二月十四日

バレンタインにチョコを作った。「作った」と言ってもレシピを見ながら簡単な生チョコを作っただけである。
普段料理の手伝いなんかしない私が台所に立っているので、お母さんにはとても怪しまれたし、にやにやしながら「手伝おうか？」とも言われたけれど。それはお断りしておいた。私にとってはにやにやする余裕のない本命チョコなんだから！


『よかったら食べて下さい。白石』


メッセージカードにはそれだけ書いて、チョコレートのラッピングとともに紙袋に入れた。
とても緊張する。好きな人にバレンタインチョコを渡すなんて生まれて初めてだ。

その相手は同じクラスの影山飛雄くんという人で、教室ではちょっぴりぼんやりしている男の子。身長も高いし、ちょっとつり目気味なところが格好いい。だけどよくよく彼の事を知るうちに、興味のある事以外は抜けているところがあったり意外と愛嬌のある男の子なのだと知った。まあ、愛嬌があるよねって言うのを友だちに言ったら引かれてしまったので、恋愛フィルターがかかっているかも知れないけれど。
とにかくその影山くんにチョコレートを渡すべく、今日は気合を入れて登校してきたのである。


「チョコ持ってきたよ〜」


教室に入ると既にバレンタインムード一色で、他の女子が持ってきたチョコレートを広げているところだった。それらは手作りだったり市販だったりと様々。この流れや雰囲気に乗れば私も影山くんに渡せるだろうか？


「影山くんも、はいっ」
「ん。あざす」


ところがその時、別の女の子が影山くんにチョコを渡した。
目の当たりにするとやっぱりショックで、それが量産された義理チョコだろうと分かっていても、私は鞄に入れた手を引っ込めてしまった。しかも続けて聞こえてきた言葉はこれだ。


「わっ、それ誰かにもらったの？」


影山くんの鞄に入ったものを見て、女の子が声を上げたのだ。さあっと血の気が引く私。まさか、まだ朝のホームルーム前だと言うのに、もうクラス外の女の子にチョコを貰っているのか。


「あー、これは先輩から」
「先輩ってあの美人の？」
「えー…まあ。バレー部の三年の」
「ひゃー」


ひゃーって私も思わず声に出た。バレー部のマネージャーだった三年の先輩といえば、とても美人で有名なのだ。清水先輩だったかな。

先輩からのチョコレートという事は本命ではないかも知れないけど、もし清水先輩が影山くんに本命チョコを渡していたら…勝ち目はない。というか、既に二人が付き合っている可能性だってゼロじゃない。お似合いじゃんか。私より。

そんな事を考えていたらクラス内のチョコレート交換や男子へのばら撒きが盛り上がってしまい、影山くんも他の男子もいくつかのチョコレートを受け取っていた。鞄の中にはもう、私が持ってきた紙袋が入る隙間なんて無さそうだ。しかもこの場こんな気合いの入ったらチョコレートを出してしまったら、きっと注目の的である。
結局、私は教室の中で渡すのを断念したのだった。

◇

鞄の中に影山くん宛てのチョコレートを入れたままで迎えた放課後。ホームルームの後でこっそり声をかけて渡そうと思っていたら、彼は私が覚悟を決める前にさっさと教室を出てしまったのだ。

たぶん部室に行くのだろうと慌てて追いかけたところ、影山くんは早くも日向くんと合流していた。嘘、もうタイミング無いじゃん。


「え、それ俺にくれんの？」
「おう」


彼らは何やら会話をしていた。影山くんが日向くんに何かを差し出している。それは紛れもなくバレンタインのチョコレートであった。


「！？」


まさか影山くんが日向くんにチョコレートを？影山くんって男の子が好きだったのか。それなら私、はじめから望みが無かったんじゃないか。生チョコ、頑張って作ったのに。
…と色々な衝撃のあまり足元がふらついたけど、こっそり話を聞いていくと少し違うらしかった。


「嬉しいけどさー、お前もらったんならお前が食えばいいのに」
「そんなに甘いもんばっか食えるか」
「せっかく貰ったのに勿体ない」
「ウルセーどうせみんな全員に配ってたんだからいいだろ」


どうやら影山くんは貰ったチョコレートを自分では食べきれないとの事で、日向くんに分け与えているらしいのだ。日向くんも日向くんでそれなりの量を貰っているようだけど、妹と一緒に食べるのだとか。
なんだ。結局今から私があげても、影山くんの口に入る事はないんだ。
そう思うと「はあ」と大きな溜息が出てしまった。そして、それが影山くん・日向くんに聞こえてしまう距離に居るのも忘れてた。


「白石さん。どうしたっすか」


やばい。私の声、もとい溜息に気付いた影山くんがこちらを見ていた。こんな所で何してるんだという顔で。それもそのはずで、ここは放課後に帰宅部の生徒が通るような場所ではないのだ。


「あ、えーと…」


私は答えに詰まってしまった。どうしたって聞かれても、すんなり本人に言えるような事じゃない。心の準備をする前に影山くんを追いかけてきて、追いついてしまったのだから。


「何？」
「えー…とおおぉ…」


このままではかなり怪しい。影山くんは眉を寄せて、首を思い切り傾げていた。隣にいる相棒の日向くんもだ。しかし日向くんのほうが先に首を真ん中に戻した。


「俺、先に行こっかな！」


そして必要以上に大きめの声で言うと、走って部室へと行ってしまった。
もしかして日向くん、私が何のためにここに居るのか気付いてしまったのだろうか。気付いた上で、自ら席を外してくれたのだろうか。という事はそろそろ影山くんにもバレてしまうかも。


「…日向じゃなくて俺に用事？」


しかし心配には及ばず、影山くんは全く勘づいていないらしかった。良いんだか悪いんだか。という事は私は、今からバレンタインチョコを渡しますよと自分の口で言わなきゃならないって事だ。


「…でも、影山くんもういっぱいあるだろうから要らないかもだし、甘いのばっかり要らないって言ってたし、あのその」
「あ？」
「うっ！いや」
「悪い。聞こえなかった、もう一回言って」
「え」


早口でもごもごと喋りすぎたみたいだ。影山くんが一歩ずつこちらに近寄ってきて、私の話を聞く体勢に入ったではないか。
どうしよう、改めて目の当たりにすると大きくてかっこいい。クラスでもこんなに近くに来る事なんか無いんだもん。でも、いよいよ私の真ん前に立った影山くんに、つむじばかりを見せつけるわけにはいかない。上を向いて、顔を見て、言わなくては。


「……コレ、作ってきた…」


私はそろそろと鞄から紙袋を取り出し、影山くんの胸元へと差し出した。それに気付いた影山くんは一歩下がって、私の持っているものに目を落とす。


「俺の？」


目線だけを動かしながら影山くんが言った。私はウンと一度だけ頷いた。いま声を出したら変な声が出る気がして。


「バレンタインの？」


バレンタインに決まってるじゃん、と思ったけれど、私はもう一度ウンと頷いた。


「……」


それから影山くんはしばらく黙り込んで、チョコレートを受け取るかどうか悩んでいるかに見えた。しばらく、と言ってもほんの数秒くらいなのだけど。その数秒間に私は後悔ばかりが押し寄せた。やっぱりダメだ、渡さなければよかった、追いかけて来なきゃよかったと。


「ありがと」


しかしいい意味で予想外のことが起きた。なんと影山くんが、チョコレートの紙袋を受け取ってくれたのだ！まさか受け取って貰えるとは思わず、かなりの力で持っていたせいで袋が少しだけひしゃげてしまった。


「え…貰ってくれるの！？」
「おう。なんで？」
「だ、だって影山くんいっぱい貰ってたからもう要らないかなって…さっき日向くんに分けてたし」
「あー。うん、いっぱいは要らねえ」
「ですよね」
「でもこれは俺が貰う」


他の人にあげるほど、食べきれないほどのチョコレートを貰っているのに。私があげたコレも誰かに分けるのかもなって思ったのに。影山くんははっきりと「俺が」と言った。


「…どうして？」


ドキドキと、都合のいい期待のせいで心臓が勝手に加速し始める。 しかし影山くんは、私の質問には即答できないようであった。


「いや、なんか…なんとなく。そう聞かれると困るけど…何でだろな」
「はあ」
「けど、さすがに勝手に他人に回さないほうがいいだろうなってのは分かるから」


だから俺が貰っとくから。と言って、影山くんは確かにチョコを受け取ってくれた。
今日、渡す勇気が出るかどうかすら分からなかったけれど。今朝は色んな人からチョコを貰う彼を見て撃沈したけれど。まさか直接手渡せて、誰にもあげずに自分が貰うと宣言してくれるなんて！


「…あり、が、と…です」
「何で白石さんがお礼言ってんだ」
「あ」
「じゃ、貰っていきます」


最後だけ何故か敬語になって、しかもペコリと頭を下げてから影山くんも部室へと歩いて行った。すたすたと綺麗な姿勢で歩く背中が大きくて、あそこを歩くあの人がたった今バレンタインのチョコレートを受け取ってくれたなんて信じられなくて。
やっぱり私がお礼を言うべきだなぁと思って「ありがと！」と言った時には、影山くんはもう遠くのほうに居て聞こえていなかった。
あーあ、それでもいいや。今日は幸せ。帰って生チョコの残りを全部食べちゃおうっと。