イエス、サー



「名前さぁ・・・ポーンをCの5へ」
「なぁにー?ルークをGの4へ」
「おれが言うのも何だが、さすがにこれはどうよ」
「あれれぇ、椅子が喋ってるぞぉ」

ゆっくり進むチェス駒の進路からちらりと視線を落として見ると、四つん這いになった無様な椅子もといオリオンが、これまた必死に床に置かれたチェス盤を見つめて次なる一手を思案する。
うう、とうなり声を上げた椅子は恨みがましい声で叫んだ。

「名前の鬼!」
「名前?椅子のくせに呼び捨てとは生意気。女王様とお呼び」
「くっそ!次におれが勝ったら覚えとけよ、おまえを好きにしてやるからな女王様!」

本当に呼ぶのか。素直なやつめ。

「喚いてる暇ないんじゃない。チェスクロックも見ないと」

そうこうしている間にも時間は進む。
うるさい椅子の上で足を組み替えると、それを触ろうと伸びてきた手を叩き落す。油断も隙もありゃしない。

奴の次の一手先の先のその先まで予測、別パターンの構想を練りながら、いかにえげつない方法で勝てるか、オリオンを絶望の淵に追いやれるかと思うと胸が躍る。
元はといえば、オリオンが性懲りもなく賭けチェスでド汚い手を使って寮生から有り金を巻き上げていたのが悪いのであって、わたしは悪くない。悪行が目に余るのでそこへ乱入し、さらにド汚い手でオリオンを玉座から蹴落とし、そこに偶然、たまたまあった金をまるっと頂戴しただけの善良なスリザリン生です。

「オリオン〜、もうこのゲームでやめない?余って余って仕方ないよ、金が」

寮生から巻き上げた金も底を尽き、とうとう私財にも手を出しているオリオンはやはりおぼっちゃんで、お小遣いの桁が違う。テーブルの隅に積みあがる金貨の枚数を数えるのが今から楽しみだ。
オリオンは余裕の表情で、

「勝ち逃げは許さねぇよお嬢ちゃん。たとえどんな辱めを受けても、やられたらきっちりやり返すのが俺の流儀だ」
「カッコつけてるとこ申し訳ないけど、次の手でツミだよお兄さん」
「この人でなし!」
「ははは、次は足ふきマットにでもなりたいのかな」

お小遣いを失った者たちが冷たい床に倒れ伏し、あるいは口を半開きにしたまま虚空を見つめ、またあるいはがっくりと肩を落として、何事かをブツブツ呟いている死屍累々の戦場を見やる。
大丈夫だよみんな!必ずかたきはとる!オリオンが強奪した金は全部わたしが有意義に使うから安心して成仏してください!

最後の駒を手に取ると、椅子が悲痛の声を上げる。


「待ってくれ!いや、やめて!」
「いやはOKって意味だってあんた言ってたじゃん」
「ああああおれのばかやろう」

チェックメイトの声を聞いたオリオンが、悲鳴を上げてべしゃりと床にくずおれた。
周囲から「ひぇっ」とか「血も涙もない」とか聞こえてきたけどなんて失礼な。仇をとったというのに!

ふんと鼻を鳴らして立ち上がり、スカートをはたく。
臨時収入もたんまり入ったことだし、何を買っちゃおうかな!コレクションに新しいソックスを加えるのもいいし、マンガもいいし、ゾンコのイタズラグッズもいい。ハニーデュークスでお菓子を大人買いもどうだろう。そうだ、週末はホグズミード!そこで歴代ホグワーツ生で類を見ない豪遊を―――





「僕と一局お相手を。ミス苗字」





談話室が小さなざわめきに包まれ、窓際に固まっていた女子生徒のグループからはうっとりとしたため息がこぼれる。
嫌にゆったりと規則的で完璧な歩調の靴音が、床石をこつこつと鳴らして近づいてくる。
わたしは今世紀最大級に嫌そうなしかめっ面で階段を下りてきた人物を見やった。

トム・リドルは今日も今日とて完璧に美しい唇に胡散臭い微笑みを浮かべて、わたしの前で立ち止まる。

「どうかな、君がよければだけど」
「断る」

即答。当たり前だ。
せっかく有象無象を蹴落として玉座についたというのに、これ以上勝負して万が一負けたら週末のホグズミード豪遊計画が台無し・・・とここまで考えてはたと気づく。この男、トム・リドルめ。表情は柔和な笑みを浮かべているのに、こちらへの圧がすごい。「この僕がわざわざ勝負を申し込んであげたのに断るの?君ごときが?」感が半端ではない。
思わずさっと視線をそらしてあさっての方向を見てしまった。この時点で敗北感を感じる。

すると彼は少し考える仕草をして言った。

「確かに今さら勝負をしたところでミス苗字には何のメリットもないか。君たちがとても楽しそうにしていたから、つい混ぜてもらいたくなってしまったんだ」

突然悪かったね、としおらしい表情をして見せたトム・リドルに驚愕し、やられた!と確信すると同時に、談話室の生徒たちが一斉にこちらへじっとりとした視線を向けた。
かわいそうなトム、と女子生徒が口々に同情し、男子生徒は有り金を巻き上げられた恨みとともに非難の目を向けてくる。

「あれが楽しそうに見えたか?」

床に這いつくばっていたはずのオリオンがいつの間にか復活し、ソファにふんぞり返って首をひねった。
完全にわたしが悪者の立場で、方々から突き刺さるような視線が痛い。針のむしろである。
この状況でなお断ると後々絶対に面倒なことになるのだろう。頭を抱えていると、「じゃあさ」とオリオン。助け舟でも出してくれるのだろうか。

「勝ったほうが相手の言うことを何でもひとつ聞くってのは?」
「はぁっ!?何言ってくれちゃってんの!」

助け舟どころか溺れる人間に向かって岩を投げ込むようなとんでもない提案だ。あいつに「時計塔の上から紐なしバンジージャンプしろ」とか命令されたらどうしてくれるのか。詰め寄るわたしの肩にオリオンはぐっと腕を回して顔を寄せ、こそこそと耳元で囁く。

「いいじゃん。それなら名前もおれからぶんどった金失わずに済むし、勝てばさらにメリットあんだろ!あのリドルを好きにできるんだぜ?」
「ぶんどったとは何よ人聞きの悪い。勝ち取ったって言ってよ。それに勝ったってあいつにさせる事なんか・・・」

言いかけて言葉を切ったわたしに、オリオンがにやりと形のよい唇で悪戯な笑みを向ける。

「ミスターリドル!何ぼけっと突っ立ってんの!?さっさとこっちに来て!」

「変わり身はや!」と誰かが言うが知ったことではない。この勝負、絶対に勝たなければ。
勝ってそしてこう言うのだ。「今後一切付き纏わず、ほっといてくれ」と。
トム・リドルはというと、いそいそと向かいのソファに腰掛けて、ありがとう、ミス苗字と無駄に煌めいた笑顔で言った。女子生徒達のきゃあきゃあと煩い声援が談話室内に反響する。

「チェスそんなに好きなの?」

盤面を挟んで顔を突き合わせ、尋ねるわたしにそっと顔を寄せるトム・リドルは周囲に聞こえない囁き声で、

「好きだ」

交わる視線。暗闇の奥に揺らめく蘇芳色に、胸が落ち着かずざわめくような感覚を覚える。

「相手の駒が粉々になるのを見るのが」
「・・・わぁ、いい趣味してる」

この男絶対に病んでるよ。
引いている間にも駒はきれいに整頓され、プレイヤーの声を今か今かと待っている。

「自信があるようだね、ミスターリドル」
「嗜む程度さ、ミス苗字」

お手柔らかに、と引き続き胡散臭い笑みを浮かべているあいつに、わたしも負け時と微笑み「こちらこそ」と返す。怖気づいてなるものかと気を引き締め、駒へ視線を落とす。

「笑うともっとかわいーな名前。おれの背中にお前の尻が乗ってたと思うと不思議と悪い気がしない」
「オリオンまじで黙れ」


かくして、わたしVSトム・リドルの絶対に負けられない魔法使いのチェスが開始されたのだった。





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