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人気者の男の子と仲良くなって、女子からのいじめや嫌がらせを受ける。
…という漫画やドラマを数多く見てきたけど、実際にそんな事が起きるのは自分の知らない場所のみだと思っていた。まさか自分に向けてけん制の眼差しを送られるなんて夢にも思わなかったのだ。だって今までわたしは、成宮くんと親しげに話したことなど一度も無いのだから。

ただの物静かな女子生徒が突然成宮くんに話しかけられ、「近くで練習を見ればいい」などと誘われているのを聞けば当然彼のファンは良い気分じゃないだろう。分かっていた。分かっていたのに、気付くのが遅かった。
クラス内ではなるべく大人しくしておこう、わたしはまだまだ高校生活を楽しみたい。


「すみれちゃん、成宮くんといつの間に話すようになったの」


クラス内に居る数少ない友人ふたりと昼ご飯を食べていると、やっぱりわたしと成宮くんの接近が気になったらしく話題に挙がった。


「なんでもないよ…」
「えーっ、でも練習見に来て欲しそうじゃなかった?」
「え…」


練習を見に来て欲しいだなんて、彼は一言も発していない。もしかして第三者にはそんなふうに聞こえたのだろうか?成宮くんがわたしを特別扱いしているように。
実際その場に居た人間ですらコレなんだから、噂にでもなったら話が大きくなって一大事だ。


「全然違うよ!わたし美術部だから、人物画の練習がしたくって」
「人物画?」
「えーと…うん。で、成宮くんならホラ…目立つし、こう…描きやすいっていうか、絵になるじゃん、ね」
「そうなんだぁ」


友人は素直に納得してくれたけど、他の女子はどうだろう。聞こえるように声を大きめにしてみたんだけど届いたかな。
カメラマンが美しいモデルや景色を撮りたがるように、絵描きだって美しい人物を描きたいと思うじゃん、どうせなら。…わたしの目的は下心が満載だけれども。


「うわあ…」


数日後の放課後、初めての場所へ訪れた。野球部のグラウンドだ。
でもギャラリーの多い外で堂々と絵を描く気にはなれず、練習だけでも近くで観たいなと思ったのだ。隅っこで見るだけなら他の女子からも目立たないはず。好きな人の姿を近くで見る事くらい、許されてもいいはずだ。だって本人が、近くで観ればいいって言ってくれたんだから!
成宮くんにさえ見つからなければ、誰もわたしを気にする事はない。

…というわけでグラウンドの隅っこ、部員の集まる場所よりも一番遠いところから野球場を眺めていた。


「みんな汗だくだ…」


放課後のわたしは美術室でだらだらと過ごすか家に帰るかの二択だというのに。ここに居る野球部員たちは生気に溢れた表情で、声の限り力の限りと動き回っているようだった。
成宮くん以外の部員をちゃんと見た事が無かったけど、皆それぞれが素敵だ。あっ、これは下心とかでなく。
しかし目当ての成宮くんが見当たらない、別の場所で特別な練習でもしているのだろうか。


「鳴!」


その時聞こえてきた声にビックリ仰天。ちょうど成宮くんの事を考えていた時に成宮くんの名前を呼ぶ声!って事は近くに成宮くんが居る?どこに?
すると、どうやら彼はグラウンドの外にある塀に隠れていたらしい。ひょっこり顔を出して返事をしていた。


「なーに?」
「お前またそんなとこ座り込んで…」
「もう充分投げたじゃん。休ませてくんないと肩壊しちゃうよ」
「まだいけんだろ」


ぶーたれる成宮くんを無理やりグラウンドへ引き戻しているのは、野球部の神谷くんだった。彼もまた女の子に人気、というかほとんどの野球部員はうちの学校で特別な存在である。


「あ。」
「あっ?」


渋々歩いていた成宮くんの足が止まった。真っ直ぐにこっちを見ている。練習を見に来たのを成宮くんに気付かれた!逃げようとしたけれども逃げると余計に怪しまれるぞどうしよう!?と言うのを一瞬のうちに考えた結果その場に留まることを選んだ。


「白石さん観にきたんだ?」
「え!?う、うん。ちょっとだけ」
「今のシーン絶対描いたら駄目だかんね、ずぇっっったい」
「わ、わかった」
「カッコイイシーンじゃなきゃ」


今、練習をサボっていたところは絶対に絵に残すなという事らしい。心配しなくても今は絵のモデルがどうこうではなく、単に成宮くんが居ることに驚いていただけだが。
それにわたしはつい先日決めたばかりなのだ、自分から成宮くんに近付きすぎるのはやめておこうと。それなのにそれなのに、まさか近くに居たなんて。

隣にいた神谷くんは成宮くんと会話するわたしを見て、わたしではなく成宮くんに訊ねた。


「誰?」
「クラスの子。美術部。人物画のモデルが欲しいんだと」
「どうも…」
「ふうーん…鳴がモデルかあ」
「むしろ俺以外に居なくね?絵になるようなやつなんて」
「言ってろ」


野球部って凄い人が多いからお高くとまってる人も居るのかと思ったけど、そうでもないようだ。同級生どうしで楽しそうに話しているのを見ると、ああわたしと同い年の男の子なんだなぁと思う。…活躍しまくっているけど。


「…で!何?今から描くの?」
「うぇ!あー、うん…良いかんじのポーズがあれば…」
「うっそヤバ。グローブ取ってこよ」


成宮くんは手ぶらだったけど、急ぎ足でグローブを取りに行った。

どうしよう、とても申し訳ない気持ち。わたしが成宮くんを描くのは課題とかじゃないし、今はただ成宮くんをグラウンドのそばで見ていたかっただけ。こんなところでスケッチブックを広げて成宮くんを描いてたら、悪い意味で注目の的だ。
この場で描けって言われたらどうしよう。ほら、そろそろここに成宮くんが居ることを、何人かは気付き始めている。逃げたい。
それなのに成宮くんが足早に戻ってきてしまった。


「やっぱり投げるシーンが良いよな!速すぎて分かんないかもだけど。ほらっ」


と、言いながら成宮くんは投球フォームをしてみせた。
うわぁ格好いい。すぐ目の前で成宮くんの一番格好いいポーズを見られるなんて。
たった今逃げようとしていたはずなのに、容易く見惚れてしまった。


「…聞いてる?」
「あっ、ごめ…」
「絵っていつごろ完成すんの?」
「え…絵…え?」


自分でも何を言っているのか分からなくなった。成宮くんもしかして、絵の完成を待っている?


「ど、どのくらい…かなぁ」
「出来上がったら見せてよ」
「え!?」
「何?その権利はあると思うけど」
「……」
「絶対だから。約束だよ」


戸惑っているあいだにどんどん話が進んでしまった。成宮くんの絵を描いて、本人に見せなければならない。絶対に見せろと彼は言う。とても格好いい顔で、とても力強い声で、とても大きな目でわたしを見ながら。
そうなればわたしの答えはもう、これしか無かった。


「約束…します」
「言ったな!絶対だからね」
「う…、うん」
「鳴、集合」


成宮くんのキラキラした姿に圧倒されていた時、ちょうど野球部の集合を知らせる笛が鳴った。ハイハイ聞こえてますよ、と言いながら成宮くんはグラウンドの中へ入っていく。
やっと解放された、あんなに眩しいオーラを間近で浴びるなんて身体に悪い。それに、


「……ねえ」
「!」


それに、成宮くんと一緒にいるということは彼に好意を持つ女の子を敵に回すということだ。長時間であればあるほど、成宮くんがわたしに笑顔を向ければ向けるほど。


「鳴くんと仲良いの?」


ぴりりと冷たい空気が走る。話しかけられたほうを見れば知らない女の子が立っていた。もしかしたら上級生かもしれない。


「……よくは…ないです…」


成宮くんと話しているだけでクラスの女の子だけでなく、他学年の人にまで嫌な視線を向けられてしまう。もう迂闊に野球部グラウンドまで来る事も出来なくなってしまった。やっぱり美術室から人知れず見ておくのが身の丈にあっているんだ。
…それにしても「描き終わったら絶対見せろ」という約束、一体どうすればいいんだろう。