October 27th , Saturday
三年生が引退したら告白しよう。そのように決めてから一年が経つ。
華々しい引退セレモニーの後、高揚した気分のまま勢いに任せて言ってしまおうと。
一学年にひとりずつしか居ない女子マネージャーは、部員と暇を見つけて喋ったり仲良くなったりする時間が多くはない。マネージャー志望の女子は大体が「全国区の部員と仲良くなりたい」という理由で来たりするけれど、監督から「マネージャーも入寮必須」と告げられれば途端に辞退してしまう。高校生の女子にとって、寮に入って生活するなんてハードルが高いのだ。
わたしは兄がバレーボールをしていたのもあり、進学したらバレー部のマネージャーをやりたいなと思っていた。
白鳥沢のバレー部が厳しいのは知っていたから、きちんと覚悟を持って志望した。はじめはマネージャーを諦めた女の子たちに後ろ指さされたものの、ゴールデンウィーク明けにげっそりした顔のわたしがクラスに入ったのを見られてからは、皆態度が普通になった。「あーあ、やらなくて良かった」と感じたようだ。
体験した事の無い女の子からすれば「やらなくて良かった、長期休暇を朝から晩まで働くなんて」と思うかもしれない。
でもわたしは「やらなきゃよかった」と感じた事なんか一度も無い。やってよかったと思える事のほうが多い、素晴らしい経験であった。
「いつもどおり行こう」
牛島さんはいつも言葉が少ない。今日も県予選の決勝で、体育館への入場前に一言話せと言われていたのにこれだけで終わってしまった。
でもこれだけで部員の皆も監督も、わたしでも分かるのだ。決勝だからって普段と違う事をしようとせずに、リラックスしている状態であると。
「よろしくお願いします」
「お願いします」
監督たちが烏野高校の監督と挨拶を交わすのと同時に、わたしも烏野のマネージャーの人と挨拶をした。すっごく綺麗な人だ。この人も部員の誰かに思いを馳せていたりするのかな、なんて決勝の舞台なのに考えてしまう。だっていくら部員を平等に見なければならないとは言え、好きな人の事は特別視してしまうものだから。
「何か手伝う事ある?」
タオルやテーピングをすぐに出せるよう準備している時、後ろから好きな人の声がした。
同じ部活に所属していればこんなふうに不意に声をかけられる事も多いけど、どうも慣れない。毎度毎度びくっとして、振り向くまでに顔を作ってしまうのだ。
「だいじょぶです。瀬見さんアップしててください」
「いや、俺は終わったからさ。もうすぐ試合始まるし」
「え!もうそんな時間ですか」
気付けば試合開始時刻まで迫っていて、どきどき緊張が増してきた。このドキドキは瀬見さんが話しかけてくれたおかげでもあるんだけれど。
でも、そもそも瀬見さんという人は誰にでも優しい。他のマネージャーの人が相手でも平等に声をかけて、手伝ってくれたり気遣ってくれたり。どうして三年のマネージャーの先輩が瀬見さんに惹かれないのか不思議なくらいである。
それに、瀬見さんは凄く格好いい。見た目も中身も全部ひっくるめて格好いいのだ。
「白布、思いっきり行けよ!」
と、自分の代わりにスタメンに選ばれた白布くんを相手にしてもこんな事を言えるのは凄いんじゃないだろうか。白布くんは無言ではあったものの(恐らく集中している)、深呼吸をして頷いていた。
瀬見さんが白布くんにスタメンを奪われたのはインターハイの少し前。不運にも怪我をした瀬見さんの代わりに白布くんが練習試合に出て、その試合での白布くんが驚くほどに大活躍だった。
そのまま正セッターの座は白布くんへ移り、瀬見さんは控えへ。たった一度の小さな怪我がこんな事になるなんて、あの時は誰も予想できなかった。
それでも人前で暗い顔をする事無く練習に打ち込む瀬見さんは素直に尊敬できた。やっぱりわたしの好きな人は素晴らしいんだ、そう実感する出来事のひとつになったのである。
だから今日の試合でも、どうかチャンスを与えられますように。そう願いながら過ごした5セットはとても長く、でも終わってしまえばあっと言う間で、あっけないものとなった。
◇
引退の挨拶はとても短くて、三年生は一言ずつ発するだけで終わってしまった。牛島さんだけが下級生みんなに声をかけていたので、今まであまり後輩を見ていなかったと思っていたわたしたちは驚いた。
そして、その挨拶が終わってからは監督のお達しどおり、百本サーブを全員で実行する事になったのだ。
「なんか変なカンジするねぇ」
と、リラックスした様子の三年生を見て先輩のマネージャーは笑ってた。無理やり笑っていないと泣いちゃうのかな、とも思えた。選手では無かったけれど、この人も三年間やって来たのだから。
先輩の言うとおり、変な感じだ。いつもは張り詰めた練習の空気が一転して、今だけは何の気負いもなくサーブを打つことが出来るから。わたしから見れば、ただひとりを除いては、なのだが。
でもそんなの大きなお世話だろうし、とても言えない。瀬見さんが「試合の時もこれくらい出来ていれば」と後悔してしまうんじゃないかって、余計な心配をしてしまうのだ。
「今までお疲れ様でした」
サーブが終わった人から順に挨拶していこうと思い、まずは天童さんのところへ行った。ちゃんと手を抜いていたらしく、さっさと百回のサーブを終えてしまったらしい。
「…意外と泣かないんだね?大泣きすると思ってた」
「泣かせようとするのナシですからね」
「泣いちゃえばいいのに〜ラクだよ」
「泣きませんてば!」
そんな事言われたら余計に泣きそうになっちゃうと言うか、それを狙っているんだろうけど。
泣かされないうちに天童さんから逃げて体育館の端へ避難すると、ちょうどそこには今日で引退してしまう想い人が立っていた。
「…あ。白石、今までありがとうな」
体育館の壁に背中を預けて、部員たちの姿を見渡していたのだろうか。それとも今日の試合を振り返っていたか、今後の進路に向けて考え込んでいたかもしれない。邪魔をしてしまったかなという気持ちと、ちゃんと声をかけて送りたい、でも離れたくない告白したいという気持ちが入り交じって上手く答えられない。
「……あの…」
「ん?」
三年生が引退したら告白しよう。華々しい引退セレモニーの後、高揚した気分のまま勢いに任せて言ってしまおう。そう決めていたのに、全国大会への切符を逃したその日にとても告白なんて出来なかった。
「…お疲れ様でした」
だから、当たり障りのない言葉でその場を凌ごうとする。せっかく瀬見さんと話が出来ているのに凄く苦しい。瀬見さんはもう今日の試合で「やりきった」と感じているかも知れないのに、わたしと来たら気持ちよく送る事すら出来ないのだ。
けれど瀬見さんは暗い顔のわたしに明るく言ってみせた。
「うん。来年頑張れよ!最高学年だもんな」
「実感沸かないですけど…」
「そのうち沸くよ」
「そうですかね?わたし、結構先輩に頼ってたから」
三年マネージャーの先輩には入部当初に迷惑をかけた。
運んでいたドリンクをこぼして体育館を汚した時には、マネージャーだけでなく部員の人の手まで煩わせてしまったり。
試合会場に持って行ったタオルが足りなくて取りに帰ったり、朝練に寝坊してしまったり。…寝坊の時が一番肝っ玉が冷えたかも。
とにかく一年目の去年はそんな感じだったし今年もあっという間に過ぎたので、わたしが次は最高学年なのかと思うと信じられない。今までは先輩の後ろで手伝いをするだけの、おまけみまいな存在だったのに。
「そんな事ねえよ。ちゃんと俺たちの一員だったよ」
「……」
けど、瀬見さんはとても優しい人だから、そんなわたしの事もこうやって褒めて受け入れてくれる。この優しさを味わいたくて、一年の時はわざと瀬見さんの近くに寄ってみた事だってある。いつしかそれが恋に変わってしまったのだけど。だから、それを今日、本当は消化したかった。
「あの」
「んー?」
部員の輪の中に向かおうとした瀬見さんは、明るい声で振り向いた。その顔は紛れもなくいつもの彼だ。でも、心の内側はどうなっているか分からない。
「…えっと…」
ずっと言いたかった事があります。あなたの事が好きでした。
今ここで言っていいのか、わたし。本当は一人になって今日の試合を悔しがりたいと思っていないだろうか。だとすれば絶対に言わない方がいい。ああ、駄目だ。
「…スミマセン。忘れました」
「何だそれ」
「すみません…」
瀬見さんは「思い出したら呼んで」と笑ってくれて、ほかの三年生のもとへ歩いて行った。
やっぱり言えるわけがない。引退後だからと言って全員がスッキリしているわけじゃない。瀬見さんがいかにしてスタメンの座を守り抜き、いかにして白布くんに奪われて行ったのか、いかにしてベンチメンバーの枠に残る事が出来たのか、わたしは全て見てきたのだから。