November 2nd, Friday


金曜日の放課後。この時間に教室に居るなんて珍しい。何故なら間もなく学園祭があり、その準備をするためにほとんどの部活は活動時間が短くなっているからだ。
バレー部は五時から部活だけれども、わたしは顧問の先生と監督に相談済みで、学園祭が終わるまでは学園祭の用意を優先する事になっている。バレー部のマネージャーだからってクラスの行事にはあまり積極的に参加できなかったから、準備にはしっかりと加わりたいのだ。


「白石さん、マジック持ってきた?」
「はーい」


しかしクラスメートに言われて鞄の中を漁ると、持ってきたはずのそれが無かった。偶然持っていた何色ものマジックを、ポスター作りの為に持ってくる予定だったのだが。


「あれ…無い」
「無い?」
「やばっ!更衣室に置いてきたかも」


そういえば朝練で着替える時、マジックの箱が邪魔だなあと思って一度鞄から出したのだった。そのまま鞄に戻し忘れて教室まで来てしまったらしい。
使いかけのマジックだしあんまり綺麗じゃないし、わたしのロッカーなんて誰も開けないだろうからそのまま残っているはずだ。


「ごめん、取って来る!」
「あ、うん。急がないから歩いてでいいよー」
「ありがと!」


急がないよと言われても、学園祭までは残り十日を切っている。早めに終わらせられる準備は済ませておきたいはず。せっかくクラスの事に協力出来る時間が出来たのにやってしまったなぁ、大会が終わって一気に気が抜けてる。


「わっ!」


小走りでスピードを落とさずに角を曲がろうとしたせいで、誰かにぶつかりそうになった。相手も「わ」と驚いた声をあげて、謝罪しようと顔を上げると。


「白石じゃん。どした?」
「!!」


なんと制服を着たままの瀬見さんがそこに立っていた。もう五時を回ろうとしているのに何故、と頭を過ったけれど、この人はもうバレー部を引退しているのだとギリギリのところで思い出した。


「ちょっと更衣室に忘れ物しまして…瀬見さんは?」
「俺、クラスの買い出し行ってくるとこ」


そう言って瀬見さんは、費用の入った封筒をかざした。


「白石のクラスって何すんの?」
「たこ焼きです」
「マジで!うまそー、食いに行くわ」


たこ焼きみたいに頬を丸くして瀬見さんが笑った。この笑顔、もしそう思っていなかったとしてもこちらを本気にさせるような優しい顔だ。これっぽっちも「食べに行く」と思っていなかったとしても、一切それを感じさせない。瀬見さんは優しいから、きっと本当に来てくれるのだろうけど。
そんな事を考えたら頬が赤くなるのを感じて、このまま一緒に居るとマズいと思った。


「……じゃあ、あの、そろそろ」
「あ、待って」


でも、瀬見さんはわたしが去ろうとするのを止めた。
何か用事があるのかなと彼を見ると、その様子は無く。あたりをキョロキョロ見渡して、誰も居ないのを確認してから顔を近づけてきた。それから耳元で、


「ちょっとサボらね?」


と、小さな声で聞こえたのだった。この後どんな反応を返したのか、気が動転して覚えていない。

校舎や中庭は、学園祭の用意で賑わう声で溢れていた。わたしたちはそこから少し離れて、この時期使われていないプールのほうへと歩いていく。
わざわざこんな人気のないところに?とドキドキしたけど、よく考えたらサボりに来たんだから誰も居ない場所を選ぶのは当たり前か。特別な事じゃないよね、と心臓の音が瀬見さんまで届かないように胸を抑えた。苦しい。


「いやー…これが練習だったら超やべーよな」
「ですね…」
「誘っといてなんだけど、抜けて来て大丈夫?」
「ハイ。ちょっとなら」
「そか」


プールの前には何故か都合よくベンチがあって、でも誰も使っていないせいか薄汚い。ここに座ろうとしていたらしい瀬見さんは「きたねー」と苦笑いしながら、買出しリストらしき紙をベンチに敷いた。


「ここ座る?」
「え、でも」
「俺はテキトーでいいし」


そう言って瀬見さんは落ち葉を手ではらい、ベンチに腰を下ろした。その横に瀬見さんのクラスの買出しリストが置いてあるわけだが、まさかそこに座れと言うのか。人様の大事な紙の上に、じゃなくて瀬見さんの隣に。
戸惑っていたけど瀬見さんが隣をトントン叩いたので、どうやら急かされていると理解し心を決めてそこに座った。

しばらくはお互いに座ったままで、何も喋らなかった。話しかけたかったけど、瀬見さんがわたしをここに連れ出した意図も分からなかったから。
足首を伸ばしたり曲げたりしながらどうしようかと考えていると、瀬見さんが溜息混じりに言った。


「…本当なら今もこんな事、してなかったんだけどな」


それって、わたしが聞いちゃってもいい事?とヒヤリとした。だってこれは愚痴というか弱みというか、きっと誰にも言いたくないでろう心の内だ。


「………あの」
「まー学園祭がどうでもいいってわけじゃ無いけどさっ」


けれどすぐにそう言って思い切り伸びをしていたので、彼の精神状態はドン底というわけでは無さそうだ。

あの決勝で負けてから、わたしたちは会う機会が減った。学園祭の準備もあったし、瀬見さんは練習に参加はするものの、受験勉強を開始して忙しくなったからだ。
久しぶりに二人きりになって、瀬見さんが今どんな気持ちでどれほどの状況なのかが分からなくて、わたしはまだ言葉を選べずに居た。


「なあ」


今日の瀬見さんは心なしか饒舌だ。わたしは無口だから、話を振ってくれているのだろうか。


「俺に何か言う事ない?」


でも、その振られ方はあまりにもピンポイントだった。瀬見さんに対して言う事、言いたい事なんてずっと前から心の奥にあるからだ。もしかして知られているの?と冷や汗が流れるのを感じた。


「………え…」
「いや、無いならいいんだけど」
「え、あ」
「春高終わったら時間くれって言ってたろ」


さらに、交わした約束の事を覚えてくれていた。時間をくださいと頼んだ事を。


「……あ…ああ、あれは…」


あれは、無事に県予選を勝ち上がって、年明けの全国大会に出場してから、というつもりだった。優勝を果たして胸を張って学校に戻り、全校生徒の前で表彰され、先輩たちが華々しく引退した後に。
けれど先月末に惜敗してしまったもんだから、告白どころでは無かった。言いたかったけど、到底そんな空気じゃ無かったのだ。今ならもしかして、言わせてくれるのだろうか。


「無いんだったら代わりに言う」


でも、何も言わないわたしを見て瀬見さんが言った。


「俺、春高終わったら言おうと思ってた事がある」


そして、わたしの抱いていた決意と同じ事を口にしたのだ。
彼の目はしっかりとわたしを見ているのに、瀬見さんに自分と同じような抱負があったとは知らなくて、わたしの反応はおかしくなった。


「……え?だ…誰に」
「白石にだよ!それ以外いねえだろ」
「わ、わたしですか!?」


そりゃあ今はわたししか居ませんけども、瀬見さんからわたしに改まって言う事があるなんて思えない。何かあるなら今までだってチャンスはあったはずだし、まぁわたしもそのチャンスをものに出来ず今日に至っているのだが。


「ホントは引退の日に言うか迷ったけど…なんかあの日はそういう気分になれなくて」


まるでわたしの気持ちを代弁するかのように瀬見さんが話す。わたしがこの人に言いたい事と全く同じ内容を。


「白石が好きなんだ。去年からずっと」


そしてこれも全く同じ。わたしも瀬見さんにこれを言いたかった。去年からずっと好きでした、ずっとずっと見てましたと。
どこまで思考が一緒なんだろうと不思議だったのだが、ピタリと脳が止まる。今、なんと仰いました?


「…えっ……え?」
「えー…やっぱ驚く?結構アピッてたつもりなんだけど」
「あ、あぴっ!?」
「足りなかったかあ」


瀬見さんは頭をぽりぽりかいて、困ったふうな笑顔を見せた。ほんの少し顔が赤い。わたしはまだ、瀬見さんが言った事を受け止めきれずに居た。そんな事が起きるなんてこれっぽっちも思っていなかったのだ。


「でもいいや。伝えよって思ってただけだから」
「え…」
「無理して答えてくれなくていいからな」
「!?ちょ、ちょっと待ってくださっ」


慌てたわたしは思い切り立ち上がった。が、スカートが古いベンチに引っかかり、勢い余ってべしゃりと落ち葉の中にダイブしてしまった。さ、最悪だ。


「……大丈夫かよ」
「すみません…」


瀬見さんはそんな情けないわたしを笑わずに(多分、少し引きつっては居た)、その場にしゃがんでわたしを起こしてくれた。
制服に落ち葉がくっついているのを一枚一枚取り除いてくれて、最後に肩のところに付いた葉を取るために手が伸びてくる。その手が優しく落ち葉をはらって、そのまま引っ込められてしまう。やだ、まだ引っ込めないで!咄嗟にわたしは瀬見さんの腕を掴んだ。


「……あの。わたし、わたしも、あの…」


今しかない。今言わなければいつ言うのだ。きっと一生チャンスは来ない。


「わたし…あの、えっと…わたし、」


でも、どうしても緊張して言えなかった。瀬見さんがわたしのことを好き、それがもし嘘だったらどうしよう。それに一年の時から溜め込んできた気持ちを吐き出すには、心の準備が出来ていない。たった二文字を言うだけなのに。


「………」


言おう言おうと息を吸ったり吐いたりしながら、しばらく時間が過ぎた。こんな馬鹿みたいな事ってある?きっと呆れているはず。でも、瀬見さんの腕を掴むわたしの手に、何か温かいものが重なるのを感じた。


「言って」


瀬見さんがわたしの手を握りながら、それだけを言った。そこでわたしは腹を括る事になってしまった、わたしはもう気持ちを隠しきれていない。


「………すきです」


聞こえるか聞こえないかくらいの声だった。本当はもっとちゃんと言いたかったのに、息みたいな細い声しか出なかった。

瀬見さんからは何の反応もない。もしかして声が届いていなかったのだろうか。不安になって恐る恐る顔を上げると、瀬見さんが唇をぎゅうっと閉じているところだった。


「やった」


そして、小さく絞り出すような声。同時にわたしの手を握る彼の手に力が入る。痛いくらいの強い握力。まさかこのまま握り潰す気じゃないだろうか心配しかけた時、今度は握ったままの手を大きく上に持ち上げられた。


「やったあぁ!」
「わっ」


そのまま地べたにしゃがんでいた瀬見さんは後ろ向きに倒れ込んで、わたしもつられて再びダイブ。しかし今度は落ち葉の中じゃなく、仰向けになった瀬見さんの胸の中に、なのだが。


「はー…すげー、こんなに清々しいの久しぶり」
「そ、そうなんですか?ていうか、あのっこれ」
「ずっと気ィ張ってたし…」


わたしとしてはこの状況が一体なんなのか整理するのに精一杯だけど、瀬見さんはどうやらお構い無しだ。
密着したまま手を離してもらえなくて、なんとか身体を起こそうと上半身を離すと、寝転ぶ瀬見さんと目が合った。


「白石はなかなか言ってくんないし」


何かが頭の中で爆発するのを感じた。この距離で瀬見さんからの上目遣いを受けている事実と、気持ちを知られていたのだという恥ずかしさのせいで。


「…気付いてたんですか!?」
「気付くだろ」
「恥ずかしい…」
「隠せてると思ってたのかよ」


思ってた。必死に必死に気持ちを隠そうと頑張っていたのは何だったのだ。でも、瀬見さんはわたしが我慢しているのを気付いてくれていたから、私の気持ちに気付かないふりをしてくれていたのか。


「けど、もう隠さなくていいから」


握られた手が離された。その代わりに瀬見さんの手はわたしの頭を包み込んで、せっかく起き上がったわたしをまた自分の方へ引き寄せる。
わたしたちはお互いに葉っぱだらけになりながら、抑え込んできた気持ちをぶつけ合う事になった。落ち葉の海で、何も気持ちを隠すこと無く。