08
彼女の存在に気付いたのは、もしかすると彼女が僕を知るよりも早かったかもしれない。
僕や一くんと時を同じくして、1年生だった"あの子"が剣道部にマネージャーとして入部してから。あっという間にあの子に惹かれた僕がついその姿を見つけると追ってしまうのは自然なことで。
当然、その隣に立つ彼女の存在に気付いたのは、すぐのことだった。
いつもあの子の隣にいる女の子。いつも太陽のような眩しい笑顔を平等に向けるあの子が、特別大事にしている女の子。
僕にとって彼女は、あの子の親しい友人という認識だけだったはずなのに、同時に羨望にも似た感情を無意識のうちに抱いていたに違いなかった。
それでも僕たちは長い間交わることはない。
僕にとっても、彼女にとっても、その関係は"あの子"の友人という認識でしかなかったのだから。
ただこの関係を変えようと思ったのは。
その顔を、その姿をこの目に焼き付けることになったのは、そんなに前のことではなかった。
8.なき虫なのは、だあれ?
3年生になって間もない時期。
すでにその時僕は、一くんの気持ちにも"あの子"の気持ちにも気付いていて。
こんなにもわかりやすいと思うのは、二人の傍にずっといたからだろうか。
いつまでもお互いの気持ちに気付かない二人に、やり場のないもどかしさや惨めさを感じ、自分でも子供じみた理由だとわかっているのに、その足は次第に剣道場から遠のいていた。
活動中の校庭を避けるよう校舎近くを歩くのが日課になりつつあったある日、ふと見上げた視界に、彼女の姿は飛び込んできた。
今は使われることの少なくなってしまった教室が並ぶ校舎の最上階。
その一部屋から覗くのは一人の女子生徒の姿。
彼女はそこから見える一点を、ただただ表情も変えずにすっと見つめ、そして。
一粒だけ。静かに頬を伝う雫が、いやに目に焼きついた。
「総司ー!」
遠くから名を呼ぶ声に視線を向けると、そこには部活中の"あの子"がいた。
ちょうど休憩に差しかかろうとしていたようで、こちらにある水飲み場まで足を運んだようだった。
「もうっ!今日も出ないで帰るつもりなの?」
「…うん。ちょっと頭が痛くて」
「そうなの?最近、調子悪いこと多いよね?」
大丈夫?と心配してくれる様子に少しだけ晴れた心の靄。けれどもそれはまた、一瞬で濃くなる。
「一くんも、心配してたよ」
「そう…」
お大事にね、とそろそろ始まる休憩にあの子は走って立ち去った。
きっとその先には、僕の友達で、ライバルで、そして叶うことのない人がいるのだろう。
ちくりとした胸の痛みを押さえつけるようぎゅっと胸元でこぶしを握った僕は、ふと頭上にいるはずの彼女が気になった。
けれども既にその姿は見えない。まるでそこには誰もいなかったかのように、開けられていた窓は閉ざされていた。
一体、彼女はどうして涙を流しているのだろう。
その瞳に、何を映しているのだろう。
後にそれがまたしても僕が叶うことのない人だと気付き、彼女の涙は僕と同じものだと知ったのだった。
どうして僕も、そして彼女も行き場のない想いを捨てられないのだろう。
どうして痛みを、涙を流すことでしか和らげられないのだろう。
また静かに瞳を伏せる彼女に、僕は話しかけ提案を持ちかける。
それは彼女へ向けたのではなく、本当は僕へ向けた言葉。
もうこれ以上、苦しみたくないと、弱虫な僕が零した言葉。
けれど。
「君のことが好きなんだ」
本当はあの子に向けて言うはずだった、届くことがない一言は、決して嘘ではなかった。
確かに僕は彼女の、名前ちゃんの綺麗な瞳が、一途に一くんを想う姿勢が好きだった。
だからどうかこれ以上その瞳を曇らせることがないよう。
早く一くんへの想いを昇華させてほしいと、ただただそう願った。
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