03


そういえば、就職してから男の人を気にすることなんて無かった。仕事を覚えるので精一杯で、休みの日は疲れて寝ていたし、大型連休は実家に帰って親戚や地元の友だちと会うだけ。とても自分が二十代前半の若者とは思えないような生活だ。

今の会社の人間関係はとくに悪くないし、苦手な人はいるけれど嫌いな人はいない。私は一応営業部に所属しているけど、外には出ずに事務ばかりしているので、新しいスーツでお洒落したりすることもない。私はオフィスカジュアルでいいからスーツ必要ないし。

その「オフィスカジュアル」も、女性の先輩の真似をするのも気が引けるのでシンプルな感じにしていた。まったく華のないOL。華を纏っても見せる相手が居ないからだ。
でも、二年目にしてちょっと気になる人が出来てしまった。


「白石さん、今日のスカートかわいい」


出社早々声をかけてくれたのは、先輩の佐々木さん。女性は女性のファッションに目ざとく気付くのだろうか。すぐに新調したスカートに気付いてくれたのが嬉しいのと恥ずかしいのとで、へんな愛想笑いをしてしまった。


「え、へへ、そうですか」
「うん。そういうのいいじゃん!」
「ほんとですか? なんか、お店ですすめられて断れなくて買っちゃって」


嘘、本当は私がお店でこのスカートに一目惚れしたのだった。試着してみたら案外似合ってるような気がして、店員さんはもちろん褒めてくれるし、気持ちよくなって購入した。

これまで仕事用の服なんて安いところでしか買ってなかったし、バリエーションも多く持ってなかったし。派手な遊びもせず休日は引きこもりなので、ボーナスなどもすべて貯金していたのだ。こんなに高い服、久しぶりに買った。そして、新しい服を着て褒められたのも久しぶり。


「どうせ会社行くだけだしって思ったら、テキトーな服になるもんね」
「そうなんですよね……」
「彼氏でもいればいいんだけど、会社の人ってどうしても恋愛対象にならないしさ」
「は、はは」


思わず作り笑いになってしまった。私は今回、まさに会社の人をちょっとばかり意識したために新しいスカートを買ったから。
今の言い方からすると佐々木さんは社内恋愛には否定的というか、そもそもする気がないようだ。私だってそうだった。周りに知られると面倒くさそうだし。会社に良い人とか居ないし。って思ってたのに。


「……佐々木さんて、会社の中だと誰がカッコイイと思いますか?」


だけど、いや、だからこそ聞いてしまった。
佐々木さんはその質問には即答しない。できないようだった。


「えー? 誰だろ……」
「あ、いや居なかったらいいんですけど」
「あえて言うなら黒尾くんかな」


狙いすましたように黒尾さんの名前が出てきて固まった。佐々木さんは他意があって言ったわけじゃないようだけど。顔が引きつったのを悟られないように、私は「へえ〜」と大袈裟な反応をしてみせた。


「黒尾さんて、佐々木さんより……下? ですっけ」
「一個下の新卒なの。あの人が入ってきた時、同期の中では話題だったな」
「へ、へえ……」
「なんか、背が高いと割増で見えるじゃん? 目立ってたよ。顔も悪くないし」


佐々木さんの言うとおり、黒尾さんは背が高い。顔だって「悪くない」どころか格好いいほうだと思う。
と言っても私が黒尾さんを格好いいと思い始めたのはつい最近のことなので、特別意識せずに居たなら、失礼だけど「悪くない」程度に思ってしまっていたかもしれない。

そんな黒尾さんが入社してきて、佐々木さんの同期の中では話題になっていたという。年上の人から見ても、やっぱり黒尾さんは魅力的に見えるのか。


「……その時、黒尾さんにアタックする人とかいなかったんですか?」


居たとしたらどうしよう。
居なかったとしても、私にとってメリットもデメリットも無いというのに。どうしてこんなことを聞いてしまうんだろう。下手をしたら私が彼を気になってるって、バレてしまいそうな質問を。でも気になっちゃうんだもん。


「いないいない。その時、超イケメンの社員が出向してきてたから! みんなそっちに釘付けだったよ。かっこよかったんだよ〜」


ひやひやしながら答えを待っていたけれど、どうやら心配には及ばなかった。佐々木さんにとっては本当に黒尾さんが眼中になかったらしく、当時出向に来ていた別の男性が気に入っていたようだ。そこから先は、その社員さんの思い出話に切り替わっていった。


「……ふう」


今日は朝から疲れたな。自分のせいなんだけれども。佐々木さんに黒尾さんのことをなんとなく聞き出そうとしたつもりが、あんなに神経を使う羽目になるとは。昨日と一昨日、少し帰るのが遅くなったから今日は早めに帰ることにしよう。このスカートにしわを作りたくないし。


「あ。もう上がり?」
「!」


打刻をして執務室を出ようとした時、ちょうど中に入ろうとしていた人物に鉢合わせた。これまでならきっと「もう上がり?」なんてことは言わず、「お疲れ様です」くらいしか言ってくれなかったであろう人物だ。


「黒尾さん……」
「今日は六ピタなのね」


しかも腕時計を見ながら、私の退勤が定時どおりであることまで確認していた。先週末、かなり遅い時間まで居たのが印象に残っているのだろう。黒尾さんのほうが遅かったけど。


「遅かったのはあの日だけなので……」
「うそー。昨日とかも残ってたじゃん」
「え」


昨日、ついでに一昨日も一時間くらい残業していたのを知られてる。黒尾さんもまだ残っているなとは思っていたけど、まさか彼が私のことまで把握していたなんて。


「ち……ちょっとだけですよ。ちょっと」
「ふうん」
「黒尾さんこそいつも遅くまで居るじゃないですか」
「あ、サーセン……働き方改革に適応できず残業ばっかりしてる駄目な社員なんすよ俺」
「え!? すみませんそういう意味じゃっ」
「はははっ」


突然お腹をかかえて笑いだした黒尾さんにびくっとした。いつもより声量の多い笑い声。というか、こんな冗談言ったりする人なんだ。どんどん黒尾さんの新しい情報が入ってくる。しかも本人から。他愛ない会話をしているはずなのに、私の中では緊張と興奮が入り交じっていく。


「俺、直行直帰の時もあるし意外と楽できてるよ。白石さんとかのほうがずっと事務所で見張られてて大変そう」
「見張られてはない……はずですが」
「見張ってるかもよ〜?」


また黒尾さんは、私に向けて初めて見せる顔をした。ちょっぴり悪い顔でフロアを見渡して、課長の席をちらちら見ながら「あの人とかね」と歯を見せて笑う。もちろん悪意などない冗談で、私を笑わせようとしてくれたのだと思う。でも残念ながら笑っちゃう余裕なんかない。既に「黒尾さん、そんな感じの人なの!?」というドキドキで頭がいっぱいだ。


「ごめん引き止めた。お疲れ様」
「あ、お疲れ様です……」


そういえば私は退勤するところなのだった。黒尾さんがそれを思い出して道を開けてくれ、エレベーターホールまでの廊下が見える。私はぺこりと頭を下げてその道を進んだ。この後ろ姿を黒尾さんに見られているかも、という緊張感とともに。本当は私のことなんて見てなくて、さっさと自席に戻っているかもしれないんだけど。


「あっ。白石さん」


ところが、何歩か歩いたところで背後から呼び止められた。黒尾さんの声に。びくっとしたけど咄嗟に振り返って、まだそこに立っている彼を見上げた。


「はい……?」


目が合うと、黒尾さんは開きかけた口を閉じた。かと思えばもう一度開いて何か言おうとしている。が、あっさりと首を振られた。


「あ、ごめん。やっぱいいや」
「へ?」
「やめておこう」
「??」
「ごめんごめん。じゃあね」


結局私を呼んだ理由は明かされないまま、黒尾さんは執務室に入っていった。

なんだろう。ドラマとかでよくあるご飯のお誘いって感じでもなかったし。もしかして仕事のことで私に指摘があったとか? 私、黒尾さんにかかわることで何かミスでもしちゃった?
気になるから最後まで言ってくださいなんて食い下がる度胸はなかったので、もやもやしたまま帰宅することになった。