パンドラ・デイ・フォー・ユー


クリスマスなんて、本来欧米では家族で一緒に過ごすもの。恋人たちのイベントだなんて騒いでいるのは日本人だけだ。

……と言ってみせれば「彼女が居ないからって僻むなよ」と言われるから黙っておく。実際俺は僻んでいるから。このようなロマンチックな日を好きな相手と一緒に過ごし、幸せな気持ちで終えられるような幸せ者は決して多くはないはずだ。
それなのに街を見渡せばカップル、カップル、こっちもカップル。手をつないで楽しそうに、あるいは今から告白するのかじれったい距離を置いて歩いているもんだから、俺は溜息とともに目を逸らした。
俺だって本当はあんなふうに誰かと手をつなぎ、イルミネーションを指さしながら「綺麗だな」なんて言いたいけれど。どうしてもそれは出来ないのだった。

というのも二学期の終業式、俺は思い切って告白した。ひそかに想いを寄せていたクラスメートの白石すみれに、好きだから付き合ってくれないかと。俺が今日をひとりで過ごしているのを見れば結果は言うまでもないが、まあ、玉砕だ。どうやら好きなやつが居るらしい。
知っていたとも。それくらい。だけどもしかしたら、告白したら俺を意識してくれるんじゃないかって思ったのだ。そんなわけは無かった。分かっていたとも。こんちくしょう。


「クリスマスケーキいかがですかー」


道端のケーキ屋では行列ができており、それでもなおケーキを売ろうとビラを撒いているサンタクロースが居た。正確には、サンタの格好をしたアルバイトの男が立っているのだが。その真ん前を通り過ぎたので、彼は俺にもビラを渡してきた。


「どうぞ! ケーキもう買いました?」
「え……? いや……まだ」


どうして制服を着た部活帰りの高校生に、しかも男子にそんな事を聞くのだろう。よほど売れ行きが良くないのか。しかし、店の行列を見る限りではそうは見えない。恐らく道行く人に声をかけ続けていたせいで、反射的に俺にも話しかけてしまったのかもしれない。そして俺が「まだ」と答えてしまったものだから、会話はそこで終わらなかった。


「せっかくなんでどうですか。小さめのも置いてますよ、彼女と二人で食べたりとか」


俺を店内に誘導しながら言うサンタ。産まれて初めてサンタクロースに嫌な気持ちを覚えたが、彼も仕方なく俺みたいなのを相手にしているのだからと気持ちを抑えた。
中に入るとショーケースの前は意外に空いていた。外に続く行列は、予約したケーキを受け取る人たちの列だったらしい。まだいろいろな種類のケーキが残っており、中にはサンタの言うとおり小さなものもある。とはいえ俺がこんなホールケーキを買って帰ったところで親は困るだろう。すでに買ってあるんだろうし。


「なにか気になるのありました?」


それなのに、サンタがずーっと俺の隣についているのでこっそり帰るのもままならない。こいつ暇なのか。もっと高いケーキを買いそうな人間が外をたくさん歩いているだろうに、営業がへたくそだな。ここまでされては何も買わずに帰るのは気まずくなってしまい、何か安くて日持ちのよさそうなものをひとつだけ買う事にした。


「えーと……じゃあこれで」
「あっ。いいですよねこの詰め合わせ! プレゼント包装しますか?」


彼女さんとケーキどうですか、とすすめておきながらこの質問。黙ってプレゼント用に包んでくれればいいものを。
賞味期限の長そうな焼き菓子を選んで後日自分でゆっくり食べようと思っていたのだが、ここで「いいえ。自分用なので」と言う度胸は無い。俺はちょっぴり見栄を張った。「はい。プレゼント用で」と。


「リボンはどちらの色がいいですか」
「え? ええー……どっちが人気ですか」
「ゴールドと赤の二連なんかいいですよー」
「じゃあそれで……」
「はい。ちなみに、彼女さんへのプレゼントか何かですか」


このサンタクロースは俺に彼女という存在が居ないのを知ったうえで接客しているのだろうか。溜息をつくのは我慢したが、俺の顔は引きつっていたに違いない。しかし彼も一生懸命に仕事をこなしているのだろうし、怒るわけにもいかない。何より俺にもプライドってもんがあるのだ。こんな日にこんな場所でこんなものを買っておきながら、否定するのは大恥である。


「そうですね、まあ」


俺はそれが彼女へのプレゼントであると伝えた。そういう事にしておけばこの場はスムーズに事が運ぶし。俺の財布と心がちょっぴり寂しくなるだけで。
まあ、いつかこれも笑って話せるネタになるだろう。そう言い聞かせる事にして支払いを済ませ、使う予定のないメッセージカードまで受け取った時であった。隣にいる客が、じっと俺を見ている事に気付いたのは。


「夜久くん、何してるの」


その声を聞いて、顔を見て俺は絶句した。立っていたのは白石すみれ。先日の終業式で告白して、振られた相手だったのだ。


「……彼女にあげるの?」
「うえっ? なんで」
「さっき、彼女へのプレゼント用って言ってた」


聞かれていた。あのサンタ、末代まで恨んで呪ってやる。
ただクラスメートに変な見栄張りを聞かれたのみでなく、俺は白石に数日前に告白したばかり。その俺がクリスマスの今日「彼女へのプレゼントです」と焼き菓子の詰め合わせを買っている。そんな馬鹿な話は無い。白石はじっとりとした目で俺を睨み、ぐんぐんと好感度が下げられているのを感じた。


「夜久くん彼女いたんだ」
「ちが……」
「私に告白したのって何だったの?」
「ちょ、シーッ」


店内でこんな修羅場みたいな会話はしていられない。俺には非など全く無いのだから。慌てて白石を店の外へ押し出し、あの忌々しいサンタの目の届かないところまで離れた。


「……はあ。違うんだよコレは……彼女とかそういうのじゃなくて」
「彼女って言ってたじゃん」
「違うの! 誤解だよ」


どこからどう説明すればいいのやら。理解してもらうためにはさっきの出来事を全て伝えなければならない。くそかっこ悪い。しかし白石に軽蔑されたままで居るのだけは御免なので、恥を忍んで事の端末を説明した。


「……ほんとうに?」
「ほんとだよ。男がこんなもん買って自分用だなんて言えないだろ」
「ふーん……」


白石はまだ半信半疑の様子だったが、少なくとも俺に彼女が居ない事は伝わったようだ。そうでなきゃ困る。俺は振られた今でもこの子が好きなのだ。


「白石こそ、こんなとこ来て何してんの? 好きな人へのプレゼント探し?」


情けない話はさっさと忘れてほしいので、俺は白石に話を振った。自虐的な内容ではあるけれども。好きな人がいるから、と言って振られた俺にはこのくらいしか言えないのだ。むしろこんな会話を振れる俺を誰かに評価して欲しいくらい。
しかし白石は浮かない様子で唸ったかと思うと、そのまま顔を伏せてしまった。


「…… 白石?」
「悪かったですね」
「え?」
「振られたんだよ。ついさっき」


俺はまた絶句した。もしかして聞いてはいけない事を聞いてしまったのか。


「……告白して、だめだった。彼女いた」
「え……」


そこまで言うと白石は、本当にさっきの出来事だったようで、泣くのを堪えるように鼻をすすっていた。
どうしろと言うのだ、俺に。いや、どうにかしろと言われているわけじゃないけれども。俺は白石に振られ、白石は別の想い人に振られ、二人して聞きたくもないクリスマスソングの流れる街に立ち尽くすなんて。


「……あー。なんか……ごめん」
「いいの。私こそごめん」
「謝んなよ」
「だって私は、夜久くんの気持ちを知ってるのにこんなこと」


確かにそれもそうである。俺は白石すみれの事を結構前から好きだった。本人にも伝えた。振られたからってすぐに諦められるはずもないし、「諦めない」と言った記憶もある。それなのに、別の男に振られたからといって泣かれても。俺はどんな振る舞いをするのが正解なのだろう。まさか喜ぶわけにもいかず、喜びの感情も生まれてこず。


「……振られるのって、つらいね」


白石はポツリと呟いた。まるで誰かに告白をして振られたのは初めてであるかのように。俺も告白して振られたのは初めてだった。俺を振ったの、お前だけどな。


「まあ……うん。辛いよ。それなりに」
「ごめん……」
「いんだよ。好きでもないのにOK出されるほうが辛いわ」
「はは」


力の入らない声だったけど、笑う余裕はあるらしい。身を切る渾身の自虐ネタで笑ってくれて何よりである。


「私はね、傷心を誤魔化すために甘いものでも食べようかなって思って。それであのお店に入ったんだ」


落ち着いて話す余裕のできた白石は、今日あの店に来た経緯を話し始めた。振られて悲しくて傷ついて、それを甘いもので誤魔化そうとしたのだと。女子ってそういうところあるよな、と言うのは心の中に仕舞っておいた。


「……そしたら夜久くんが彼女へのプレゼントなんか買ってるからビックリ」
「ばっ、彼女じゃねえし」
「あはは。ごめんごめん」


白石はまた力なく笑った。目は笑っていない。声だけ平仮名で「あはは」と発音しているだけの、ただの音声であった。


「……さいてーだね私。」
「いいってべつに……」


目の前にいるのが俺で、最近自分が振った相手である事を思い出すと白石はまたゴメンと謝罪をしてきた。
謝られると、いたたまれなくなる。それならお前は振られた相手を忘れてすぐに俺を好きになってくれるのか? そんなの無理に決まってる。だけど、傷心真っ只中の白石にそれを言えるはずもなく。会話に困っていると、ちょうど手の中に珍しいものがあるのを思い出した。


「なあ。これ、いる?」


さっき買った、というか買わされた焼き菓子である。それを白石に見せると何度か瞬きをして、心底不思議そうに言った。


「……なんで?」
「要らないから。家にたぶんケーキあるし」
「でも……」
「いいから貰って。カッコつけさせてよ」


戸惑う白石を無視して、俺は彼女の手元に押し付けた。
どうせ白石は甘いものが欲しかったのだから、そんな人に食べられるほうが作った人も嬉しいだろう。仕方なく買った俺が食べるよりも。それに振られた相手とはいえ、好きな女の子にずっと暗い顔をされるのは気分のいいものではない。
白石は「ありがとう」と受け取りはしたが、鞄に仕舞うことはせずそれを見つめていた。とても複雑そうに。


「……貰ったからってまだ、夜久くんの彼女になったわけじゃないからね」
「分かってるよ。もう忘れてよソレは」
「検討するだけだからね」


くしゃ、という音がラッピング袋から聞こえてきた。白石の手に力が入ったのだ。そして俺の拳にも目にも力が入った。


「検討してくれんの?」


俺と付き合う事を? しかし白石は他のやつに振られた直後だ。今ひとつどういう意味だか分からなくて、俺は首を傾げた。


「……ありがちだよね。傷ついてる時って、優しくされると嬉しくて」


白石は弱々しく言った。そういう事か。だけどそれは俺にとって不本意である。


「俺は弱みに付け込もうとしたわけじゃねえぞ」
「知ってるよ。夜久くんそういう人じゃないし、」
「他の男の代わりになろうともしてない」


俺は俺の力で白石に振り向いてもらいたい。たまたま会ったタイミングがラッキーだったとか、そういう事は無しにして。振られたから悲しくて、悲しい時に優しくしたからといって嬉しくなられても。会ったのが俺では無かったとしても起こりうる事なのだから。
……と少し憤慨した気持ちを込めて言ってみると、白石は八の字に眉を下げた。


「ごめん。そういうつもりじゃなかったの」


それからまた泣きそうに、いや既に泣いてしまった。この涙の原因は一体なんだ。俺の言葉が悪かった? だけど俺だって同じくらい泣きたい気分だ。


「……泣かないでよ。俺が泣かせてるみたい」
「夜久くんだもん」
「俺かよ」
「夜久くんが良い人だから悪い」


またそういう事を言う。白石はずっと前から誰にでもこんなふうに言うのだ、褒め上手だし、人の気分を良くしてくれのが上手い。相手が男女どちらであっても。だから好きになってしまったのだが、「良い人」だと褒められてこんな気分になるのは初めてだ。
少しの間、白石の涙がおさまるまで道の端っこに立っていた。俺が居なきゃ泣いてる姿が丸見えだし、知らない人には見られたくないだろうから。一人にしたくなかったのもある。そして、俺が白石と離れたくないというのも。

やがてポケットからティッシュを出した白石が鼻をかみ始めたので俺は目を逸らしておいた。すると空がすっかり暗くなっている事に気付く。ホワイトクリスマスにはならなかったが、雨も降らず雲も少なく、記念日としてはとても良い天気ではないだろうか。


「白石、見てアレ」


俺はとある方向を指さした。鼻をかみ終えた白石が顔を上げ、俺の人差し指の先を見つめる。さっきはまだ明るくて気付かなかったけど、そこはイルミネーションが施された美しい道になっていた。


「……わあ」
「ちょーすげえ」
「ね、すご」


しばらく俺たちは息を呑んで、その美しさに見入っていた。イルミネーションだとか星だとか、そういうのに心を奪われる人間じゃないんだけど。隣に月岡が居て、今日がクリスマスである事が余計に俺をロマンチストにさせたのだろう。


「……好きなやつと見たかった?」


何を思ったのか俺は、こんな質問をしていた。とことん自虐的な話しか振れない男のようだ。白石はウーンと夜空を見上げながら考えていたけど、すぐに俺に向けて言った。


「夜久くんと見られてよかったよ」


さっきまでの悲しそうな笑顔じゃなくて、心があったまるような優しい顔で。その顔が作りものでは無いことぐらい分かる。何度も言うが俺は白石のことが好きで、ずっと彼女を見てきたのだから。


「ずりー奴だよ……」
「なに?」
「なにも」


聞こえてんだろ、本当は。だけど今日はこれで終わりにしておく。予想外の出費や偽物サンタの接客も、今ので全部忘れてしまいそうなほど嬉しかったのだ。
やっぱり俺は彼女の事を好き。簡単には変わらない。クリスマスの夜に二人で眺めたイルミネーションはずっと脳裏に焼き付いていて、さよならを言って別れた後も鮮明に覚えていた。