「二年の男子が死闘を繰り広げている」
そんな話を聞いた風紀委員のカルラは眉を顰めた。
適当に人を捕まえて、詳しい話を聞くと余程派手にやっていたのか剣呑な内容。
「…あの馬鹿。何やってるんだか。」
それだけで、終わる筈だったのだが。
HRの時にも姿が見えず机の上には荷物がまるまま残ったまま。世話の焼ける。
放課後、四巡と喧嘩していたという紫くんに話を聞こうと思ったけれども見当たらず。
カルラは結局二人分の鞄を持って学園内を探し歩くことになる。
やっぱ放っておけば良かった、重い。
ともかく、喧嘩していたという現場に行ってみた。
でも、そこには誰も居なくて何も無かった。いや、よく見ればあった。地面に何かで擦ったような掠れた汚れ。意図的に拭った、まだ新しい血痕に見える。
「……。」
誰か怪我してる。不規則な間隔をあけて続いているそれに不安を煽られ、痕跡を辿る。
跡は空き教室の前で途切れた。
目の前の扉を少しだけ開けて室内を覗き込むと、細い体躯と黒い学生服が見えた。
腹を抱え蹲るようにして倒れているその人物の耳には、四つのピアスが光ってる。
「四巡…?」
呼びかけたけど届かなかったか返事はない。
ただ、人の気配に反応したのか四巡が起き上がった。教室に入り、早足に近づく。
体育座りで膝を抱え込んで俯く四巡の目の前にカルラはしゃがみ込んだ。
「大丈夫……泣いてんの?」
肩をつつくと、四巡はようやく顔を上げる。
「泣いてません。」
青白い顔で微笑む四巡は、泣いてないかわりに乱暴に拭った血の跡を口の端から頬へ伸ばしていた。
「それ、どうしたの。血、吐いたの」
問うと、四巡は苦笑いする。その笑みが、怖い。
血を吐くほどの怪我をしているのに、笑うしか知らないみたいに。
救急車を呼ぼうとして携帯取り出したカルラの手を四巡が素早く掴む。
「必要、ありません」
「そんな訳ない。離して」
「嫌です。大丈夫ですから口の中を切ったんですよ」
そんな言葉は信用せずに片手で携帯を開き番号を押す。
「させません」
ぐ、と四巡は掴む手の指先に力を込めた。
「…っ」
痛くないけれど力を込められた箇所から僅かに腕に痺れが走り、とたん腕に力が入らなくなって携帯を取り落とす。
四巡はその携帯を弾き飛ばした。くるくる回りながら床を滑って手の届こないところへ消える。
「何するのよ!」
「だから、要らない。必要ない。」
頑なだ。気迫に押されて口を噤む。
携帯を諦めてカルラはため息つき、荷物を床に下ろして四巡の前に座った。
「…わかった。じゃあ、せめて何してどうなったのかぐらい聞かせて。」
浅く呼吸を続けている以外、四巡は普段と何も変わらないみたいに振舞っていてそれが余計に心配だった。
愚痴か弱音か、それぐらいは聞いてやるつもりで腰を落ち着ける。
四巡を真っ直ぐ見つめると、視線を逸らされた。
「…ただの喧嘩ですよ。負けて、このザマです。」
「ただの喧嘩ってのは嘘ね。」
唯の喧嘩でそんな怪我するもんか。
また誰かに要らないことしたか言ったか…
「では、痴情の縺れ、ということで。」
あくまで、内容をはぐらかす気らしい。
「…どうせ誰かに手を出して、その彼氏にでも懲らしめられたんでしょう」
当たらずといえども遠からずで四巡は曖昧に頷いてみせる。
「…いい加減、自重しなさいよ」
あからさまに呆れられる。
「本命の人以外には手を出しちゃ駄目なの。学習しなさい。」
「…本命は望み薄なもので」
「それも嘘でしょ。」
本命なんて居ないくせにいけしゃあしゃあと。
「……あ、バレました?」
「そんなんだから殴られるのよ…」
にへら、と笑った彼にカルラは気が抜ける。
もう知らない。救急車も呼ばせてくれないし、何も話さないし。
だったらもう私に出来ることは何も無い。もしかしたら一人になりたいのかも。
「掃除の邪魔だったから荷物持って来た。じゃあ私は帰るから。もう喧嘩しちゃ駄目だよ。」
立ち上がろうと腰を浮かしたら、腕を引かれた。
「…待って下さい。」
「何。…いい加減、腕、離して。」
「もう少し此処に居て下さい。ね?」
「嫌。離さないと、殴るよ。」
じろり、と睨み上げても動じない四巡。
私の言葉を本気にしてないのか、あっさり「どうぞ?」と言いやがった。
何か、心配しているのを見透かされているみたいで、ムカツク。血を吐いてるような怪我人の四巡に私も非情になりきれない。
「…はあ。もー、本当に何なんな…っ」
不意に強く腕を引かれて、体勢を崩す。
「うわっ…!」
前のめりになり四巡にぶつかるのを咄嗟に何とかしようと、体を捻る。
横座りになったが引っ張られた片腕は四巡に掴まれたまま。手を床に着けず、勢いが上手く殺せない。四巡の肩口に顔をぶつけそうになってしまう。
「何するんだ」と文句を言おうと顔を上げたら、肩を掴まれて弱い力で後ろに引かれる。転がされるみたくあっという間に体の向きを変えられてしまった。
四巡の腕が伸びてくるのを視界の端で捉えた。四巡の腕が腰に回る。
「な…っ」
後ろから抱きしめられてカルラは硬直した。
「い、や!」
「少しぐらい良いじゃないですか。俺、フラれて傷心なんです。」
四巡は、嘘ばっかりだ。
そして本当に四巡が傷心だとして何だって言うんだ。私に何の関係がある。
「止めて馬鹿…っ」
四巡はどこか怪我をしている。激しく抵抗ができない。
それでも黙ってされるがままになるのは嫌で身じろぎすると、さらに腕に力が込められた。
「逃げないで下さい。カルラと、こうするのは久しぶりだ。」
頭に満足気に頬ずりされて寒気が走る。
「〜〜〜…!」
もう駄目だ、こういう時四巡にどう抵抗しても無駄だ。
突っ張ってるから擽ったい。癪に障るが体から力を抜いて深呼吸をする。
背後の気配に慣れようと努力した。人だと意識しちゃ駄目だ。
犬だ。温い椅子だ。
…今日だけは、我慢だ。
自分に言い聞かせるようにして、深く深く息をつく。
「どうしてこうなるの…」
項垂れる。そんなカルラを見て、四巡はにこにこ笑いながら抱きしめる腕の力を少し弱めた。
「四巡の阿呆。もう最低。」
後で覚えてろ。
「俺は最高。久しぶり過ぎて涙が出そうです。」
「…ハイハイそーだね。」
カルラはもう投げやりに答えて好きにさせる。
でも、こういう関係じゃない。決して。四巡に抱きしめられても気色悪いだけだ。
「まったく、こんなことして何が楽しいんだか」
居心地が悪い。カルラは不機嫌に黙りこむ。
「カルラはこういう風に人を抱くと、安心しませんか」
「……少しは。でもちょっと怖い。」
「まぁ俺は欲情するんですけどね。」
全力でスルーだ。突っ込んだら負けだ。
「怖いなら、慣れましょう」
「慣れてどうすんのよ…」
「慣れたら、カルラから俺にひっついてくれるかなーって」
「ねーよ」
四巡の発言に片っ端からツッコミを入れると疲れるので一言に集約。
とりあえず何でそうなる。
「甘え上手はモテますよ。」
甘え上手、といえば同級生の猫市ちゃんを思い浮かべる。
よく誰かにひっつく彼女はやばい、可愛い。
「そうだね、かわいい女の子が抱きついてきたら萌えるわ」
「じゃあカルラも実践…」
「するか。調子に乗るな」
肘で背後にいる四巡の鳩尾を軽く叩く。
いつものやりとりなのに、四巡は小さく呻いて嫌な咳を零した。
背後で何かが絡むような音を聞き、ぞっとする。
「ちょっと、四巡…!?」
ごぽ、と音がする。
纏わり付いていた四巡の腕から力が抜けた。慌てて腕を振りほどき四巡と向き合う。
四巡の唇は真新しい血に濡れていた。青白い顔がさらに血の気をなくしている。
「やっぱ口の中切れてただけじゃ無いんだね?内蔵やったの!?どこを殴られたの、見せなさい!」
「違、切れ、てるだけで、」
「こんな時まで嘘言うな!」
「…大丈夫、で、す。我慢できますから、このまま。」
差し伸べられた腕をはたき落す。
「我慢するレベルじゃないでしょうッどこまで馬鹿なんだお前!!」
どこまでもふざけている四巡に声を荒げる。
四巡が低く笑った。
「…だって、我慢しないと、手に入らない。」
声が掠れてひどく虚ろだった。
「…四巡、あんた何言って…」
「欲しかったんだ、俺も…」
私の後ろに誰か見ているみたいに四巡の目の焦点は合っていない。
血に濡れた掌が、頬に。
「嘘でもいいから、触れてみたかった…」
血の筋を残して、ずるりと落ちた。
また、笑っている。でも、泣いているみたく見えた。
「四巡…?」
四巡の体がぐらりと横に傾いて、カルラは慌てて支ようと腕を伸ばす。
が、力を失った体はひどく重くてささえきれずに崩れた。
「死ん、だ?」
床に倒れ動かない。目の前で四巡がこんな風に弱るところなんて見たことがなくて、激しく動揺する。
とにかく、誰か呼ばないと。
生きてるかどうか確かめたくて四巡の口元に手をやる。弱い呼吸。息、してる。
どうにか気を落ち着ける。
「…死んだら、駄目だよ四巡。」
まだ触れてないなら、死んだら駄目だ。
硬い表情で動かない四巡の頭を一撫でして、立ち上がる。
直ぐに、保健室へ駆けた。
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