07


ずっと思っていたことだ。世の中には身の丈に合わない場所が存在する。分かっていたはず。
私のような社員が大切な業務を任されることはほとんど無いし、私のような女子を黒尾さんみたいな完璧な人が好きになるはずも無い。優しくしてもらえたからと言って勘違いしていた。あの人は、みんなに平等に優しいのだ。

配属されたばかりの水野さんはというと元々パソコンの知識も豊富だったのか、驚くほどスムーズに仕事を覚えていった。配属前の研修の時から社内外のことを勉強していたのだと言う。その出来栄えには私だけでなく教育担当の佐々木さんも驚いていたが、彼女は「早く役に立ちたいですから」と笑うのみだった。

私だって役に立ちたい。私だって勉強したし、研修時には誰よりもメモをとって質問したつもりだし、配属されてからは教えられていないことも自分で調べたりしたのに。
私はなかなか仕事を覚えられなくて、一年経っても周りに迷惑かけるし、挙句の果てには出社の目的が仕事ではなく黒尾さんになっていた。水野さんに追い抜かれて当然だ。水野さんは有名難関大卒、私は誰も知らないような名前の大学卒。愛だの恋だのうつつを抜かすべきではない。と、分かっているのに。


「来週末に新卒ちゃんズの歓迎会するみたいなんだけど、来る?」


悶々としながらも仕事に向き合っていると、佐々木さんが後ろから声を掛けてきた。

歓迎会は昨年、私も開いてもらった記憶がある。と言っても私だけのためじゃなく、同期まとめての歓迎会だったけれど。そういえば歓迎会は配属後のこの時期だった。あれからもう一年か。
もちろん私も先輩たちと同じように後輩を温かく迎え入れたい。その気持ちはあるのに、どうも「行きます!」と即答することができなくて。


「……えーと」
「あ、強制じゃないから予定が空いてればでいいらしいよ。他部署の人も多いし」
「そうなんですか」
「でも参加人数そこそこ多そうから、早めに予約取りたいらしいんだよね」


強制じゃないと聞いて、正直ほっとした。あまり行きたくないなと思ってしまったから。
水野さんのことが苦手だとは思わないし、可愛くてよく出来てすごいなって思うのだけど、私より優秀な彼女を手放しで歓迎できるほど私の心は広くなかった。


「……佐々木さんは行きますか?」
「行かなきゃだろうねー。私、水野さんとニコイチ扱いだろうし」


当の水野さんは現在、近くの支社見学のために席を外している。その水野さんの席と自分とを交互に指さしながら、佐々木さんは「まあ次の日休みだしいいや」と笑っていた。
佐々木さんが行くなら、私も行ってもいいかなと思う。でも佐々木さんは水野さんの近くに座るような気もする。ということは、社内で特に仲のいい人が居ない私は孤立するに違いない。


(……黒尾さんは行くのかな……)


もしも黒尾さんが行くのなら行きたい。だけど、彼は彼で自部署の後輩らと固まって座るかもしれない。ハキハキ活き活きした営業部の集団に、私はきっと馴染めない。……そんな私を黒尾さんが気に留めてくれるのなら嬉しいけれど。



午前中は仕事がいくつか立て込んで、普段より少し遅めの昼休みとなった。今日はきちんとお弁当を作ってきたけれど少し物足りなくて、甘いものでも飲もうかなと自販機へ向かう。ジュースだけど液体だし太らないよね、なんて自分に言い聞かせながら。


「黒尾さん!」


そんな時、本当にあと数歩で自販機の並ぶところに出ようかという時だ。黒尾さんの名前を、私以外の女の子が呼んだ。黒尾さんがちょうどそこに居るらしい。
突然呼ばれたその声に黒尾さんは戸惑っているのが伺えた。誰に呼ばれたのか分からないのだ。でも私には分かる、水野さんだ。支社見学から戻ってきたところらしい。


「……あ。こんにちは、えーと……?」
「水野です!」
「あーそうだそうだ。水野さん」
「黒尾さん、来週の歓迎会来られますか?」


私が聞きたかったことを水野さんが聞いてくれた。ちょうど知りたかったことなのでありがたい反面、なぜ水野さんが黒尾さんにそんなこと聞くの? と焦りや不安が生まれる。そして、つい息を殺して陰に隠れた私だけど、なんで私は隠れなきゃいけないんだろう? と惨めな気持ちにもなった。


「行くよー。俺らは他部署に媚び売ってなんぼですからね」
「ええ? そうなんですか?」
「きみらはまだ知らなくていいことよ」
「でも媚びならどんどん私にも売ってくださいね! 早く一人前になりますので!」
「おや。頼もしいことで」


頼もしい。本当に頼もしいし、きっとそんなこと言われたら嫌な気はしないに決まっている。水野さんは狙って言っているのか天然なのか、どちらにしても私の敵う相手ではない。
その場で二言三言の会話をしたのち、水野さんは「お腹空いたんで行ってきまーす」と去っていった。それも突然だったので私はまた一歩下がって身を隠し、そろそろとエレベーターに向かう水野さんの背中を見送る。


「……」


かわいいな。今日もひらひらのスカート。なのに派手すぎなくて品がある。胸元の小ぶりなフリルが顔周りを華やかに見せていて、女として勉強になる姿だ。そんな水野さんに明らかに嫉妬している私だけど、思わず見とれてしまっていた。どのくらい見とれていたのかと言うと、黒尾さんの気配が近付いてくるのに気付けないくらい。


「わ。びっくりした」
「!!」


執務フロアに戻ろうとしていた黒尾さんが、隠れるように突っ立っていた私を見つけて目を丸くしていた。黒尾さんも驚いただろうけど、完全に気を抜いていた私もそれはそれは驚いた。


「黒尾さん……」
「もしかしてずっと隠れてたの?」
「ち、違います! 今来たとこです」


私は不自然なほど否定した。「そうです隠れてました」なんて答えたら、会話を盗み聞きしたのがバレてしまう。今見つかった時点で勘づかれたかもしれないけれど。


「白石さんは新卒ズの歓迎会くる?」


しかし、黒尾さんは私が隠れていたことには触れなかった。来週行われる歓迎会の出欠を聞いてきたのだ。
どうして私にそれを聞く必要が? 私が行くからといって、恐らく黒尾さんとは絡めない。さっきの水野さんとの会話から察するに、黒尾さんは仕事を円滑にするため他部署の人と仲を深める予定のようだし。


「……分かりません」
「そっか。せっかくの華金だもんな、会社の予定で埋めたくはないよね」
「なのに黒尾さんは行くんですね」


自分でも信じられないほどの早口と、聞いたこともない自らの不機嫌な声。
はっとして口を覆い、とんでもなく失礼な態度をとってしまったと血の気が引いた。なんてことを言ってしまったんだ。黒尾さんはただの世間話をしてくれていたのに、ここ最近のもやもやが思い切り口から出てしまった。


「……ご……ごめんなさい」
「え? いや……」


黒尾さんはあまり気にしていないというか、特に怒っていないように見えた。だけど私の様子が目に見えておかしいことには気づいたらしい。


「白石さん、どうかした?」


むしろ心配するように私の顔色を伺おうとしてくれたけど、今、私は私のことが大嫌いになってしまった。醜い。そんな醜い私の姿を、黒尾さんに見られたくない。


「どうもしないです」


また低い声で返してしまったものの、なんとか先程の声よりはましなものが出た。が、「どうもしない」を信じてもらえるような声ではないだろう。その証拠に黒尾さんは、さらなる質問をしようと口を開きかけている。
これ以上ここで黒尾さんと話していても、私は私を嫌いになるだけだ。でも黒尾さんにまで嫌われたくはない。


「……じゃあ仕事戻りますので!」
「へ」


結局、とんでもなく無理やりな言い方でその場を去ってしまうことになった。甘いジュースなんて買ってる場合じゃない。買ったとしてもその味を堪能できる余裕はない。