鼻の先に散ってきた花びらをふうっと吹くと、思いのほか舞い上がってひとりで笑ってしまった。
今日は入学式。空は快晴で風は気持ちよく桜も満開、新入生を迎え入れるには絶好の日になりそうだ。生徒会(といっても書記だけど)として入学式の準備・進行の用意をしている私は朝からとても気分が良かった。天気がいいのも理由のひとつ。椅子を並べたり色々大変な事もあるけれど、それらをバレー部が手伝ってくれるのだ。それが私の気分を良くしてくれるもうひとつの理由である。


「ふぇ、くしょっ」


椅子を並べる前に、床にシートを敷いてくれているバレー部の生徒たち。桜の花びらが鼻をくすぐったらしく、一人の男子がくしゃみをしていた。彼こそが私の意中の人物である。


「くしゃみの時は口を覆ってください」
「ウルセー」


バレー部の仲間に注意を受けた彼は白布賢二郎くんと言う。
白布くんは一年生の時にクラスが一緒で、有り難い事に今年も同じクラス。これまであまり会話はしてこなかったど、私はすぐに彼を好きになった。女性のように美しい顔をしているのに言動がちょっぴり乱暴で、だけどしっかり優しくて、意外と周りの事をよく見てる。そして何より私を生徒会に推薦してくれたのが白布くんなのだ。


「っくしょい」


白布くんはもう一度大きなくしゃみをした。花粉症かなと思ったけれど、また彼の顔の周りに花びらが舞っていたので、鼻がくすぐったかったのかと思われる。その隣では同級生の川西くんが顔をしかめていた。


「賢二郎ーまたー」
「両手に椅子持ってんだから仕方ないだろ」


そう言うと、白布くんは持ち上げている椅子を床に置いた。シートを敷き終えたので今度は椅子を並べてくれるのだ。
白布くんたちは舞台の下手あたりに居て、そこは窓から近い位置。時々風が吹くと桜の花が舞うのが見えていた。


「窓閉めたほうがいいかな」


作業の邪魔になるのなら。そう思って話しかけに行くと、真っ先に川西くんが頷いた。


「あ、うん。閉めてくれると有り難いです」
「いや別に閉めなくていい」
「え?」


閉めなくていい、と言う白布くんに私も川西くんも驚いた。見たところ最も花びらの被害を受けていたのは白布くんだから。しかし川西くんも鼻をシュンとすすっており、桜だけでなく飛び交う花粉が辛いように見受けられる。


「俺、花粉症なんですけど」
「マスクしろよ。とにかく閉めなくていいから」
「あ、うん…ほんとに?」


ちらりと川西くんのほうを気にしつつ聞くと、川西くんは答えづらそうに目を泳がせていた。主導権は白布くんが握っているらしい。その白布くんは私の問いにすぐ頷いて、窓の外を指さした。


「外の景色見えてる方がいいと思うし」
「え、賢二郎そういうの気にするんだ」
「そっちのほうが入学式っぽいだろ」


意外そうにする川西くんにぴしゃりと言い放つと、白布くんはその場に椅子を並べ始めた。


「…うん。じゃあ開けとくね」


私はそのように言い残し、自分の持ち場に戻る事とした。笑顔が満面に広がるのをおさえながら。白布くんが、私と同じ考えを持っている事が嬉しくて。「いい入学式にしたい」って、白布くんも思ってくれているのかなぁと。
だって私と白布くんが初めて会った入学式の日も、今日のように桜が綺麗だったものだから。



それから数時間後、入学式は無事に終了した。新入生はちょっぴり緊張していて笑顔が少なかったけど。体育館を出る時に視界に広がる桜を見て、ほんの少し表情が緩んだようにも思えた。


「今日はありがとう」


入学式が終わってすぐに片付けに入る白布くんに、お礼を言っておいた。白布くんは「ああ」と低く唸って終わりかと思ったけれど、そうではなく。椅子を重ねながらこう言った。


「いいよ。どうせ俺らが使う体育館だし」
「うん、でも」
「去年は先輩がやってくれてた事だし」


そして、四脚めの椅子を重ねた。
白布くんの言うとおり、去年、私たちの入学式では現在の三年生が準備をしてくれた。毎年バレー部の二年生が入学式の準備から撤去までを手伝ってくれるのだ。何故ならこの体育館は普段、男子バレー部が使用する場所なのである。でも先ほど私が伝えたお礼は、 それについてではなくて。


「それもなんだけど。窓ね、開けたままでいいよって言ってくれて嬉しかった」


私は桜の花が好きだ。出会いと別れの春には良い事だけでなく、悲しみや不安も確かに存在するはず。そのマイナス面を桜が明るく綺麗に彩ってくれるのだ。それに桜を見ると、白布くんに会った日を思い出す事が出来るから。


「……そう?別に普通じゃない?」
「え、あー…うん。大したこと無いかもしれないんだけど!私も白布くんと同じ意見だったから」


外が見えているほうがいい、と言うのを白布くんがどういう意味で言ったのかは分からない。まあ、もしかしたら「他人の後頭部しか見えない空間なんてつまんないだろ」って意味だったかもしれないけれど。


「白石さんがそう言ってたからだよ」


しかし、白布くんは予想もしなかった事をしれっと言ってのけた。


「…そうだっけ?」
「今朝、準備の前に。桜が見えてるのいいねって話してた」


それを聞いて、顔が一気に熱くなるのを感じた。
確かに今朝、椅子を並べるためのレイアウト図を配りながら、同じ生徒会の同級生とそんな会話をしていた。それを聞かれていたなんて。私がそう言ったから、白布くんが窓を閉めずにいてくれたなんて。


「……そんなの聞いてたの」
「聞こえた」


白布くんは特に顔を上げたり私のほうを見る事無く、椅子を片付け続けていた。良かった、さっきの赤い顔を見られずに済んで。きっと私の頬は桜よりも鮮やかに染まっていたに違いない。


「…あのね、去年の入学式も桜がいっぱい咲いてたの覚えてる?」


私もそばにある椅子を持ち上げながら聞くと、白布くんは「覚えてる」と短く言った。


「あれが綺麗だったから、ちょっとだけ緊張が和らいだっていうか。今年の一年生にも見せてあげたいなって思ったから…まあ外に出れば見えるんだけど…」


私、何をべらべらと喋ってるんだろう。白布くんの行為があまりに嬉しかったものだから浮かれているかも。白布くんと出会った春の事を勝手に語り出してしまうとは。ほら、彼は返事もせずに黙々と片付けをしているじゃないか。
…と思ったけれど、ちょうどその時白布くんの手が止まった。


「だから入ればって言ったんだよ。生徒会」


そして、この会話の中で初めて白布くんが私を見た。目にしたもの全てを射貫くような瞳に、「え?」と呆ける私の姿が写し出される。


「白石さんは他人の気持ちを考えられる人だから」


しばらく私たちの周りだけ音が消えたような気がした。
私の聴覚、失われたかもしれない。それほど私は自分の世界に入り込み、自分の過去を振り返っていた。白布くんが私を、生徒会にすすめてくれた時の事を。
生徒会長が投票で決定し、その他のメンバーが集められていた時、ちょっぴり興味があるなと呟いた私に「向いてると思うよ」と言ってくれた。それが白布くんであった。
どうして私が向いていると思ってくれたのか不思議だったけど。私が、「他人の気持ちを考えられる人だから」って?


「え、ッ!? そ、そんな事ない」
「あると思うけど…」
「ないない絶対にない!」
「そんな否定しなくても」
「だってさあ!」


そんなの面と向かって言われた事が無い。親にだってそんなのを褒められた事は無いのに。


「白布くんにそんなとこまで見られてるなんて思わなくって…」


嬉しいような恥ずかしいような。その混乱を隠すために、私は手を休めること無く椅子を畳んでは片付け、畳んでは片付け、を繰り返した。

白布くんもそんな私を見てもう何も言わず、私たちはひたすら椅子を片付けたのち、床に敷いていたシートはバレー部の人が撤収してくれた。 やがて全ての片付けが終わり、先生や他の生徒会メンバーもバレー部に礼をし、それぞれ散り散りになっていく。


「…もう練習始まるから、出てくれる?」
「え。…あ!」


私はぼーっと考え事をしていて(それが白布くんの事だとは言えない)、立ち止まっていたのを白布くんに注意されてしまった。最悪だ、今、絶対に変な顔してだと思う。私は慌てて体育館の入口に向かった。


「じゃあ私はこれで…部員の皆さんにもう一回お礼言っといて」
「うん。……」


体育館を出ようとすると、白布くんが何か言いたげに口を開きかけていた。
どうしたんだろう。白布くんの目は焦点が合っているような、そうでないようなどこか広い範囲を見ているようだった。でも彼の視線の先には確かに私が居るので、私に何か言い残した事があるのかなと思えた。


「…なに?」
「いや、」


白布くんは軽く首を振って、それからまた軽く口を開いた。


「すげえ綺麗だなって思って」


びゅうっと風が吹いて、口の中に花びらが入ってきた。
つまり私は口を大きく開いたままで固まっていた。白布くんが私を見て「綺麗」だなどと、しかも冗談ではなくて真顔で言うなんて?


「……き」
「じゃ、また」
「え」


ところが白布くんは顔色ひとつ変えずに、体育館内へと歩き出してしまった。
もちろん私はしばらくそこから動けず、歩いて行く白布くんの背中を見つめていた。白布くんの足が一歩進むたび心臓がドクンドクンと高鳴っている。遠ざかっているのに、鼓動はどんどん大きくなっている。白布くんに「綺麗」って言われた、その事実を受け止めるのに必死であった。


「いやいや…」


まさかね、空耳だ、きっと。
そう言い聞かせ、ようやく息を整えることが出来た私は右足を軸に振り返った。校舎に戻らなくては。

だけど振り向いてから、すぐに動く事が出来なかった。私は立ち止まったまま、目の前に広がる光景に見とれてしまったのだ。体育館の入口からずらりと並ぶ桜の木々が、あまりにも綺麗だったものだから。
もしかして、さっきの白布くんの言葉は私に向けて言ったのではなくて。


「……桜が綺麗って事…かな」


たぶん、そうなのだろう。白布くんも桜の花が好きなんだ。だから私と同じように、新入生に桜を見せようとしてくれたんだ。
納得のいく答えを見つけてようやく歩き出したけど、いつの間にか心臓の高鳴りは再発していた。


いつかチェリーピンクになるでしょう


白鳥沢学園企画"絶対王者"で書かせて頂きました、他にも素敵な白鳥沢が沢山いるのでぜひご覧下さい!