西谷夕


私が西谷くんを意識し始めたのは、席替えで前後の席になってからだった。

それまでは同じクラスにいても「元気な人だな」くらいの印象だったのに、この人は私の目の前でまあ寝るわ寝るわ。なぜか4限目が終わり昼休みが始まると同時に元気になり、昼休みの終わりとともに彼のパワーは終息していく。
食べる時だけ食べてあとは眠っておくなんて、他にいつどこでエネルギーを消費しているのかと不思議に思っていた。

しかしそんな西谷くんだって、さすがにテスト期間は眠るのをやめるらしい。期末テストの試験範囲が発表されてからというもの、西谷くんは見違えるように授業へ積極的に参加するようになった。


「じゃあ次の問題、えー…白石」
「はい」


おっと、西谷くんの背中を見ていたら当てられた。幸いにも現代文は得意な科目なのと、教科書内に答えが載っていたので解答していく。先生は「正解」と再び黒板に向かい、私の答えた内容を書き始めてひと安心。


「先生ぇ!」


と、突然西谷くんが右手を挙げた。その声にクラスじゅうがびくっとなり、真後ろの私もびっくりして「ひぇ」と変な声が出た。


「どした西谷」
「今のどうしてそうなったんですか!解んなかったっす!」
「え」
「白石が答えたとこ!」


西谷くんは椅子から腰を上げて、先生が黒板に書き写した私の解答を指さした。
先生は突然真面目に授業を受けるようになった彼に驚きつつも(今まで西谷くんがこのような質問をしたことが無かったから)説明しようと口を開いた時、ちょうどチャイムが鳴ってしまった。


「あー…西谷あとで職員室聞きにくるか?それか白石に聞いてくれてもいいけど」


ぎくり。私は自分が勉強するのは何とかなるけれど、誰かに説明するのは苦手である。


「行くの面倒なんで白石に聞きます!」
「うーん素直でよろしい」
「ええ…」


西谷くんは職員室まで聞きに行くという選択肢を捨てて、後ろに座る私から説明を受けることにしたようだ。
本当に私は、人に勉強を教えられるほどの頭は持ち合わせていない。しかも相手は西谷くん。密かに恋心を抱いている相手なのだから。

彼の後ろで眠たそうに船を漕ぐのを見るのは微笑ましかったし、授業が終わった途端に背筋が伸びるのも、朝教室に入ってくるなり「はよーっす!」と全員に聞こえる声で挨拶をするのもなんだか格好良くて眩しかった。
これまで気にしたことは無かったのに、偶然「私の前に座る人」となっただけで意識するようになってしまったのだ。


「白石!さっきの教えて」


帰りのホームルーム後、西谷くんがくるりと振り向いてきた。途端に心臓が跳ね上がり、私は意味もなく教科書のページをぱらぱらとめくる。どうしよう何ページだったかなっていうかどんな問題だったっけ。


「ストップ!そこ」
「へっ」


私がめくっていたページのある部分で西谷くんが声を上げ、手を突っ込んできた。


「このへん。52ページだっかな」
「あ、あー…」
「んで!紀男はどうして素直に佑子にプロポーズしないんだ」


プロポーズという台詞が西谷くんの口から出てきてびくりとした。
この、教科書内の「紀男」という人物は自分に負い目を感じていて、どうやら想い人への気持ちを伝えられない様子。確かに西谷くんみたいな人からしたら理解し難いのだろう。そして文中から適切な文章を探し出すことも難しいらしい…。


「えっとね、このへんにね…」
「ん」


うわあ、西谷くんが私の指先を目で追っている。どきどきして思わず指が止まった。マニキュアしておけばよかった!なんの味もない私の指を間近で見られるなんて。


「白石、はやく。部活行きてえから」


西谷くんが焦れったそうに言った。はっと顔を上げると、彼はすでに鞄を肩にかけていつでも出発できる状態だ。


「ご…ごめん」
「うん」
「ええと、紀男は…自分はすごくみすぼらしい人間だから、好きな人が自分みたいなのと結婚するのは、気が引けるみたいで…」
「はあ!?」
「うぇ!?」


突然の大声に驚いて再び変な声が出た。西谷くんが拳をぷるぷる震わせて、納得しがたい表情で教科書の挿絵にある紀男を睨んでいる。そしてあまりの事に身体が動いてしまったのか、私の机をばしんと叩いて叫んだ。


「何でだよ、男は自信持ってこそ!だろ」
「う…うん?うん」
「男気が足りねえなー紀男、ちくしょう俺の友だちだったら喝入れてやんのに!」


西谷くんに入れられる喝は相当強そうだ…じゃなくて、これはフィクションだからそんなに熱くなってたら進まない。


「…で、でもね。自信ないけど、それでも佑子への気持ちは大切に持ってるんだと思う。だからこそ悩んでるんだと思うよ」


今にも歯ぎしりしそうな勢いで言うもんだから、私は慌てて紀男の気持ちを代弁した。なぜここまで紀男の肩を持たなければならないのか謎だけど。
すると西谷くんは興奮して握っていた拳をゆるめて、気の抜けた声で言った。


「……へえ。ほお」
「お…おかしかったかな?まあさっきの問題はこんな感じで、」


と、大まかに問題の解説をして締めくくろうとしていたのだが。


「白石って人の気持ち、ちゃんと考えられる奴なんだな」
「………へっ?」


人の気持ちっていうか紀男の気持ちだし。とツッコミたい気持ちと、西谷くんがさっきまで部活に行きたくてうずうずしていたのに身を乗り出して私の顔を凝視しているのとで、私の頭は大混乱。しかし西谷くんは納得したようにうんうん頷いて言った。


「俺には全然わかんねーけど!なんとなぁぁく分かったぞ紀男の事は!友だちになれる気がする!」
「え」


呆ける私をよそに西谷くんは勢いよく立ち上がった。肩に大きな鞄をかけ直し、「よっし」と気合を入れて椅子を戻す。そのまま部活に行くのかと思ったら、一度私を振り向いて満面の笑みを浮かべた。


「ありがとな!また教えて」
「う………うん」


文中の「紀男」が西谷くんの友人だったなら、佑子への溢れる愛をすぐに伝えることが出来たのだろうか。

しかし西谷くんが「人の気持ちとか全然わかんねー!」という人でよかった。もしも彼が相手の気持ちを敏感に読み取れる人だったなら、今この数分間で私の気持ちに気づかれていたに違いない。

西谷くんが去ったあとの教室内はとっても静かだったけど、そのせいで近くの友だちが「すみれ、顔真っ赤」と茶化したのが響いてしまった。

オーバーチュアは唐突に

佳苗様より、西谷に惚れている、マネージャーではない同級生・というリクエストでした。西谷くんへの片想い話は本当にほのぼのして、私も幸せな気持ちになれました♪ ふたりが進展しますように…!ありがとうございました!