始まりの音





深夜に家のチャイムが鳴ったのを聞いた折原臨也は渋々といった風にパソコンから目を離した。
いつも参加しているチャットルームにはいつものメンバーが一人欠けており、どこか違和感があったのだが、寝ちゃったのかなー?と勝手に検討を付けて、今いるチャットメンバーと池袋の話題で盛り上がっていた彼だったのだが、
{ちょっと落ちますねー☆甘楽ちゃんがいないからって、皆泣いちゃ駄目ですよっ}
とコメントを打ち終えて、レスすら見ないですぐに退室ボタンを押した。
パソコンには、こんな時間に訪れた愉快な来客者の顔が映る。玄関に設置された監視カメラによるものだが、来客者は監視カメラの存在に気付いているのだろう、レンズをじっと見詰めていた。
その顔は折原臨也が一方的に知っている人物の顔だった。

「………ははは、まさか、彼、がやって来るとはねぇ」

自然と漏れでた笑いと比例するように、吊り上がった唇と愉快そうに歪められた瞳。
折原臨也にしては珍しく、純粋に興味や好奇心が掻き立てられる仕事かもしれない。彼、が持ち込む厄介事。きっと愉しい仕事になるだろう、臨也はそう直感した。
そして、パソコンをロックして、彼はたいした急いだ様子もなく玄関のオートロックを解除した。


「はじめまして」
「はじめまして、こんばんは。もう深夜だけど何か御依頼かい?」
仕事場のソファーに彼を座らした臨也は、彼にどこか切羽詰まった雰囲気を感じて、相手に気付かれぬように目を細めた。
中々の厄介事を運んできてくれたみたいだね、と臨也は考えたが、それ以上に心臓の鼓動が高まる気配を感じて、それを隠すためにコーヒーを啜った。

「………単刀直入に言います、折原臨也さん、私を匿ってくれませんか」
「期限は?」
「私の諦めがつくまで」

そう言った彼の瞳は臨也が目を見張る程、どんよりと濁っている。
あぁ、この人間はどれほどの闇を抱えているんだろう!今までにないタイプの人間かもしれない!面白い観察したい!
そんなふうな心の高ぶりと反比例するように、帝人の扱いを考える冷静な脳を臨也は所有していた。
そして、彼の中で一つの結論がついた。

「その以来受けようかな、………ただ、高いよ?」


諦め、と依頼人である竜ヶ峰帝人は言った。
その諦めの内容を帝人自身は臨也に語っていないが、優秀な情報屋である臨也にはだいたいの見当はついていた。
竜ヶ峰とは、裏の世界では知らないものはモグリと言われるような、有名な家系の名前だ。主に、スナイパーのような仕事をするとして知られている。
つまり、竜ヶ峰は昔ならいざ知れず、現代まで続いている純粋な殺し屋一家の名前なのだ。
臨也の常識によると帝人の今の年齢は17歳だ、きっと18歳になると家督を継がされるのだろう、それが嫌で逃げてきたのかな、臨也はそんな予想を立てていた。
だが、裏の情報網をどれだけ漁っても、竜ヶ峰の長子の逃走に関する話題は流れていない。
通常であれば何らかの常識がある筈だ、なのに全くと言って良い程常識が動かない。どれだけ完璧な工作を施しても常識は流れる。臨也はその事をよく知っていた。

この子供は何をしたんだ?

依頼を受けることを承諾した途端、安心したように小さく「ありがとうございます」と呟いたまま、ソファーの端で体操座りをして顔を伏せてしまった子供に、不意に臨也は恐怖を感じた。それを振り払うために、また一口生暖かいコーヒーを飲み込んだ。

臨也は帝人が来たために閉じたチャットを開いた。チャットにはもう戻る気はなかったのだが、臨也は何と無くあのチャットが気になった。
興味を持った存在には、その興味のままに赴くことを心情としているかのような己に、大笑いしたくなったが、結局彼の表情は薄笑いを浮かべるだけに留まっている。

チャットでの会話はいつものように盛り上がっている。今の話題は最近起こった無理心中事件のようだ。
ソファーの上のオブジェの一種ように動かなかった帝人が、ふと視界の端で動いたのが見えた。特にこちらに敵意を加えてくる動きには見えず、臨也は気にかけないことにした。


《怖いですよね》
(ですねですねー)


帝人が肩に掛けていたバッグから携帯を取り出した。素早く文字を打ち込んでいる。


(仲良し6人一家がなんで、的なw)
【ありがちwww】
《普通が一番怖い件\(^O^)/》

田中 太郎さんが入室しました。

《ばんわー》
【ばんわです】
(ばんわ、今日遅かったねー)
〔ばんわです。ちょっと色々してたら出遅れましたーあれっ、今日は甘楽さんいないんですか?〕

《甘楽さんは落ちたよ》

〔そうですか…聞きたいことあったんですがねぇ〕


太郎 太郎さんの、聞きたいこと、とやらが臨也には少し気になったが、明日でも別に良いようなことだろう。どうせ彼はただの高校生だ、たいした用事でもないはすだ。
臨也はチャットメンバーの素性には目星を付けていた。彼らを操るために、自分が動いてほしいように情報を流す、それが臨也の抑え切れない人間への愛を満足させる糧になる。
その中では、田中 太郎はこのチャットメンバーでは異常な存在だ。普通の中の普通。何の集団にも関わりがないらしい、ごくごく普通の高校生。

 メールが届いています。

ディスプレイの端に浮かんだ文字を読み、クリックする。また何かの依頼だろうか、そう考えた臨也は気軽に送られてきた件名無しのメールを開いた。

     甘楽さんに相談があります。

ただ一文、そうメールには書かれていた。
どうして、どうして、何故だ、何故コイツは、俺を甘楽だと知っている?
可笑しい。可笑しい。可笑しい。俺を甘楽だと知っている奴なんていない筈だ。いない、そうだ、可笑しい。何かの間違いだ。落ち着け。

 メールが届いています。

クリック。

     甘楽さんしか頼れないんです。

 メールが届いています。

クリック。

     頼りにしていますよ、折原臨也さん。


どうしてだ?可笑しい。可笑しい。可笑しい。可笑しい。可笑しい。
目まぐるしく臨也の頭に情報が駆け巡る。九十九屋か、いや、違う、アイツは俺を頼ったりしない。では、誰だ。あの新しい情報屋か。いや、そんな筈がない。俺が、俺が、情報に躍らされてるなんて、そんな。


「折原さん」
「えっ」

机を挟んで臨也の正面に帝人が立っていた。いつの間に、そう考える余裕など今の臨也にはない。
帝人は無表情に携帯を持ち、臨也に見えるように送信ボタンを押す。

 メールが届いています。

クリック。
はは、と渇いた笑いが臨也から漏れる。
やられた、そんな敗北感が身体中を駆け巡る。なのに、何でこんなに心地良いんだ。
息を吐いて緊張した身体緩め、体重を椅子にかける。

そして、ゆっくり目を開けて、ディスプレイに浮かんだ文字を臨也は読み上げた。

「あまりお金は持ってないから、安くしてくださいね?………だって?酷いね、君」

「よく言われます、折原さん。で、お値段はいかほどですか?」


竜ヶ峰帝人はニッコリと言った音が聞こえてきそうな顔で臨也に微笑んだ。









【後書き】

恋に落ちる音がした!
まろさんから素敵な設定をお借りしました、まろさんに押し付けさせていただきます´`









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