05


稲城実業が野球で有名な事は知っていた。でもわたしの人生にはあまり関係の無い事だったし、家から程ほどに近かったのと、名の通った大きな高校ならば色々な体験ができて楽しいかも知れないと思って受験した。

結果的には校外学習も充実していたし、多くは無いけれど友だちも出来たし授業にも何とか付いていけている。
これで充分だったはずなのにどうして満足しなかったんだろう、どうして成宮鳴を好きだと思い始めてしまったんだろう。
理由なんてとっくに分かっているけど、明確にそう思ってしまった。だって成宮くんとの事が無ければ、わたしは今こうして女の子たちに囲まれる事にはならなかっただろうし。


「白石さんさあ…」


三人の女の子が、教室の中にも関わらずわたしを取り囲んで見下ろしている。その中心には大村さんという可愛らしい女の子。成宮くんを「鳴くん」と呼ぶ子だ。

クラスの皆はわたしたちの様子に気付いているのかいないのか、こちらの事は全く気にしていない。友だちだけが遠くでオロオロしているようだった。この状況で入って来いと言うのも酷な話なのでそれについては何も言わないし、わたし自身もオロオロしているから硬直しているだけである。


「昨日、練習見に行ってたよね?」
「う…い…行ってた、けど」
「で、鳴くんと喋ってたよねえ」


確かにわたしは昨日、成宮くんと野球場のそばで会話をした。だって近くに成宮くんが居るなんて気づかなかったから。端っこで見ているだけで良かったのに、すぐ後ろで成宮くんが隠れて練習を休んでいるなんて分かるはずが無い。


「喋ってたっていうか、たまたまあそこに成宮くんが居ただけだよ…」
「そうなの?最近仲良さげにしてるけど」
「よくないよ…」


仲が良いように見えるのなら嬉しい。仲良くなりたいんだもん。でも今だけは全力で否定しよう「全然仲良くありません」と。
でも大村さんはその答えに満足していなくて、わたしの机に手を置いた。


「それならいいけど。なんで白石さんが鳴くんと楽しそ〜にしてるのかなって思ったのね、昨日。ていうか最近ずっと」
「そんなこと…」
「オハヨー」


そこでわたしたちの会話はぴたりと止んだ。渦中の人物、成宮鳴が朝練を終えて教室に入って来たのだ!
いつもなら成宮くんの姿を見て心躍らせるというのに、今はまた何というタイミングで来やがったのかと冷や汗ダラダラ。

成宮くんの登場でクラスじゅうの空気がしんとしたので、やっぱり他のクラスメートもわたしたちの会話内容に耳を傾けていたようだ。しかし当の本人だけがその理由を知らずに、眉をひそめながら席へと歩みを進めていた。


「…どしたの?俺なんか付いてる?」


成宮くんは一番近くに座っていた女の子に尋ねた。もちろん成宮くんの顔に何かが付いているわけではないので、その女の子は首を振る。


「じゃあ何」


少し低くなった成宮くんの声に女の子も驚いたようだった。
が、彼女自身の口から話す勇気までは出てこなかったみたいで、黙ってゆっくりと顔を向けた。…わたしたちのほうに。


「どーしたの…?」
「別になんでもないもーんっ、ね」


わたしが黙りを決め込もうとした時に、大村さんはさっきまでと打って変わって高い声で言った。しかもわたしに「ね」と同意を求めながら。
そんなふうに言われて「実は今、成宮くんと仲良くしている事について文句を言われたところです」なんて言えるはずも無い。


「う、ウン。なにもない」
「ほら!」
「…そう。ならいいけど」


成宮くんは疑っているのかいないのか分からない様子で鞄を置いた。ひとまず深入りされずに済みそうだ。
それなのに、ふうと胸を撫で下ろした瞬間に足音が近づいてきた。


「白石さん、昨日のやつ描けた?」
「ぶっ!!」


こちとら数十秒前まで成宮くんとの仲を怪しまれていたって言うのに、「仲良くないよ」と答えたばかりだって言うのに。
何も知らないから仕方ないけど、あろうことか真っ先にわたしの席まで来て話しかけて来た。


「うぇ、どうしたんだよ」
「や!な、なんでもないっす!なんでも」
「ふーん。ね、進捗が見たい」
「しんちょく…」
「見せて」


成宮鳴の絵の進捗。そんなもの、この教室内で開きたくはない。成宮くんの絵を描くのは控えようと思っていたから、描いてもいない。


「……ご、ごめん。まだ描けてなくて、その」


昨日の今日だからきっとこれで誤魔化せる。そう思ってごにょごにょしていると、成宮くんが何かを言う前に別の人物が割り込んできた。


「ね、何の話?」


大村さんだ。自他ともに認める、クラス内で成宮くんと一番仲のいい女の子。ついでに何度も言うけど顔も可愛くて声も可愛くて、もしも成宮くんが付き合うとすれば申し分ない見た目を持つ子だ。

そんな自分がそばに居るにも関わらず成宮くんがわたしに話しかけるもんだから、大村さんも黙って見ているわけには行かなかったらしい。こうなるからそっとしておいて欲しいのに。


「白石さんが美術部で、人物画の課題あるんだって。そんでイッチバン絵になる男は誰かって考えたら俺が浮かんだらしいよ!ね」


同意を求めてきたので、わたしは頷いた。確かに理由も分からずわたしが成宮くんと会話しているよりは、こういう経緯がある事を知ってもらうのが良いかも知れない。


「…うん、そう…」
「ふうーん」
「だから最近勉強のために練習見にきてるんだよ」
「へー、真面目ー」


大村さんは棒読みである。美術部なんて根暗の集まりだと思われてるんだろうな、実際大人しい人ばかりだけど。どう思われたっていいや、真面目だろうとオタクだろうと何だろうと。波風立たないように過ごせればそれでいい、のに。


「好きな事なら真面目とか関係なく打ち込むもんじゃないの?」


成宮鳴はクラスの視線も大村さんの存在にも臆することなく言った。言い終えたあとは座ったままのわたしを見て、そうでしょ?とでも言うかのように目で訴えてくる。
好きな事なら、そのとおり。好きな人なら、正にそう。


「…うん。好き」


成宮くんのことが好き。でもそんなの言えるわけがない。だけど今、絵を描くことが好きだよという言葉に確実に気持ちを乗せた。それは成宮くんには伝わっていないかも知れないが、彼の隣に居る大村さんにはしっかりと伝わったようで。


「おーい席つけー」


と言いながら先生が入ってこなければ、きっとわたしは大村さんに睨み殺されていただろう。
成宮くんも自分の席に戻っていき、他の生徒達も席につき始めた。大村さんだけがギリギリまでわたしのそばを離れずに、最後の最後に冷やりとした声で一言。


「…美術部ってそんな課題があるんだぁ」


ああどうしよう、これって絶対に良くないことが起こりそう。
朝のホームルームで静まり返った教室内で、わたしの心臓だけがドクンと大きな音をたてていた。