20190127


毎朝同じバスに乗る男の子が気になっている。
彼は私よりも早くに降りてしまうのだが、降りる駅と制服を見れば青葉城西高校の生徒である事はすぐに分かった。「ちくしょう、青城には友だちが居ない」と嘆いたのもすぐだった。どうして青城を受けなかったんだろう私、そして私の友人たち。

私は吹奏楽部の朝練に出るためにラッシュ時よりも早い時間帯に登校しているけど、青城の彼も部活をしているようだった。きっと運動部だ。背が高いし、大きなエナメルのスポーツバッグを持っているし。
手にはいつもスマホが握られており耳にはイヤホンをしている、そんな男の子が気になり始めて既に数か月が経っている。
だから朝が苦手だった私が早めに起きて、寝癖を整えてからバスに乗るように心がけていたんだけど。


「すみません!乗ります乗りますっ」


今朝は寝坊してしまって、朝ごはんも食べないまま慌てて家を出てしまった。
バス停まで猛ダッシュし、どうしてもこのバスに乗りたい一心で運転手に大きく手を振ってアピールしながらなんとか乗車できたのである。本当はこのバスを逃しても部活にはギリギリ間に合うけれど、逃すわけにはいかないのだった。


「はー…」


間に合った。一安心して乗車口の付近で溜息をつき、次に深呼吸をしてから車内を見渡す。あの男の子がどこに乗っているのかを確認するためだ。だけどその姿を見つける前に、頭上から小さな声が聞こえた。


「イテ」
「っ!?」


びっくりして顔を上げると、そこには例の男の子が立っていた。しかも「イテ」と言って顔をしかめた状態で。
なんと私の持っていたトランペットのケースが、彼の脚に思い切り当たってしまったらしい。


「ご…す…ごめ、すみませんっ」


この人の位置を探すために勢いよく車内を振り返ったのに、その拍子で荷物を本人にぶち当ててしまうなんて最悪だ。「ゴメンナサイ」「スミマセン」どちらの言葉で謝るか悩んで変な言い方になってしまったし、もうこの恋は散ったかもしれない。


「大丈夫っすよー」


だけどその人はイヤホンをしたままではあったものの、笑顔でそう言ってくれた。
そしてまたスマホに目を落として、SNSを見ているのか誰かにメッセージを送っているのか分からないけど指を動かし始めた。


「………」


格好いい。仕草とか顔とか全部。
バスの中のほうはすいていて、席も少し空いているのに、私はこの場所から動く事が出来なかった。というか絶対に動きたくない。せっかくすぐ近くに立っているんだから。
しかし今日に限ってボサボサの髪の毛で駆け込み乗車するのを、こんなに近くで見られてしまったなんてなあ。それだけが残念だ。


「わ、」


その時、バスが急停車したらしくて車体が揺れた。
体勢を崩してしまったけど手すりを掴んで踏ん張って、なんとかよろけたり転んだりするのは防げたけれども。


「イテッ」


と、また頭の上で悲鳴がした。バスの揺れで私が動いたせいで、またもや脚にケースをぶつけてしまったのだ!


「!!ご、ごめんなさいっ」


冷や汗がタラタラである。気になっている人の脚を何度も攻撃してしまうなんて。中まで進んで椅子に座ればいいものを、わざわざ「この人にそばに立っておきたい」という欲のせいで迷惑をかけてしまうとは。今度ばかりは私も顔が真っ青になっていたと思う。もう誰にも当たらないようにケースを両手で抱きかかえて、何度も何度も頭を下げた。
すると、てっきり「ちゃんと持ってろよ」なんて睨まれてしまうのを覚悟していたけど、その人は口元に手を当てて震えていた。


「いや…フッ、大丈夫、ふふ」
「?」
「すみません、」
「え」


どうやら私の間抜けなミスが彼の笑いを誘ったらしい。ついにイヤホンを外して、くすくすと笑い始めた。こういう笑顔も格好いい…じゃなくて、しっかり謝らなくては。


「ほんと、すみませんでした…」
「いいですよ。いつも大荷物っすね」


そう言いながら、彼は私が抱えているトランペットのケースに目をやった。
その通りで、私はいつもこれを持っている。家でも練習しているし、毎日部活で使うものだから登下校の際には必ず持ち運んでいるのだ。だけど私が「いつも大荷物」というのを、どうしてこの人は知っているんだろう。もしかしてもしかして。


「…私のこと知ってるんですか?」
「知らないけど、毎朝同じバスだから」


やっぱり、彼も気付いていた。私の存在に。いつも同じバスに乗っている事に!他にも複数の学生が乗っているというのに?話しかけた事は無いけれど、この狭いバスの中、私たちはお互いの事を認識し合っていたようだ。

私は図々しくも思ってしまった。「これってもしかして運命なんじゃ?」と。これをきっかけに仲良くなれるのではないかと。
だとしたらまずは名前を知りたい、それから学年と、あと…ああもう頭がパニックだ。名前を聞いてしまえ。


「あの、よ…よかったら、」
「花巻ーおはよー」


私の声を遮って別の誰かが言った。ちょうど途中のバス停に停車したところで、人が乗ってきたのだ。毎回ではないが、時々このバスに乗って来る青葉城西の男の子である。いま名前を聞こうと思って話しかけようとしていたのに!
でも、おかげで聞かずとも名前を知る事ができた。彼の名前は「花巻」くんだ。


「おう。オハヨー」
「でもってハピバー」
「さんきゅー」


また私はよろけそうになった。バスの発車による揺れも原因のひとつだけれども、目眩がしたのだ。
だってこの人、花巻くん、今日が誕生日だったの?だからいろんな人から届いていたお祝いのメッセージに返すため、せっせと何かを入力していたとか?というか誕生日だって事前に分かっていれば、何かお祝いを渡す事が出来たのに。
…でも今日まで会話をした事が無かった相手にいきなりプレゼントなんか貰ったら気持ち悪いだろうか。


「…友達?」


花巻くんの隣にずっと立っている私を見て、もう一人の青城男子が言った。


「いや、違う」


即座に花巻くんは否定した。事実なのにかなりグサッと来る。そりゃあお世辞にも私たちは「友達」だなんて言えないけどさ。偶然同じバスに乗っているだけの、しかも楽器のケースを二度もぶつけたような女だけどさ。


「でもいっつも同じバス。デスヨネ」


だけど花巻くんは、こんなふうに続けて言ってくれた。ね、って私のほうを見下ろしながら。格好いい!…じゃなくて、そんなふうに思ってくれるなんて有難い。花巻くんってもしかして、すごく優しい男の子なのだろうか。私が「ハイ」と頷くと、一緒に居る男の子は首を傾げていた。


「へえ。知らなかった」
「お前、失礼なやつだなー」
「早起きした時しかこのバスじゃねーもん」


会話から察するに花巻くんは毎度この時間に乗るけれど、友人さんは普段もう一本遅いバスで登校するのだそうだ。だけど、そんな友人さんが私を知らなかった事に対して「失礼」と言ってみせるなんて、花巻くんって素敵なところしか見つからない。


「あの、今日…誕生日なんですか」


友人さんには申し訳ないと思いつつも、私は思い切って聞いてみた。どうにかこの機会に爪跡を残したい。会話を少しでも盛り上げたいし、私の事を意識して欲しい。
花巻くんは突然誕生日を聞いてきた私に最初はポカンとしていたけど、すぐに目を細めた。


「うん。タンジョビ!」


くらり、と今日何度目かの目眩に見舞われる。とてもいい笑顔で返してくれた。お祝いしなきゃ。お祝いしたい。おめでとうって伝えたい。


「…ええと…えっと、お…」
『青城高校前、青城高校前でーす』
「あ。ついた」


最悪のタイミングだ。いつの間にか花巻くんたちの降りるバス停に到着し、バスが停まってしまった。さすがに降車を引き止めるわけにはいかず、「今日も頑張るかぁ」と言いながら出口に向かう彼らを見送るしかなかった。

言えなかった。まあいいか、明日からも同じバスに乗るんだし。これからもう少し距離を縮めることができれば、それで。
そうだ、明日プレゼントにお菓子でも買っておこうかな。甘いもの好きかなあ。気持ち悪いかな、そういうの。次に会ったら下の名前を聞いてみようか。花巻くんとアレをしたい、コレをしたいという欲ばかりが増えていく。


『発車します』


運転手のアナウンスと同時にドアが閉まり、バスがゆっくりと動き始めた。
降りたばかりの花巻くんとその友人が、バス停から校門へ歩いていくのが見える。いつも花巻くんが見えなくなるまで後ろ姿を見ているので、今日も私は花巻くんを見つめていた。すこし猫背なのに、すらりとしてスタイルのいい花巻くんは友人さんよりもやっぱり大きい。


「あ」


ちょうど姿が見えなくなる前、花巻くんがバスのほうを振り向いた。
私の思い違いでなければその一瞬に目が合ってしまい、後ろ姿を見送っている事に気付かれてしまった。やばい。目を逸らそうとしたけれどもう遅くて(逸らしたくないし)、そのまま見ていると花巻くんは片方の手を挙げた。少しだけ、ほんの一瞬、私に向けて手を振るように。


「………!!」


私は窓にべったりと張り付いて、花巻くんの動きが幻覚では無いのかどうかを確かめようとした。が、願い虚しくバスは交差点を曲がり、彼らの姿はとうとう見えなくなった。
花巻くんに聞きたい事、言いたい事かまたひとつ増えてしまった。明日、私から話しかけてもいいだろうか。「昨日、手を振ってくれた?」なんて自意識過剰な事を。
きっと優しい花巻くんはそれが私の勘違いだとしても、笑って答えてくれるんだろうなあ。

Happy Birthday 0127