白布賢二郎(+川西太一)


昼休みのチャイムが鳴るのと同時に立ち上がり、財布を持って教室を出た。進級したばかりのこのクラスには昼休みを共に出来るほど打ち解けた友人が居ないし、暗黙の了解でいつも一緒に食べている相手が居るからだ。
食堂に行くため廊下を歩いていると、ちょうど隣の教室から見知った顔が現れた。


「おお」
「ん」


ろくな挨拶も交わさないけど彼は昼休みを一緒に過ごす相手なので、そのまま並んで食堂へ向かう。

川西太一は俺にないものを全て持っているのだった。校内でも街を歩いても目を引く高身長に、俺がどう足掻いても手に入れることの出来ない立派な骨格、ついでに男の俺から見ても顔がいいと思う。彼は自分から女子に積極的に話しかけることは無いけれども、女子から話を振られれば面白おかしく返答できる。
その、女子の前でも物怖じすること無く居られる事も凄いと思うけど、それ自体は羨ましい事では無かった。


「何にしようかなー…げ、超列んでる」


食堂に着くと購買はかなり混んでいた。色んな学年が混ざる食堂で食べるのはなんだか嫌なので、いつも購買でパンやらおにぎりを買って太一の教室で食べているのだが。

太一は列を見渡していた。代わりに買ってくれそうな人間がいるかどうか探しているようだ。もしここにバレー部の後輩が列んでいたとすればそれもアリだな、と考えながら俺も列を眺めていると、ある一点に目が留まる。「あ」と小さく声が出た時、太一も同じ場所に向かって言った。


「おっ、白石〜」


白石と呼ばれた女の子とその友人は太一の声に反応してきょろきょろし、俺たちを見つけた。太一に続いて俺も彼女たちに近づいていく。


「おつかい頼みたいんですけど」
「おつかい?いいよ、すごい列んでるもんねえ」


白石さんは自分よりも後ろの列を振り返り、いつの間にかたくさん列んでいる事に驚いているようだ。そして太一の顔を真っ直ぐ見上げ、何を買えばいいのかを聞いた。


「カレーパンとー…あ、具が多いほうな。ピリ辛じゃないほう」


辛いものが得意ではない太一がそのように説明するのを、白石さんは夢見るような表情で聞いていた。太一はそれには気づいておらず、前方に並ぶ本日のパンのラインナップを確認しているようだ。…いや気付いているのかも知れない。どちらにしても川西太一の一番羨ましいところはこれだ。


「白布くんは何にする?」


俺の頭によくない感情が浮かんだ時、白石さんの声がした。さっき太一を見上げていた乙女の顔は、単なる友達と接するのと同じ緊張感の抜けた表情となっていた。


「…なんか適当におにぎり2つと、パン2つ選んで」
「そんなに食べるの!?意外」
「そう?」
「俺らバリバリ運動部だもん。なあ」


太一の言葉に白石さんの大きな瞳の中には「なるほどな」という感情の動きが見えたけど、彼女の中で俺が占めている容量なんてそんなに大きくないのだ。例え俺の昼食がおにぎり1つだけであっても、断食していたとしても。

太一の顔で、太一の口から、太一の声で話される言葉にのみ意味がある。それに気づいたのは悲しい事にとても早い段階だった。唯一ありがたいのは、気づくのが早かったおかげで太一に悟られないよう振る舞う事が出来ている事くらい。俺が白石さんに想いを馳せているということを。


「ラッキーだったな」


そう言って笑う太一はいつもの太一だった。俺にないものを全て持っている川西太一。身長も、がっしりとした身体つきも、愛想のいい振る舞いも、適度に力を抜けるところも、ひとりの女の子の気持ちを掴んでいるところも。
そして、彼自身はその子に対して恋愛感情を抱いていない。白石さんの片思いなのだ。

白石さんに好かれていることを太一はきっと気付いている。
だから購買の列に他にも同級生がいる中で白石さんに声をかけ、代わりに俺たちのぶんまで買ってもらうように頼んだのだと思う。それは太一が「俺のことを好きなら断らないだろう」と考えての行動ではなく、彼の脳は自然と自分に有利な道を選ぶように造られているのだと考える。それもまた羨ましい。

川西太一はいつだって周りを見てすぐに自分の立ち位置を把握し、溶け込む技を行使し、すっと輪の中に入っていく。勉強なんか出来なくたって俺もこの能力が手に入るなら、今まで詰め込んだ知識すべてと交換したって構わないのに。

最前列の近くで待っていると、白石さんとその友人が買い物を終えて人混みから抜けてきた。両手に俺たちが頼んだものを抱えていて、一緒にいる友人にも手伝ってもらっているようだ。俺も太一もすかさず近づいて「持つよ」と声を掛け、一旦近くの空いている机に座った。


「いくらだった?」
「川西くん700円…白布くんが610円」


言われた通りに財布を開き、610円を白石さんに差し出した。が、彼女は受け取らずにもう1人の女の子を指さした。


「白布くんのはユリコが立て替えてくれたよ!」
「…あ、そうなんだ…」


これくらいで気分が落ち込んでしまうなんて、情けない男だと思われるだろう。一気にテンションが下がってしまった。
でもそんなのは俺以外の誰にも関係ない事だからと一生懸命気持ちを落ち着けて、ユリコというもう1人の女の子に「ありがとう」とお金を渡した。


「ほい白石、700円」
「はーい」


俺と話す時よりも少しだけ高い声で返事をする白石さんの気持ちに気付かないなんて絶対に無理だろう。気付けないほどの鈍感さが欲しかった。

太一は白石さんにお金を渡すと、たった今受け取ったパンの山からドーナツをひとつだけ取り出した。珍しく甘いものを頼むんだな、部活前に食べるのかなと思ったがそれは違ったらしい。そのドーナツを白石さんへと差し出したのだ。


「じゃあこれ、あげる」
「え」


きょとんとしているのは白石さんでなく、俺もだ。しばらく受け取らなかった白石さんだが、太一が更にドーナツを突き出すと、まだ状況を把握出来ていないながらも受け取った。


「くれる…の?お金は…」
「いいよ。おつかいのお礼だから」


その時の白石さんといったら、恋心を抑えきれない少女漫画の主人公のようであった。漫画なら間違いなく「どきん」と心臓が高鳴る擬音が付くだろう。
今の太一の行動は罪なのかそれとも褒められるべき事なのか、俺には分からない。ただ、俺にもこのぐらいの機転があればとまたひとつ川西太一との差を見せつけられた。


「行こうぜ賢二郎」
「ああ…」


太一の声で目を覚ました俺は、彼に続いて女の子2人に会釈をし立ち去ろうとすると、白石さんの声で呼び止められた。


「ま、待って」


ぴたりと止まった俺たちが振り向くと、白石さんは言葉に詰まっているようだ。ここでもまた、勘の鋭い男に育ててくれた親を少しだけ恨んだ。今から彼女が何を言おうとしているかが手に取るように分かるのだから。


「良かったら一緒に食べよ?」


太一の目と、ほんの少しだけ俺の目を見て白石さんが言った。
分かっている。ここに残ってほしいのは太一だけなんだろう、俺は居なくても良いのだろうということは。だから判断は太一に委ねる事とし、ちらりと隣の太一を見ると、困ったように頭をかいた。


「俺ら、先輩と食べる約束してんだよな。なあ賢二郎」
「……おう」


そんな約束してないだろ、この野郎。


「だからごめんね」
「そうなんだ…だよね、私こそごめん」


白石さんは赤面したのを隠しきれておらず、俺たちに(と言うか太一に)手を振って、今度こそ食堂を後にした。

食堂を出た瞬間に「何の約束もしてないだろう」と言ってやろうかと思ったが、そんなの聞いてどうするのか。その理由を聞くのはとても恐ろしい事だ。それなのに太一は自ら先ほどの弁解をしてきた。


「ありがと。話合わせてくれて」
「…べつに」
「俺、女子と喋るの苦手なんだよね…」


そのくせ代わりに購買でパンを買ってくれた白石さんにドーナツをあげるなんて、慣れたことをしやがるとは。


「じゃあ、思わせぶりな事するなよ」
「思わせぶり?あ、ドーナツ?」
「そう」
「あれはお礼じゃん、普通じゃん?」
「どうだか」


あんな事をされたら、他の女の子だって太一に好意を抱くに決まってる。それを「普通」と言ってのけるこいつの神経は太いのか繊細なのかどっちだ。しかし、俺からの指摘で初めて「今の駄目だったかな」とまた頭をかいた。


「そのへんの線引きが分かんないから、女子って苦手なんだよ」


眉を下げて言う太一の言葉に嘘はないのかも知れない。それがどんなに恐ろしく残酷で、妬ましい事であるのかも太一は分かっていないのだ。

川西太一は俺にないものを全て持っているのだった。お前の持っているそれを全部俺にくれよと言えたらどんなに楽なのか分からない。それが無理なら俺は、この先実らないであろう恋心をどこかに投げ捨ててしまいたい。
自分の歯ぎしりを誤魔化すために、乱暴にパンの袋を破いた昼休みだった。

その歪みを恋と名付けて

桜様より、白布と川西との三角関係・というリクエストでした。オチはお任せ頂けるとの事だったので、結局誰にもオチない!まだまだ波乱が起きそう!…という終わり方にしてみました。白布はこのまま大人しく出来るのか分からないし、川西ももしかしたら夢主にオチるかも…?今後の展開はご想像にお任せします♪ありがとうございました!