、言葉がつまってしまう。
もうこれはごみなのに。
手から離すことにまだためらいがあるのだろうか。
そのまま言葉を発することも、身動きすることもできずにかたまってしまう私。
きっと斎藤くんは呆れているに違いない。
そもそもこれは違反物に入るだろう。
風紀委員の風上にも置けないと、明日には委員会に来なくていいなんて言われてしまうだろうか。
「白月、
無理に捨てなくていい」
「…え?」
斎藤くんがかけてくれた言葉がうまく理解できず、ききかえしてしまう。
さぞかし今の私は間抜けな顔をしていることだろう。
そんな考えをよそに、彼はそばまで来ると、今まさにゴミ箱に落とされようとしているものを私の手ごと引き上げた。
「捨てられないものなら、無理に捨てないでいい。
大事に、持っていろ」
その言葉に、何故か私はすくわれた気がした。
正確には、私の想い、が。
「あの、これ、没収したりしないの?」
違反物だよ、一応、と思わず口走ってしまう。
「没収、されたいのか?」
きょとんとする斎藤くん。
その顔が何だか普段の様子よりも幼く見えて、新鮮だった。
そして何だか、あたたかい気持ちになった。
「いいよ。斎藤くんになら没収されても」
しわだらけになってしまった包装をたどたどしく伸ばし、笑顔でそれを渡す。
斎藤くんは少し迷った後、静かに頬笑み、手をそっと差し出してくれた。
「あぁ。ではこれは俺があずかろう」
ありがとう斎藤くん。クッキー、割れてたらごめんね。
心の中でそんなことを思いつつ、「さ、帰ろうか」と彼を促し、私は廊下を進んだ。
先程までの悲しい気持ちがうそのように、今、私の心は晴れやかだった。
まるで皐月の青空のように。
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土方さんを祝うはずがまさかの斎藤夢に。
本人を祝いたい方は銀魂夢へどうぞ(違)