平凡な女子高生だった私が好きになってしまったのは、学校内でも一・二を争う注目を浴びる人だった。
だからこそ、見ているだけでいいやって思いながら同じ教室内で過ごしたり、時々野球部の練習を遠くから眺めたりするだけで留めていたのに。


「俺は本気だよ、白石さんの事」


と、眼鏡越しでも分かる熱い眼差しを受け、答える間もなく誰も居ない教室でファーストキスを奪われたのは高二の冬。

オフシーズンとはいえ最後の甲子園に向けての練習真っ只中だったので、まさか彼がこんな時期に誰かの唇を奪うなんて考えてもいなかった。しかもその相手が私で、ずっと憧れていた人が想いを告白してくれるなんて。
初めてだって言ったのに、何度も何度も重ねられる唇のせいでまともな言葉を言えなくて、背中に手を回す事でしか気持ちに応える事ができなかったのをよく覚えている。今思えば、私の気持ちなんて分かっていたから返事も聞かずにキスをしたんだろうけど。


『本日は、注目の新人選手を突撃です!』


あれから一年ちょっとが過ぎて、私は東京都内の大学一年生。朝のニュース番組では、リポーターらしき女の子が元気にマイクを持って喋っていた。
いつもは朝の準備中に違うチャンネルを見る私だけど、今日は事前にこの番組を見る事に決めていた。今日の目玉コーナーは、各野球球団に入団した新人選手の特集だったからだ。

北から南まで、数多くある球団の選手たちが紹介されていく。新人選手は緊張している様子だったけど、自己紹介をしたりちょっとした趣味・特技を披露したり。私はやがてそわそわし始めた。家を出る時間が近づいてきたのだ。


「まだかなー…」


早くしなきゃ一限目に遅れてしまう。録画もしているけれどできればリアルタイムで見たい。用意をすべて終えた状態でテレビの前に待機していると、やっと画面は切り替わった。


『続いてはミカが直撃いたしまーす!』


東京のスタジアムをバックにマイクを握るのは、ここ最近で人気が急上昇しているリポーターのミカちゃんだ。都内の有名女子大学に通い、テレビアナウンサーの内定が決まっているとか居ないとか。
むむむと顔を歪めてしまったけど、仕方ない。視聴者は可愛い子がレポートするのを楽しみにしているんだ。私はミカちゃんじゃなくて選手の登場を待っているんだけど!


『本日は三名の選手にお集まりいただきました〜よろしくお願いしまーす!』
『お願いしまーす』


でてきた!テレビと私との距離は30センチほどになってしまった。視力低下につながるかも、とかは考えていられない。今テレビに、恋人が映し出されたんだもん!


『…では最後に御幸選手、自己紹介をお願いします!』


撮影時に都合のついた三人の選手のうち、右から二人が自己紹介を終えた。最後が彼氏、御幸一也の番である。私はなぜか祈るようなポーズでテレビ画面を見守った。


『御幸一也です。キャッチャーです、よろしくお願いします』
『こちらの球団には日本代表も務められているキャッチャーさんが居ますよね!一緒に練習されてみてどうですか?』
『いやもう、毎日勉強する事ばっかりですね』


…と、ミカちゃんはキャピキャピしつつも用意された質問をきちんとこなしていた。
一也も事前に何を聞かれるのか知らされていたのかもしれない、噛まずにしっかり答えてる。しかしミカちゃん、なんとなく一也に対してだけ距離が近くないか?私の考えすぎ?

ミカちゃんのリポートコーナーを最後まで見たかったんだけど、とうとう家を出る時間になってしまったので続きは帰ってから見る事にした。





通い始めて数週間の大学ではやっと友だちが出来はじめて、授業を受ける時に隣に座ったり、昼ご飯を一緒に食べるようになった。
一也が球団で仲間を増やして頑張っているのと同じように、私も私で自分のやるべきことを頑張っている…はず。


「すみれちゃ〜んおはよう」
「あ、おはよー」


一限目の教室に入ると、早速最近出来たばかりの友だちが挨拶をしてくれた。一応もう下の名前で呼び合う仲になれたので、これから四年間なんとか楽しい大学生活を送れそう。そんな彼女は息を切らしながら席についた。


「今日遅刻するかと思っちゃった!テレビ見てたら知らないうちに時間過ぎててさ」
「あはは、私も」


今朝は一也の出ている場面をどうしても見たくて、ギリギリまで家に居たからなあ。どうせ録画してあるのに、と一人でちょっと笑えた。
この子は何を見ていたんだろう、と思っていると、彼女は携帯電話を操作しながら話し始めた。


「野球って興味ある?私あんまり見てなかったんだけど、今朝テレビに出てた選手が超かっこよくて」


思わず両目を見開いた。
今朝テレビに出ていた野球選手。もしかして同じ番組を見てた?そして、紹介された選手の中で、野球に興味のない女の子にすら「超かっこいい」と言わせる人と言えば。


「…へええ…誰?」
「御幸一也!東京だよ!そのへんで会っちゃう可能性あるかもだよね!?」


嬉しいやら悲しいやら私の予想は大当たりで、彼女はどうやら一也の事を見ていたせいで電車に乗り遅れそうになったらしい。
目を輝かせながら携帯で一也の事を調べ始めたその子に、彼には高校時代から付き合っている彼女が居て、それが自分だなんて言えず。


「そ、そうだね…そのへん歩いてるかもね」
「だよね?三人で映ってたんだけどさ、悪いけど残りの二人が霞んでたもん」
「はは」


それは確かに納得であった。自分の彼氏だと言うのを差し置いても、一也は最も容姿が整っていたから。


「ミカちゃんいいなあ…私もあんな仕事がしたい」
「え…そう?」
「だってイケメン野球選手にインタビューだよ。絶対ウラで連絡先交換とかしてるよ」
「まさかぁ」
「ていうか、相手がミカちゃんだったら誰だって交換するだろうなあ」


この子、私と一也の関係を知ってるんじゃ?と思うほどヒヤリとした。
一也は高校の時からモテていたし、私以外にも一也に惚れていた女の子は沢山居たに決まっている。そして今朝ちょっとテレビに出ただけで、画面越しでしか一也を見てない友だちも絶賛だ。

という事は、実際にインタビューをしたミカちゃんも一也に好意を持ってしまうかも知れない。そして、ミカちゃんのような可愛い女の子に迫られたら、いくら堅物の一也もなびいてしまうかも?いや、さすがにそれは無い。だって一也は私の事を本気だって言ってくれたもん。


「…で、でもさ、入団したばっかりの選手ってスキャンダルなんかご法度じゃ…ないかな…?」
「そう〜?あっ!ほらほら見てこれ」


私が一生懸命誤魔化そうとしているのに、彼女は当然だが気付いてくれない。ずっと触っていた携帯の画面をこちらに向けてきた。


「何?」
「ミカちゃんのSNS!」


そう言って更に画面を顔に近付けてきた。
ミカちゃんって今朝のミカちゃん?目を凝らしてSNSを見てみると、ハートの絵文字が沢山使われた投稿文が。


『今朝の番組見てくれたかな?さすが野球選手は大きい〜!!隣は注目の御幸選手だよ』


そして、文章の上には男女のツーショット写真が載せられていた。御幸一也とミカちゃんだ。
ミカちゃんは一也の胸のあたりに顔を寄せてピースサインをしており、一也は直立しているもののリラックスした表情で同じくピース。

なにこれ。なんだこれ。私とだってなかなか写真を撮らないくせに、何でこの子とは写真撮ってるの。しかもこんな至近距離で。


「………。」
「ね!これ!ほら!こういう事できるんだよミカちゃん!」
「…ていうか……あの…距離…近くない?」
「そうなの!近いの!ミカちゃん細くて小さいから御幸が一層大きく見えるよね」
「……」


そのとおりで、ミカちゃんは小柄で細くて顔も小さくて、とにかく非の打ち所がない。一也の隣で笑っているに相応しい女の子であった。
有名な女子大の学生で、キラキラしたオーラを持つ将来有望な女の子。誰が見たって思うだろう、「この二人はお似合いだ」と。





今朝あんな事があり、授業なんて頭に入らなかった。
いつもなら勉強に打ち込んで嫌な事は忘れようと思えるんだけど、実は今日に限って一也と会う約束をしていたのだ。同じ高校に通っていた時ほど頻繁に会うことが出来ないから、今日が来るのをとても楽しみにしていたのに。

待ち合わせ場所として指定された飲食店に到着すると、私は先に席へと通された。御幸一也の名前で予約されているのに、店員さんは何も言わない。私が「御幸一也」の食事の相手としてやって来たのに。


「すみれー」
「!」


やがて私が個室に通されてからすぐ、一也も入ってきた。
こんな良いお店は初めてで緊張しているし、今朝あんな事があったもんだからモヤモヤしているし、それに一也が悔しいくらい格好良かったもんだから、それも更にモヤモヤの要素になった。


「…こっ、こんばんは」
「なに改まってんの?」


一也は笑いながら腰を下ろすと、早速世間話を始めた。


「ここ先輩に教えてもらったんだ、個室だし店員さんもそういう事情分かってくれてるからって。未成年だって事も知られてるけどな」
「へえ……」


なるほど、一也の球団の人が御用達のお店なのか。だから店員さんはお客さんが野球選手(入団したばかりだけれども)だからって何も言わないし、プライベートの事には首を突っ込まないよう教育が徹底されているのかも。
でも、そんな事くらいでは私の緊張が解かれることはなかった。


「そういや大学どう?」
「……」


ここに来てからどれくらいの時間が経ったか分からないけど、いくつかの料理を食べ終えてから一也が言った。
大学は楽しい。今のところ授業にもついていけてるし、学食が美味しいし、駅から近くて通学も便利だ。それに友だちだって出来た。その友だちに見せられた写真のおかげで、今は悩んでいるんだけど。


「もしもーし」
「えっ!あ、うん。楽しいよ」


いけない、考え事をしていたせいで一也の質問に答えるのを忘れていた。


「…なんか隠し事してる」
「え」
「だろ?」
「そんな事…」


怪しまれないように置いていた箸を取り料理に手をつけようかと思ったけど、そんな演技は御幸一也に通用しなかった。

なんでこんな気持ちにならなきゃいけないんだろう、私は何も悪くないのに。隠し事なんかしていないのに。ただ私は、自分が出来ないことをやすやすとミカちゃんがやってのけているのが気に食わない。「この人は私の彼氏です!」と、私だって写真とともに公開してやりたい。でもそれは出来ないから我慢してる。
私はちゃんと我慢してるんだ。隠し事を疑われる筋合いなんかない。


「…隠してるのはそっちだったりして」
「へ?俺?」
「実は早速、美人の芸能人と知り合って浮気しちゃったり…とか、なーんて」


一也に限ってそんな事をするわけない。練習ばかりで浮気なんかする暇もないのは分かってる。でも、あんな写真を見せられてしまった後ではそんなの考える余裕もない。


「……あのさあ。」


しばらく無言のまま目を合わせてから、一也は静かに箸を置いた。


「俺、冗談でもそういう事言われたくないんだけど」


びくっと恐怖で身体が震えた。見たこともないくらいの怖い顔で、一也が私を睨んでる。怒っているんだ。


「…ごめ…で、でも」
「朝晩ずっと練習してんの知っててそれかよ」
「ちが…」
「お前は俺が女遊びするために今日までやって来たと思ってんの?」


そんな事思ってないし、全部ちゃんと分かってる。でも私が言いたいのはそうじゃなくて、ミカちゃんが載せていた写真のことを聞きたいだけで、「こんなの何でもないよ」と言ってもらえればそれで良かった。
写真の話をしようと口を開いたけれど、声が出ない。一也がとても恐ろしい顔をしているだけで、喉をきゅっと締められた気がした。


「ほんと萎えるわ。そういうの」


だからそう言って一也が席を立ってしまっても、私はそれを呼び止めることが出来なかった。

アドレッセンス終篇
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