ホイッスルの音が高らかになり響く。観客席から歓声が上がり、拍手の音が辺りをつつむ。
電光掲示板に示された両チームの得点。2-1。勝敗指示を無視したそれは、俺達の負けを表している。
試合が、終わった。



審判の声を合図に、フィールドの中央に向かって走った。
それぞれのチームの選手が一列に並んで向かい合う。
俺の前には神童君が立っていた。以前見たときから、真面目そうな、どこか仄暗い印象を彼に持っていた俺は今の彼の表情がまるで別人の様に違っている事に、やはり少なからず驚いている。彼の顔からは今日のサッカーに対する満足感の様なものが感じられた。過去の諦念しか映らなかった瞳には今確かな光が宿っている。
彼は変わった。何が彼をここまで変えたのか。試合中の短い時間の中で考え出した結論に、ちらりと視線を向ける。
顔中に嬉々とした色を浮かべるその様子は酷く幼く見える。雷門の新入部員らしい。柔らかそうな茶色の髪に健康的な肌の色。全身でサッカーが大好きだと語る様なプレーが印象的だった。彼が、真っ向から対峙した俺に臆す事なくぶつけてきた言葉が胸の内で幾度となく繰り返される。
審判の点数と勝敗を告げる声が響く。慌てて視線を正面に戻した。
「ありがとうございました!」
一斉に発したその声と共に並んだ全員が頭を下げる。妙に清々しい気分だった。
顔を上げ、何を考えるでもなく自然と目が彼の方に移っていく。大きな瞳に嬉しさや充実感や誇らしさが混ざってきらきらとしている。あんな目をしていた時が自分にもあったのだと、少し懐かしく思った。
不意に彼がこちらに目を向けた。予期せず視線が交わり、心臓が大きく跳ねあがる。
彼は小さく頭を下げた。つられて自分も頭を下げる。と、彼は小走りでこちらに駆け寄ってきた。
「えと、あの、喜多先輩…ですよね。」
「ああ。……えー、」
興味のある相手から話しかけてくれたのは好都合だったが、如何せん自分は彼の事をまともに知らない。名前すら朧気で、必死に試合前に見た選手名簿を思い出そうとするが霞がかって判然としなかった。そういえば、神童君が試合中に彼の名前を呼んでいた筈だ。確か―――
「てんま君、だよね。」
確認する様にして言葉にすれば、彼は嬉しそうに笑ってくれた。
「はい!雷門中一年の、松風天馬です。」
俺を移す瞳は彼の性格を表した様な綺麗な青い色をしていて、どこまでも真っ直ぐだった。
「次の試合も、勝つつもりなんだろう?」
言いたかった多数の言葉を押し退けてまず最初に出た言葉は、既にその答えがわかりきった様な質問だった。
案の定、天馬君は肯定の言葉を口にした。その瞳が強い輝きを内包する。
「必ず勝ちます!」
想像したとおりの潔い返事が気持ちよかった。
サッカーがフィフスセクターに管理される様になってから、常に脳裏にちらつく敗北の二文字。それが、彼の言葉からは微塵も感じられない。本当に、勝つ気でいるのだ。未だ大半の部員が敵と言ってもよい状況の雷門で。本当のサッカーをもってして。
彼等がフィフスセクターに反旗を翻した事が、本当に良い事なのか悪い事なのか、今の俺に区別はつけられない。ただ、彼なら、彼等ならばこの「革命」をやってのけてしまうのではないかと、不思議と強く思えた。
「勝敗指示を無視してまで俺達に勝ったんだ。…絶対に、負けるなよ。」
「はい!」
強い意思の籠った声と屈託のない笑顔に、心の奥底で満足感と安心感を覚える。
「おーい、喜多ぁ。」
突然ベンチの方から西野空の間延びした声がした。振り返って見ると、指先が控え室に通じる扉の方向をさしている。そろそろ戻ろうということだろう。「すぐに行く。」
聞こえるであろう程度の声を上げて返事をする。最後に何か一言、天馬君に声をかけようとしてその方に向き直ると、彼は何か言いたそうに口をして動かした。
「あの、喜多先輩。」
「? どうした。」
天馬君は一瞬だけ迷う様な表情をして、それから意を決した様に口を開いた。
「また一緒に、サッカーしてくれませんか? 俺、先輩たちともう一度サッカーしたいです!」
必死な眼差しで告げられた言葉に俺は目を丸くする。そんな簡単な事、この子は何故こんなにも一生懸命口にするのか。思わず苦笑いが漏れる。それと同時に心がじわりと滲む様な感覚がした。胸の奥がぼんやりとした優しい温かさに包まれる。
「先輩……?」
何も言わない俺に、天馬君は少し不安そうだった。
俺はその不安を払おうと、彼の柔らかそうな髪を掌でくしゃくしゃと少し乱暴にかき混ぜる。驚いた様な小さな声が上がった。
「天馬君、着替えが終わったら少しそっちの控え室で待っててくれないか。」
「え…?」
「携帯の番号とアドレス、よかったら交換しよう。そうしたらいつでも連絡が取り合えるだろう。それで、お互い時間がある時に、またサッカーしよう。」
天馬君の表情がみるみる明るくなっていく。
「ありがとうございます!!」
見ているこちらの頬が緩む様な、本当に嬉しそうな声と笑顔だった。胸の奥が、さっき感じた時よりもずっと温かくなる。ぎゅっと締め付けられる感覚に似たそれは、少し苦しいくらいだった。
「喜多ー何してんだよー。」
西野空の催促する声にハッとなる。もう本当に戻らなければ。さっさと片付けて着替えを済ませないと、時間がなくなってしまう。
「それじゃあ、また後で。」
天馬君にそれだけ告げて、走りだす。不思議なことに試合前よりも幾分足が軽くなった様な気がした。気になって足元に目を向けるも、当たり前に、そこにあるのは普段と何ら変わりない自分の足だった。
顔を上げる。見上げた先に広がる空は雲一つない快晴だ。真っ直ぐな青。見覚えのあるそれに気づいて、ああ、と思う。彼に変えられたのは、神童君だけではなかったということだ。無意識の内に口元が弧を描く。
胸の奥の熱がゆるやかに温度を増していく。苦しく、どこかに甘さを含んだそれが心地よかった。
足に力を入れ、駆ける速度を少しだけ速める。

ふわりと柔く、そよ風が頬を撫でていった。









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