October 27th , Saturday


同級生の山形隼人と付き合い始めたのは、今から十ヶ月くらい前になる。初めは偶然同じクラスになったただのクラスメイトだったのに、隼人が部活に励む姿に惹かれてしまったのだ。

在り来たりな理由だと鼻で笑われるかもしれないけど、そんなの気にならないほど隼人は圧倒的に輝いていた。一人だけユニフォームの色が違うのはどうして?という無知な質問にも分かりやすく答えてくれたし、初めて見に行ったバレーボールの全国大会で、力強いスパイクを拾っていくのは頼もしい。

優しくて男らしくて時々おちゃめなわたしの大切な人は間もなく、春の高校バレー全国に出るための最後の試合を控えている。


『明日は何時?』


寮にいる隼人に自宅からメールをすると、普段ならすぐに返ってくるのに今日はなかなか既読にならなかった。明日が決勝戦だから、対戦校の分析でもしているのかもしれない。
隼人が言うには、ただ練習しているだけじゃなく相手の事も調べなきゃならないらしい。それも、1セットも落とす事の無いように。白鳥沢のバレー部が目指すのは完全勝利なのだそうだ。

もちろん他校の選手だって白鳥沢の事を入念に調べているのだろうけど、それは隼人にとっては「あんまり関係ない」と言う。「うちの部員の誰に聞いても、たぶん同じ事を言う」と。
その自信に充ちた様子は恋人である隼人のみでなく、バレー部の全員が、学校の名前を背負ってくれているのが誇らしいと思えるほどだった。


『いま部屋着いた。寝た?』


決勝前日の夜10時に、ミーティングや夕食を終えてようやく自由時間を得たらしい。寮に缶詰めの彼らには文字どおり「自由」と呼べる時間なんて無いのだろうけど、分かった上でその環境に飛び込んでいるのが良い意味で驚きだ。

隼人からのメールは確かに遅めの時間だったけど、まだお風呂に入っただけで寝てはいない。むしろ決勝を控えた隼人から連絡が来るのを待っていた。声を聞いてから寝たかったのだ。
起きてるよと返事を送るか迷ったけれどどうせ電話になるだろうし、わたしは隼人に電話を発信した。


『うい』
「もしもし。電話大丈夫?」
『おー、いけるよ』


隼人はすぐに電話に出てくれた。さっきのメールは「今なら電話できるよ」という合図も兼ねていたんだろう。
明日の試合で自身の引退有無が決まるというのにいつも通りだ。ただ今日は時間が遅い。隼人が10時まで拘束されている事なんて滅多にないのだ。それだけ明日の試合は大事なのだと感じてしまい、応援の仕方すら変な影響を与えてしまわないか心配だ。


『……もしもし?電波悪い?』
「あっ、ごめん。大丈夫」
『そ?』
「なんか、ドキドキするなーって思って…」


今年の夏にも同じような事はあった。でもその時はまだ、負けても引退ではないという気持ちが心のどこかにあった。本人達はそんな事、考えていないだろうけど。
だから今回はより一層身の引き締まる思いなのだ。だからドキドキすると伝えたんだけど、電話口の彼からはあまり共感していないのが伺えた。


『そっか。俺はあんまりしないけどな』
「言うと思った。緊張しないの?」
『するよ、けど緊張感なんて普段から持ってるだろ』


わたしに同意を求めたわけでは無く、それが自分の当たり前だと言わんばかりの言葉に不覚にもときめいた。
バレー部の練習は毎日厳しい。練習量のみでなく、監督から与えられるダメ出しも。それが強さに繋がっているんだけど、わたしが一年生の時には練習が辛くてバレー部を辞めたクラスメートも居た。
隼人は推薦で入ったから辞められないというのもあるのだろうけど、それでも驕ること無く続けてきたからレギュラーなのだろう。


「…そういうとこスキ。」
『なんだ急に』
「ううん…あのね、明日応援いくから」
『おー。サンキュな』


隼人の声色が少しだけ柔らかくなって、笑顔になってくれたのかなと思うとわたしも自然に笑みがこぼれた。

これが10月26日、金曜日の夜の出来事。明日は緊張してしまうけど、わたしが過去に観戦した試合は練習試合を含めて十回以上。わたしの目の前で白鳥沢が負けたのはたったの一度、今年のインターハイ本戦だけだ。その他は全て勝利していた。
だから負けた時の姿や気持ちなんてとうに忘れ去っていたのだ。頭の中は、勝った時に話す言葉を考えるのでいっぱいいっぱい。寝る前にたくさん考えてみたけど、そのうちまぶたが重くなって眠ってしまった。





結局は決勝戦の日、一生懸命考えたお祝いの言葉なんて全くの無意味になった。
白鳥沢は烏野高校というチームに負けてしまい、全国出場を逃してしまった。それだけでなく三年生は同時に引退し、もう練習に行く必要が無くなってしまうのだ。山形隼人もそのうちの一人。
このために白鳥沢に来て、このために毎日過ごしていた彼に、部活を失った今なんて声をかけるのが正解なのだろう。


『お疲れ様』


隼人へのメッセージを入力して、送信を押すかどうか迷ったけれど結局送るのをやめた。その後も文字を打っては消し、打っては消し、を繰り返してスマホを握りしめたまま。


「……なんて送れば…」


隼人を傷つけずに、刺激せずに済む内容。同時にわたしが気を遣っているというのがバレない内容。そんなの絶対に無い。でも何かは送らなきゃ。今日わたしが応援席に居たのを隼人は知っている。そして隼人が引退した事をわたしは知っている。それなのにその夜、何の連絡もしないなんて薄情じゃないか。
力を込めたって何か浮かぶ訳でもないのに、わたしはスマホを両手でがっちりと掴んでいた。


「!」


その時、急にスマホのバイブレーションが作動して手を離しそうになった。
横の変なところを押してしまったかと思ったけど、そうではない。隼人から連絡が来たのだ。しかも電話。まさか向こうから発信してくるなんて思わなかった。
最初の言葉に迷うけど無視するわけには行かず、わたしは通話ボタンを押した。


「もし…」
『すみれ?寝てた?』
「う、ううんっ」


出るのが遅かったから、寝ていたと思われたらしい。今日の試合を見て、隼人と何も話さずに眠れるわけがない。


「あの…今日、あの」


残念だったね、それとも三年間お疲れ様でした、その他に会話の候補が浮かばない。隼人はわたしから続きが聞こえて来ないので色々察してくれたのか、自ら話し始めた。


『応援ありがとな。負けたけど、まあ納得って感じだわ』
「………」
『正直まだ実感ねーけど』


隼人の話し方からすると落ち込んでいる様子はない。でもわたしに気持ちを隠しているだけなのか、本当に全く落ち込んでいないのか、それが分かるほどわたしはまだ彼の事を理解出来ていない。だから、隼人の作ってくれた空気のままに喋る事しか出来なかった。


「…お疲れ様でした」
『おう。すみれも今まで応援お疲れさん』
「わたしは疲れてないよ」
『疲れるだろ?つーか疲れたろ、色々合わせてくれてたもんな』


自分が負けて引退した日の夜にこの言葉が出てくるなんて聖人君子だろうか。思えば隼人はいつでも自分よりわたしの気持ちを優先してきた。こういう日くらい、自分の事だけ話してくれれば良いのに。


「…隼人、もうちょっとワガママになれば」
『俺?』
「そう」
『どゆこと』
「もうちょっと…わたしの事、ないがしろにしてみれば」


隼人はきっと目を真ん丸くしただろう。一瞬の間が空いて、隼人が小さく吹き出すのが聞こえた。


『出来るわけねーじゃん。俺お前のこと好きだもん』


まさにそういうところが「もう少しわたしを蔑ろにしろ」と思わせるんだけど、本人は全く分かっていないらしい。隼人は今までもこれからもきっとそうだ。結局わたしもそんな隼人が好きだから、お互い様である。
負けたらどうなるんだろう?なんて事は考えてもみなかったけど、このようにして意外にあっけなく10月27日は幕を閉じた。