麦わら帽子をかぶったワンピース姿の少女が太陽が降ろされたばかりの朝の道を行く。
三つ角を曲がって、狭い路地に入り突き当たりの白い階段を上って、また角を曲がる。
ひらけた通りに出た彼女は、ある洋風の家の前で立ち止まった。
脇にある銀色の郵便ボックスを開き、何も入っていなかったのだろう、すぐに閉めるとくるりと体の向きを変えて、家の入り口に続く短い階段をリズムよく駆け上がった。
少女の前には小さな丸窓の付いたモスグリーン色の扉。
一呼吸したあと、少女は黒手袋をはめた手を伸ばして、手首型をしたドアノックを握りトントンと鳴らした。
…返事は無い。
けれど、首を捻り見上げた先にある二階の窓からは柔らかな明かりが漏れているので、この家の主が起きていることを彼女は知っている。
扉の内側は少女が働く店になっている。まだ開く気配のない扉の小さな丸窓を、少々背伸びをして覗き込んだ。
カーテンが閉じられ、明かりも灯っていなくて、薄暗い室内。
淡く発光する液体で満たされた瓶が棚に並ぶ。瓶の中身は様々な色で店内を仄かに照らし、商品棚や机の上、床に置かれた夥しいガラス瓶のシルエットを浮かび上がらせている。
少女は中を覗きながら数分待った後、店の中から反応が無いことに短く嘆息して、背伸びをやめた。
仕方なく、少女は首から下げた鍵を取り出して鍵を差し込み回す。鈍色をしたサムラッチ錠を押して扉を開けた。
扉の内側に引っ掛けられたドアチャイムの結晶が、ぶつかりあって、カランカラン、涼やかな音を立てる。
「おはようございまーす」
透き通った声を大きく響かせる。
店の奥にある二階へ上がる階段、さらにまたその奥でドタンバタンと音がして、聞き慣れた低い声が降ってくる。
「おーはよう、葉月ちゃん。今日も一段と美人だー。」
「まだ見てもないくせに!降りてきて下さい店長、店が開けません。」
葉月と呼ばれた少女は窓に歩み寄ると分厚いカーテンを引いて紐で纏め、店の中に日光を導き入れる。
窓縁に均等な間隔で並べられている空色の液体が入った小瓶が、日に照らされて明るい色の影を床に落とした。
棚に並べられた様々な形の瓶も光を弾いてきらりと光り、いっそう中身の色を鮮やかに見せる。
明るくなった店内を見渡してひとつ頷く葉月は、この店の色とりどり溢れる風景が好きだった。
色の液体は、目に見える人の思い出だ。
この店には沢山の人の思いが蓄えられている。
葉月はカウンターに入ると壁にかけてあるエプロンを取って、それと取り替えるように被っていた麦わら帽を壁にひっかける。
エプロンをもごもごと着ていると、階段がキシキシと笑って、店の主がやっと動き出したことを葉月に知らせた。
カウンターの奥にある階段から姿を表した男は、茶色の髪はぼさぼさのまま。服にもシワが寄っていて、身だしなみがだらしない。
葉月は顔を少しだけ顰めて、ひどく眠たそうに欠伸をこぼしている男に少しの皮肉を込めて朝の挨拶をする。
「おはようございます、颯士郎さん」
「眠いから今日休業。おつかれー。」
「駄目ですよ、今日は予約が入っていますってば。」
木製のカウンターテーブルを柔らかい布で拭きながら店長のどうしようもない発言に応じる。
せくせくと働いてくれる小さな店員を、颯士郎はきまり悪げに見つめたあと、やれやれと近くの椅子にかけていた上着を取り上げて袖を通し羽織った。
「そうだったな…。あー、顔洗ってくる。」
「もう、だらしないです。全部済ませて降りてきてくださいよ。」
「わかったわかった、葉月母さん。」
「誰が、お母さんですかっ」
のっそりと階段を上がってく男の軽口に葉月が噛み付く。
階段の手摺の上からひらひらと振られて消えた男の手の平を見送ると、葉月は気を撮り直して、カウンターに置いてあった包み紙を解く。中にはガラス瓶が入っていた。
先日誤って割ってしまったものを、補修屋さんに預けていた。それが帰ってきたのだ。昨日の夜の内だろうか。
「一言お礼言いたかったな。」
新品同様になったガラス瓶を、黒手袋をはめたままの手で葉月は慎重に取り出して、また手を滑らせてしまわないように大事に抱えて運び、空き瓶ばかり置いてある棚に仕舞う。
少し瓶が減ってきたのでまた瓶屋さんにお使いに行かなくちゃ。
再び階段がキシキシ笑う。
どこかさっきよりもサッパリした顔をしている颯士郎が、カウンターの横をすり抜け商品棚を横目に通りこし、入り口の扉を開けて表へ出る。
木でできた看板を傘立ての横から引っ張り出した。
看板には【思い出屋】と書かれてある。
颯士郎は看板を持ち上げると、丸窓の下の小さな突起に引っ掛けた。
コトンと看板が扉にかかる音は、カウンターに立つ葉月の耳にも届く。この作業を、私が店に来るときにやってくれたらいいのに、と葉月はいつも思う。店の鍵を貰っているけれど、毎朝ドアノックを鳴らすのはそのためだ。一度も、店長がそうしてくれたことはないのだけれども。
「さ、今日もいい思い出を作ろう。」
店内に戻ってきた颯士郎は、カウンターに入り葉月の横に立って店を見渡しながら言う。
葉月は「はい」と返事をした。
そうして、思い出屋の一日が始まる。
2011/06/12
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