奇っ怪な悲鳴でカルラ家の一日が始まった。
ガタンバタンという大きな物音と共に響いた叫び声に、朝食を作っていたカルラは驚いて皿を取り落としそうになる。

「な、何かあったのかな…?」

同居人の一人、ノアールの声に聞こえたけど、あの人があんな叫び声を上げたのを今まで聞いたことがない。
様子を見に行った方が良いか迷っている内に、階段を駆け下りる足音がして居間の扉が大きな音を立てて開いた。
ズカズカと挨拶も無しに入ってきたのはノアールだった。

「あっ、おはようノアー…ル……え?」

カルラが目を点にして首を傾げた。
ノアールは何故か寝間着にコートを羽織り帽子を被っている。恐ろしく朝に似合わない彼らしくない普通でない出立ち。
不快感をありありと表情に表して目をギラギラと怒りに燃やしている。

「あの女は何処にゃ」

そう発言したあと、一瞬気まずげに手のひらを口に当てる。

「あの女?」
「貴様の祖母にゃ」
「………にゃ?」

彼の口から零れる不自然な語尾についにカルラは突っ込みを入れてしまう。
ノアールは我慢なら無いというように荒っぽい仕草で帽子を取った。

「惚けるにゃ、こんにゃ事をするのはあの女位しか思い当たらぬのにゃ!正直に申せっ」

帽子の取り去られた頭からぴょこんと跳ねるようにして、銀色の髪の毛の間から現れたのは黒いふわふわしてそうな、猫耳。
怒り心頭にな表情なのに、頭には猫耳。凄まじいギャップ。
カルラは咄嗟に彼から顔を逸らす。

「……っ!」

笑っちゃいけない、笑っちゃ…きっとノアールはブチギレる。
吹き出しかけたのを彼を思って押しとどめたというのに、その努力を水の泡にしたのは騒ぎを聞きつけて降りてきた四巡の一言だった。

「あ、尻尾まで付いてるんですね」




不機嫌に揺れる黒く艶やかな尻尾の先がコートの裾から覗いていた。
指摘してひっこんだ尻尾にニヤニヤする四巡と涙を浮かべてむせ笑うカルラを交互に睨んでノアールはため息をつく。
家人とクズのどちらにも異変はないようだ。

「何故、我だけこのようにゃ辱めを…」

諦めたように肩を落としてコートを脱ぎ食卓の椅子に座る。
触り心地が良さそうな長くしなやかな尻尾が持ち上がりパタパタと動く。

ようやく持ち直したカルラがノアールにならって向の食卓の椅子に座り、ピコピコ動く可愛らしい猫耳を凝視しながら話す。

「こほ、ごめんなさい。で、それ何。生?」
「恐らく呪いの類だろう。貴様の祖母はこの手の悪戯が得意でにゃ、もちろん生身にゃのだ」

呪い、の発音も何やら危うく、まじにゃい、になりかけている。
猫語を必死に出すまいとするのはノアールの意地か。猫耳と尻尾を晒しているので、今更だとカルラは思う。

「そうなんだ…お祖母さんはまだ海外だと思うけれど。」
「そうか。困ったにゃ、昨日何かしたであろうか…、我は思い、当たら…、にゃ…。」「?」

話す言葉が途切れがちとり、ノアールの目が時折、ちらちら、と動く。
その目をよく見れば瞳孔も猫のように切れ長になっている。
お祖母様も芸が細かいなぁとカルラは妙に感心してしまいつつ、ノアールの様子にカルラは首を傾げた。
何かを追うようにせわしなく動く視線。徐々に瞳孔が開いて、さらに苛立つように尻尾が立ち上がって振られる。
カルラが心配そうにノアールを覗き込んだ。 これ以上猫になったらどうしよう。

「ノアール、どうしたの?」
「いや…」

次第に体も落ち着き悪そうにそわそわとさせる。
視線が自分を通り越して居ることに気がついたカルラは振り返る。背後で四巡がばたぱたと誘うように埃叩きを振っていた。
それに合わせてノアールの紫の瞳は揺れるのだった。
ノアールはどうやら口を引き結んで歯を食いしばって飛びかかりたくなる衝動に耐えているらしい。

「こらっバカ巡ッ」

そう叫ぶのとノアールが机を踏み蹴り跳躍してカルラを跨ぎ越し、四巡の振る埃叩きに躍り掛かったのは同時だった。
本能の儘に興奮しきったノアールによって居間は惨状と化した。





俊敏さの増したノアールを四巡は全力で相手をしていた。
ニコニコと笑いながら四巡はノアールを翻弄する、あっちにパタパタこっちでヒラヒラと振られる埃叩きの布目がけてノアールは襲いかかった。むしろ四巡に向かって殴りかかっている。
黒の尻尾が撓り、銀色の尾が翻った。

猫と言うよりも体格的にもはや化猫か黒豹に近い。
大の大人二人がそれ程広くない居間を勢いのまま自由自在に駆けまわるので、カルラは悲鳴を上げて机の下に避難した。
ノアールは本能のままに動きつつも、理性が残っているのかその目に凄まじい殺意を宿している。確実に殺す勢いで望んでいた。

「このバカぁああ!どっどうし…っひい!家壊れるっ…!」

四巡がカルラの隠れる机の上を飛び越してノアールがそれを追う。
ガタガタと揺れる机にカルラは身を竦めた。
私じゃあ収集つけられない…!カルラは考えた末に携帯に手を伸ばして、ある番号を呼び出す。

コール数回。

思いつく限りノアールとバカ巡を止められるのは彼しか居ない。縋る気持ちで応答を待つ。

「もしもし紫くんっ」

『あれ。カルラちゃん珍しいね、俺に何か用』

「用っていうか、た、助けて」

悲鳴に近いカルラの声の向こうで聞こえるバタバタと駆けまわるような物音に、紫は腰を上げて上着に手を伸ばした。

『わかった、落ち着いて。話せる状況なら詳しく聞かせて、何かあったんだね?』

「もうノアが大変で…っ暴れてるの、私じゃ止められない」

電話機越しに聞く状況を想像し難い。
あのノアールが暴れるなんて。

『えっノアくんが!?…どこに行けばいい』

「ウチ来てくれるかな、あ、マタタビ!」

『へ?マタタビ、ってあの猫のマタタビ?』

「きゃあっ、そう、マタタビあると楽だと思うのたぶん!できるだけ速く買ってきて、お願い!待ってるから」

ブツン、と通話の切れた携帯。
マタタビという変な物が必要だと言われたことに首をかしげたが、現場に居る彼女が必要だというのだ、従うことにする。

ノアールに異変が起こってカルラが助けを求めている、急がねばならない。
現在地からペットショップとペットショップからカルラ家までの最短ルートを弾きだして、紫は走った。
数分の後、紫は猫耳ノアールを目の当たりにして萌えることになるなどこの時はまだ知る由もなかった。





「ノアくん!カルラちゃん!」

玄関を潜り抜けて、居間に飛び込む紫の目に映ったのは椅子がひっくり返り床に物が散らばって、台風が過ぎ去ったような有り様。
壁や床のあちこちに引っかき傷のようなものまである。紫は唖然となった。
ノアールの姿は無い。
カルラが机の向こうで手招きしている。直ぐに走り寄った。

「大丈夫?怪我はない?」
「ないよ。ごめんね、急に呼んじゃって」
「それで、ノア君は?」
「一応騒動は落ち着いたんだけどへそ曲げちゃって。それがね…」



暴れるだけ暴れたノアールはついに四巡の埃叩きを弾き飛ばした。

「っとと、やりますね」
「貴様殺されたいか…」

殺意に満ち満ちた声に鳥肌を立てながらも勇気を出してカルラは机の下から這い出して一色触発の二人の間に割り入る。

「あーもう!二人ともストップ!これ以上暴れたら外に放り出すから!」

四巡を睨みつけて頭をひっぱたく。

「ったく、バカな事して困らせないでよね!」
「いやあ、猫好きとして見逃せなくって。」
「それならあんが猫になればいいのよっ」
「それもいいですね…って、うわっ!?」

ポン!といったクラッカーの弾けたような音に、ノアールの尻尾がぼわっ大きく膨らむ。
そして突如足元からもくもくと立ち上がり視界を覆った白煙にカルラとノアールは咳き込んだ。
視界が開けた頃には、四巡の姿が消えていた。
代わりとばかりにそれまで四巡が立っていた場所に小さな茶色い縞をもつ子猫が座っている。
カルラが目を丸くする。

「え?」

子猫が鳴いてカルラの足元に纏わりついた。

「みゃー」
「えええ!?これ、何、もしかしなくても四巡!?」

ノアールが鼻を鳴らす。何かを嗅ぎとったらしく納得顔で頷いた。

「四巡であるにゃ。成程、術式はこの屋敷全体に仕込まれているのか。と、すれば時限式か…良い格好だにゃ、四巡。」

この際完全な猫であるのと半獣であるのと、どっちが良いのかは分からない。

「ふみゃぁ〜」

どうでも良い、というようにノアールの尻尾に戯れている猫四巡をカルラは拾いあげて、まじまじと見つめた。
どこからどう見ても猫だ。原理は分からないけどすごい。
カルラに抱かれた四巡はゴロゴロと喉を鳴らした。

「…時限式ってことは、じゃあ、放っておけばノアも四巡も元に戻るってこと?」
「そうにゃ。しかし不用意に猫という単語を出すでにゃいぞ。四巡が変化したのは屋敷の主のお前の発言が作用しておろう」
「わ、わかった…。」

そういえば今日が2月22日で猫の日というニュースを聞いて、そういえば同居人のノアールは性格が猫っぽいよなぁと何気なく思った事を、思い出した。
それがこんな結果になろうとは。
決して口に出すまいと誓っててカルラは素直に頷いた。

その時丁度、ピピピと電子タイマーが鳴る。
カルラが朝御飯用に焼いていた鯖の塩焼きが焼けた知らせだった。

今日は四巡もノアールも朝御飯を必要としない予定だったので、魚焼き器には一匹しか鯖は載っていない。
ノアールとカルラの間に微妙すぎる空気が流れる。
ノアールの喉がごくりとなった。

「えーと…猫耳一もふもふで手を打ちます?」
「〜〜っ自室に戻る!」

カルラの分かりにくい冗談は通じなかった。





「………と、言うわけでー」事情を短く語り終えたカルラはふーっとため息をつく。
紫が今にもノアールの部屋に行きたそうな様子を見てカルラは苦笑いを零した。
挑むように紫くんに猫パンチを繰り出す猫四巡をひっ捕まえて、立ち上がる。

「よし、紫くんも来てくれたことだし。私は出かけてくるから」
「え、」
「バカ巡のキャットフード買いにね。ノアールのこと宜しく」
「うん、分かった」

玄関に向かうカルラを紫は見送る。
カルラは玄関でにっこりと笑って言い放った。

「しばらく帰って来ないつもりだから、心配しないでいいよー」

顔を赤くして慌てる紫を笑って、カルラは家を出て行った。


家に残された紫の足は自然と、足早にノールの自室に向かうのだった。







■取り敢えずここまで。
2月22日、にゃんにゃんにゃんの日。



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