August 21st , Tuesday


携帯電話を握って、同じ文章を打っては消して・打っては消してを繰り返すこと三十分。たった一通のメッセージを送るかどうか悩むだけで、信じられないほどの時間が経ってしまった。しかも相手は恋人で、わたしの事をとても大事にしてくれている人だと分かっているにも関わらず。

この文章を送って嫌われてしまう事はまず無いだろう。引かれる事も怒られる事も無いと思う。ただ、恐らく困らせてしまうだろうと思ったのだ。「25日、夏祭り行かない?」と誘うだけのメッセージを打てないまま、わたしは眠りについた。

例え夏祭りには行けなくとも、時間さえ合わせれば学校で会う事はできる。夏休みの間は授業が無いので、バレー部の練習が終わるころを狙って時々学校に行くのだった。
もちろん隼人には「今日行っても良い?」と事前に連絡しておく。それに対してたいていは「待ってる」と返って来る。嬉しくなったわたしはちょっとした差し入れを持っていき、自主練中の隼人を呼び出して、ほんの少しだけ一緒に過ごす。本当に少しだけ、三十分とか、それくらい。それ以上の時間を奪うのは申し訳ないから今だけの我慢だ。


「じゃーん!新作」
「すげ、なんだそれ」


来る途中にコンビニで買った新作のグミは、噛んでみるとすうっと口内が冷たくなって気持ちが良い。体育館からちょっと離れたベンチに座って袋を開け、わたしたちは互いにそれを噛み始めた。


「うめー」
「かき氷味なんだって。ほらココ、三種類の味!」
「ほんとだ。そういう季節だもんな」


もう夏も終わるけど、と隼人は長く伸びた影を見つめながら言った。
今年の夏は高校三年間の集大成であった。もちろんまだまだ大事な試合は残っているけれど、この夏の過ごし方で恐らくすべてが決まるのだと思う。大学受験を目指すわたしにとってもそれは同じ。だから十七歳のわたしたちは、簡単に遊びに行ったりは出来ないのだ。海とかキャンプとか、夏祭りなんてもっての外。
そう考えると決まって悲しくなってしまうんだけど、そのたびにわたしは言い聞かせる。来年だって行けるじゃん、だから今年は我慢すればいいと。


「そういや一昨日、差し入れでかき氷が配られてさ」
「そうなんだ。いいなあ」
「すみれは今年食った?」


笑顔で居ようって思ってたのに、その質問を受けて一瞬だけ表情が固まる。けど、隼人に気付かれるぎりぎりのところで持ち直した。


「食べてないかな、今年はお祭りも行ってないし」


でも出てきた言葉には、もしかしたらトゲがあったかも知れなくて。もっと別の言い方をすればよかったと後悔した。
今の言葉、まるでお祭りに行ってないのは忙しい恋人が居るせいだと言わんばかりの内容だ。隼人はそんなひねくれた受け取り方をする人ではないけれど。


「……」


どうしよう、嫌な気分にさせてしまっただろうか、そう考えると気まずくなって無言になってしまった。隼人も何を考えているのか分からないけど、黙ってわたしの買ってきた差し入れを食べ進めている。もしかしたらわたしの言った言葉なんて気にも留めていないのかな、そうだといいけど。


「あ!お二人さんっ」


その時、クラスメートの声が聞こえた。吹奏楽部で夏休みの練習に来ているらしい女の子だ。彼女はわたしと隼人が付き合っているのを知っているので、ベンチに座るわたしたちを見つけたらしく駆け寄ってきた。


「よー、お疲れさん」
「山形くん休憩中?」
「もう自主練だけどな。そっちは?」
「今日はもう終わりだよ」


吹奏楽部の練習はすでに終了したらしい。その子はスクールバッグを抱えているので帰る準備も終わっている様子。それなのに運動部の部室や体育館の連なるこちら側に来ているのは、バスケ部の彼氏を待っているからだと思われる。


「そういえばすみれと山形くんは、今週のお祭りとか行くの?」


携帯のロックを解除しながら彼女は言った。わたしが今、最も話題に出したくない事を。


「……えと」


夏祭りの話が出てくるとは思わなくて、わたしの顔色は恐らく曇ってしまった。
本当は行きたいのに、隼人を誘えないまま数日も経過しているのだ。誘えない理由は沢山ある。だけどそれを隼人には知られたくない。できれば夏祭りの存在も知らないままで居て欲しかった。しかし、隼人はクラスメートのその話に食い付いてしまった。


「祭あんの?いつ?」
「25日。土曜日の!彼氏と行くんだけど、よかったら二人も一緒に行く?」
「あー…」


隼人は目を泳がせた。聞かなければ良かったと思っているのだろう。わたしだって聞いて欲しくなかった。それから誤魔化すように頭に手をやって答えた。


「今度の土日は岩手に遠征なんだよな、行けねーわ」


その時、隼人はわたしのほうをチラリと見たと思う。わたしはわざと顔を逸らしていたので分からなかったけど。


「そうなんだ。残念だね」
「だな」
「遠征頑張ってねー。じゃあすみれ、また!」
「うん、また」


わたしたちはお互いに手を振りあって、彼女がスカートのすそを揺らしながら歩くのを眺めた。
今からも彼氏と会って一緒に帰るのかな。バスケ部には入寮の義務がないから。

と、他人の事を考えていたって仕方ない。先週末、隼人の事を夏祭りに誘わなくてよかった。もしかしたら遠征とか大事な合宿で行けないかもしれないと思って、誘うのを躊躇っていたのだ。


「…えーと…遠征、あるんだね。やっぱり」
「おー…」
「だよね」


だからわたしたちが他のカップルのようにデートに行けないのは仕方が無い。バレー部の主力と付き合うのを決めた時から、そんなの分かっていた。隼人と付き合うためにはいくつかの事を犠牲にする必要がある。
受け入れていたはずなのに、わたしが我慢している事を楽しそうに話す同級生を観るのはとても辛くて。目の前でこんな会話を繰り広げられた今、その辛い気持ちを隠す事は出来ていなかったようだ。


「ごめんな」


隼人の声を聞いてハッとした。今、自分がとっても残念そうな顔をしている事に気付いてしまったのだ。わたしは無理やり口を横に開きながら、咄嗟に表情を変えた。


「なに謝ってるの?」
「謝らなきゃいけない気がしたから」
「なにそれ、隼人が謝る理由なんかないよ」
「あるよ」


いけない、泣いてしまう。そう思って隼人から離れようと、ベンチに手をついて腰を浮かそうとしたけれど遅かった。


「行きたいんだよな。本当は」


わたしの手に自分の手を重ねて、ぎゅうっと上から覆いながら隼人が言った。
行きたい。けど、そんなの素直に言えるわけがない。隼人さえ自由の身なら行けるんだもん。でも、どうしようもない事だもん。


「……へーきだもん」
「嘘つけ」
「へーきだもん…」


顔を見られちゃだめだ、と思って下を向いていたのに、隼人の手にぽたぽたと涙を落としてしまった。手の甲に感じるそれに気付いて、隼人はわたしの顔をじっと覗き込む。そして、顔を上げるようにと反対側の手を頬に添えた。まだまだ流れてくる涙が隼人の手を濡らしているけど、彼は一向に引っこめる気配が無い。


「………来年、一緒に行って」


夏祭りに。今年はちゃんと分かってるから、我慢できるから。泣いてしまったけど我儘は言わないから。隼人が優しくなればなるほど不思議と泣けてしまうのだった。いっその事、「行けないって分かってただろ」と怒ってくれればいいのに。


「分かった」


やっぱり隼人はわたしを叱る言葉なんかひとつも言わなくて、お願いごとを素直に聞いてくれた。その上、わたしの涙を指ですくい取ってくれながら。


「絶対だからね」
「絶対な」
「約束」
「うん。約束」


ズル、と情けない音がする。泣き過ぎて鼻水が垂れてきそうだ。だけどその音を聞いて隼人はちょっと吹き出していたので、なんだか気分が和らいだ。


「我慢するから、ちゅうして」


もうわたしが頼まなくてもそのつもりだったかもしれない、とても近くに隼人の顔があったから。何も言わずに目を閉じるのが見えたのでわたしもゆっくりと瞼を落とし、隼人のちょっとだけ分厚い唇が触れるのを待った。


「……もっかい」
「ん」


もう一度、またもう一度と言いながらわたしたちは静かにキスを繰り返す。唇が離れるたびに隼人は「ごめんな」と言うのだった。途中からは、その言葉を言わせないために無理やり唇を押し付けた。