ひとり暮らしを始める時、実家から卒業アルバムを持ち出すかどうか悩んだ。重たいし、分厚くて場所をとるし、高校時代の思い出を大学にまで引きずりたくなかったせいでもある。卒業式で気持ちを伝えられなかった相手のことを、いつまでも引きずるなんて男らしくない。全て忘れて勉学に励もう。そう思って、卒業アルバムは実家の本棚の隅っこに押し込んだ。
これを開く事はもう無いだろう。俺がいつか結婚でもして、子どもが産まれて、「お父さんの若い時ってどんなの?」なんて聞かれれば別だけど。


「衛輔ー、本棚どうする?」


高校を卒業してから二年が経った頃、実家をリフォームする事になった。もともと中古の一軒家だったから、自分たちの暮らしやすいようにするらしい。手のかかる息子も家を出たし好きにしたいのだろう。
俺は特に反対する理由もなく賛成だ。ただ、実家にある俺の部屋も片付けなきゃならないが少し面倒。そして、今は一番厄介な本棚と向き合っているところ。


「本なあ……漫画売ろっかな。コレとかもう読まないし」
「アンタなかなか帰ってこないんだから、早めに綺麗にしといてよ」
「わってるよー」


ひとり暮らしが快適なおかげで、たまにしか実家に戻らない俺なのだった。帰ろうと思えば頻繁に帰れるんだけど、俺もアルバイトとか始めてるし、嬉しい事に彼女が居る時期もあったりして帰る頻度が少ないのである。まあ、彼女とは半年以上前に別れましたけど。
本棚を整理していると、懐かしさを覚えるものから全く記憶にないものまで様々な本や漫画が入っていた。クラスメートに借りっぱなしだった成人向けの雑誌とか。これ、親に見つかってたらアウトだったな。ほっと胸を撫で下ろしながら次の漫画か本かを取ろうとした時、足元に何かが落っこちた。


「イデッ!」


それが相当重かったので俺は悲鳴をあげた。色んな箇所から本を抜き取っていたおかげで、バランスを崩した一冊の本が落ちてしまったらしい。俺の足の上に。さて何だろうと涙目で視線を落とすと、そこには高校の卒業アルバムが。


「……あ」


しかも、落ちた拍子にあるページが開かれていた。
しばらくは開かないだろうと思っていたページ。下手をしたら、もう二度と開かなかったかもしれないページ。そのページには高校最後のクラス写真が載っている。それだけなら良いのだが、卒業時の俺はそこにあるものを挟み込んでいたのだ。好きだった女の子に、卒業式で渡そうと思って結局渡せなかった手紙を。


「げえ……」


俺は思わず顔を歪めた。こんなものを大事に挟んでいたのはすっかり忘れていたし、こんな時にこの手紙を再び目にしてしまうなんて、タイミングが良いんだか悪いんだか。
なんたって今夜は、このクラスの人間が集まる同窓会が行われる日なのだから。


「夜久!久しぶりー」


集合場所は地元では少し有名な居酒屋で、成人済みの俺たちの団体予約を快く受けてくれたらしい。何でも元クラスメートの誰かがここでバイトをしているのだとか。
クラスメートたちには成人式の時にも一度会ったので、大して久しぶりという感覚は無いのだけれど。今日はなんだか浮き足立ってしまった。ついさっき、実家でアレを見つけてしまったから。


「あっ。夜久くん?」


その声に、姿に、身体中で反応してしまった。白石すみれ、つまり俺のラブレターの相手がそこに居るのだ。


「白石……」
「久しぶり。なんか大人っぽくなったー」
「そ、そっちも」


何も気の利いた事が言えない時分が恨めしい。この数年、白石の事をこんなに意識した事なんて無かった。彼女は成人式の時インフルエンザで来ていなかったし、白石を思い出すきっかけが存在しなかったのである。
白石は高校の時よりも少しだけ小さく見える。髪色は相変わらず控えめだ。ただ服装は音駒高校の制服ではなく、立派な女子大生のそれである。俺の目に狂いはなかった。やっぱり白石は、好きになって然るべき女の子だ。

やがてちらほらと人が集まり始め、定刻を過ぎたので同窓会はスタートした。ちなみに俺はわざわざ黒尾から遠い場所に腰を下ろした。何故ならあいつとは同じ大学なのだ。普段嫌というほど会っているので、今日は懐かしい面々との時間を楽しみたい。特に、運良く隣に座ることのできたこの女の子と。


「ねえねえすみれ、彼氏とはどうなの?」


しかし、俺は白石には気軽に話しかけられない。緊張しているから。代わりに向かいに座る女子が話を盛り上げていた。普段なら女子の恋バナなんて耳を背けたいんだけど、今日ばかりは聞き耳をたてた。
白石に彼氏が居る。いやそりゃあ居るんだろうけどさ、俺だって去年は居たし。
どんな返事が繰り出されるのだろうと構えていると、白石はその質問には苦笑いで答えた。


「ああー……あの人ね。別れちゃった」
「えっ!?」
「なんか話が合わなくて」
「えー、医学部もったいなーい」


医学部もったいないってどういう台詞だよ、気持ちは分かるけど。しかし向かいの女子はそれ以上は言わず、また別の女子に「こないだ言ってた子と進展あった?」と話を振っていた。

その途端に俺の周りに流れる空気は止まってしまった。確かに周りは騒がしくしているのに、とても静かになったような感覚。隣に白石が座っているから。
俺も何かを話したい。けど、何を話せばいいのやら。「そういえば今日、白石に渡そうと思ってた手紙見つけてさあ」……言えるわけない。
白石もこの沈黙を破るべきだと思ったらしく、当たり障りない事を聞いてきた。


「夜久くんはどーお?大学」
「……え。いや、楽しいよフツーに」
「そっか。ならよかった」


そう言って、目の前にある色鮮やかな飲み物をごくりと飲んだ。
白石ってお酒とか飲むんだ。なんていうお酒?俺も飲んでみようかな、と頭の中では台詞がどんどん浮かぶのに上手く声に出ない。そんな俺に気付いているのかは分からないが、白石は話を続けた。


「今日さ、もし夜久くんに会えたら聞こうと思ってたんだけど」
「あ、うん。何?」
「卒業式のとき、何か言いかけた?」


箸を持っていた手がピタリと止まった。危うく手元から箸を落としてしまうところだ。
卒業式の日、俺は確かに白石へ声を掛けた。手紙を渡そうと思ったのだ。だけど結局その勇気は出ずに、配られたアルバムのページへ手紙を突っ込んだ。


「……いや……覚えてない」


極力声が震えないように答えた。二年以上も前の事だ、そんな些細な事なんて覚えていないのが普通だ。


「ふうん……」


しかし白石はやや残念そうに返事をした。
それからずっと黙り込んで、既に氷しか入っていないグラスを何度も何度も口に運んでいる。何かを考えているのには間違いない。でも何を?俺、何かまずい事を言っただろうか。
「ごめん、ほんとに覚えてないんだよ」とフォローの言葉を入れようとした時、遠くの席から俺を呼ぶ声がした。


「夜久くーん、こっち来て来て!黒尾くんがさあー、」
「あっ。うん、何?」


俺は咄嗟に反応した。名前を呼ばれたらそっちを振り向いてしまうのは仕方ないだろう。そして大きく手招きされるので、黒尾がどんなバカをしたのか気になって俺は立ち上がろうとした。が、それは適わなかった。誰かの手が、席を立とうとする俺の手をぎゅうっと押さえたのだ。


「……白石」
「ここ居て」


白石はテーブルを睨んだままではあったが、はっきりと言った。
座敷席のおかげで、俺の手が彼女の手によって押さえ付けられているのは誰にも分からない。だから俺がなかなか立ち上がらないのを、黒尾らのほうは最初は不思議がっていたけれど。すぐに別の話になったらしく、もう俺を呼ぶ声は無くなった。それなのに、それからもずっと白石は俺の手を押さえていた。うつむき気味の真っ赤な顔で。


「……酔ってんの?」


隣でこんな顔をされるという事は、酔っているか、そうじゃないかの二択だ。
白石は俺の問いに対して首を横に振ったので、もうひとつの答えに辿り着く。そうなれば俺は居てもたってもいられない。すぐにでもここを出たい。周りの目があるこんな場所からは離れたくて、彼女の手をはらい少し強引に立ち上がった。


「トイレ行く」
「えっ」
「白石は?トイレ大丈夫?」


最初はぽかんと俺を見上げていた彼女だったけど、どうやら意図を理解したらしい。手元にある鞄を肩にかけながら、白石も立ち上がった。本当はトイレに行きたいなんて思っていない事が、上手く伝わったようだ。

盛り上がっている店内から二人で姿をくらませるのは簡単な事だった。トイレに行くふりをして出てきたし、もちろん自分たちの飲み代は机に置いてきたので、無銭飲食なんかじゃない。


「抜けてきて大丈夫だったかな」
「だいじょぶだろ。どうせまたするだろ、同窓会的なの」


自慢じゃないが高校最後の俺たちのクラスはかなり仲がいいので、またすぐに誰かが企画するに違いない。だから今日ばかりは抜け出すのを許して欲しかった。全てのタイミングと偶然が合わさってしまったのだから。


「ごめんね。もっと居たかった?」
「俺はいいよ。そっちこそ友だち置いてきちゃったけど大丈夫?」
「うん。今日の目的は夜久くんだし」


夜道をすたすたと歩いていた俺の足が、ゆっくりと止まった。白石を見ると何やら鞄をごそごそ漁り、目当てのものを取り出した。そしてそれはすぐに、俺の胸元へと差し出される。


「あげる」


真っ白な封筒がそこにはあった。周りが暗いから余計に白く見えてしまう。手紙も、白石も。


「……なにこれ」
「んー……手紙」
「それは見たら分かる」
「正確には、渡すタイミングを逃した手紙」


心臓がどんどん鼓動を速めているのを感じた。


「ずっと仕舞ってたんだけど。こないだ机の奥に入れてるの、偶然見つけちゃって……そしたら、あの時の気持ちが蘇ってきた」


白石は俺がまだ受け取ろうとしないので、ずっと手紙を差し出す体勢だった。本心ではもちろん受け取りたい。だけど動揺して身体が動かなかった。それに今は、白石の話す一言一句に集中していたかったのだ。


「今日告白して、ダメなら諦めよって思って。だから彼氏とは別れたの。私のわがままで」


そこまで言うと白石は「受け取ってください」と言い、今度は俺の手元に手紙を置いた。
受け取らないわけがない。俺はそれを片手で受け取った。本来なら両手で丁寧に受け取るべきだと分かっているけど、もう片方の手は別の事で忙しかった。自分の鞄の中を引っ掻き回すのに必死だったのである。そうして見つけ出した封筒を、俺も白石に差し出した。


「やる」


最初に手紙を取り出したのは自分のくせに、白石は珍しい生き物でも見るかのような目でそれを見ていた。


「……なにこれ」
「手紙」
「それは見たら分かるよ」
「正しくは、渡すタイミングを逃した手紙」


俺は白石の言葉をそのまま使って言った。そうすれば手紙の中身が何であるか、何と書かれているか伝わるだろうと思ったから。


「卒業式で渡そうと思ったんだけど。渡す勇気なくて、アルバムに挟んで仕舞ってた。……今日部屋の片付けしてたらアルバム落っこちてきて、で……それ見つけた」


白石は俺の言葉を最後まで聞き終えると、両手で手紙を受け取ってくれた。表に書かれている「白石へ」の文字と裏面の「夜久」の文字を確認し、しばらくは瞬きもせずにそれを眺めていた。
汚い字だからあまり直視しないでもらいたいけど。気持ちは分かる。俺も白石からの手紙にある「夜久くんへ」という宛名書きを、何時間だって見つめていられる自信があった。


「読んで。俺の気持ち変わってないから」


そう伝えると、ようやく白石は頷いて手紙の中身を広げ始めた。それを見届けて俺も、彼女からの手紙を開き読み進める事した。
恐らく内容は一緒で、同じくらいの長さで、締めくくりも同じような感じなのだろう。それを卒業式から今までお蔵入りさせていたなんて、あまりにも間抜けだけれど。手紙を同時に読み終えた時、そんなのどうでも良くなるくらい幸せだったから気にしない事にした。


こいぶみポーター


hq夢企画サイトアルストロメリアの在処に提出させていただきました。ありがとうございました!