April 9th , Monday


町の至るところに咲く桜を見ながら登校するのは悪い気分じゃない。桜の開花が始まって、まだ満開ではないけれど入学シーズンに桜を見る事が出来るのは新入生にとって嬉しい事だと思う。
わたしも去年白鳥沢に入学したばかりの頃、新しい授業やクラスに慣れる事ができるか心配で、朝の足取りは重いものだった。
そんな中、道端に咲く桜の花を見るとほんのちょっぴり心が和らいだような記憶がある。

二年生になった今はそんなに緊張しないけど、新しいクラスになって上手くやっていけるかなという不安はあった。
もう高校生だし入試も厳しかったから、あまり皆グループを作って固まる事は無い。でも、やっぱり波長の合う子と一緒がいいなと思ったりして。


「今日から授業かあ〜…」


今日は四月九日、月曜日。ちなみに先週の金曜日と土曜日が始業式と入学式だったので、本格的に授業が始まるのは今日からだ。
鞄に詰めた新しい教科書たちが重たいけれど、資料集や辞書は今日ロッカーに入れて帰ろう。帰りは桜の写真でも撮ろうかな、なんて思いながら歩いていた時。


「あれ…」


道の前方に子どもがうずくまっているのが見えた。黒いランドセルを背負っている。小学生なら集団登校するはずだけど、はぐれてしまったのだろうか。

ここは通学路だけど今はあまり人が通っていなくて、あたりを見渡しても誰も居なかった。偶然早めに家を出たので、白鳥沢生の登校ピークの時間帯よりも少し早いのだ。


「どうしたの?迷子?」
「……ちがう…お腹…」
「お腹?」


どうやらその子は男の子で、お腹をかかえて冷や汗をかいている。ひどい腹痛のようだ。どこかを怪我しているのか、それともただの便秘?え、小学生って便秘とかするの?寝かせたほうがいい?


「うっ、」
「!?ちょ…ちょっと大丈夫!?」


痛みが増してきたのか、更に厳しい表情で唸り始めてしまった。びっくりしたわたしはもう一度左右を見渡すけどやっぱり誰も居ない。
確か近くに公園があったはず、そこのベンチに横になったら楽になるかもしれない。

抱っこしてあげようとしたが、子どもって意外と重い。それにランドセルの中身もパンパンで、痛くて痛くてたまらない顔で固まっているので全然歯が立たない。せめて公園まで自分で歩けるだろうか?


「どこの小学校?近く?立てる?あそこの公園行けるかな?ねえ、」
「どうしたの」


焦ったわたしがまくし立てていると、別の声が聞こえた。
顔を上げると、わたしと男の子を見下ろしているふたつの目。わたしと同い年くらいの男の子だが制服は着ておらず、体操服のようなものを身に付けていた。


「……?誰」
「どいて」
「わ」


彼は突然「どいて」と言いながら膝を曲げ、うずくまる男の子に手を添えた。な、何だこの人。そしてその子の様子を見ながら今度はわたしに目を向けた。


「携帯持ってる?」
「え…?うん」
「検索して。仙台市立第二小学校」
「はい?」
「早く。そこの児童だから」
「はっ!はい」


どうやら男の子の胸に付いた名札に学校名が書かれていたらしい。仙台市立第二小学校、とスマートフォンで検索すると学校の住所や電話番号が表示された。確かにここから近い場所だ。


「ありました」
「児童が登校中に倒れてるって電話して」
「あ…わ…わかりました」


この人が誰で、何故そんなに偉そうなのかという事よりもひとまずこの男の子を保護しなくては。

と言うか、見たところ高校生のくせに自分は携帯電話持ち歩いてないの?指示ばっかりして、どうしてわたしに全部やらせるんだよ全くもう。
…と苛々しながら小学校に電話したけれど、その間に聞こえてきた彼の声は別人みたいに優しかった。男の子と目を合わせて背中を撫でながら、話しかけていたのだ。


「お腹痛い?」
「いだい…」
「大丈夫。もうすぐ先生迎えに来るよ」


あなた、そんな声出せたんですか。激しすぎるギャップに目玉を飛び出しながらも、無事に小学校へ電話が繋がった。





小学校の先生らしき大人の人が二名現れたのは、それからすぐの事。何度も何度も頭を下げられ、もういいですから、と言うのでわたしは学校に向かう事にした。

そして、なぜだか運動着の男の子も同じ方向に進み始めた。どこ行くんだろう。でも彼の冷静な判断ですぐ学校に連絡する事ができたので、ちょっとムカつくけどお礼を言わなくては。


「あのう…ありがとうございます」
「別に、ていうか敬語要らない」
「え」
「同級生だろ。同じクラス」


彼はわたしの顔をちらりと見て、それからすぐに前を向いた。こんな人、クラスに居たっけ。


「……そうだっけ?」
「今年から」
「今年って…」


今年からって言われても、今日は四月九日。新しいクラスになったのは土日を挟んだ先週の金曜日だ。が、彼はわたしを覚えているようなので「新クラスになったばっかりなのに覚えてるわけ無いじゃん」なんて言えず。


「ごめん、わたし覚えてないや…」
「白布賢二郎。じゃあもう行く」
「しら…え、もう?そういえば何してたの、そんな格好で」
「見りゃ分かんだろ。部活」


それだけ言うと、白布くんと名乗った彼は走り出してしまった。着ていた服の背中には「白鳥沢」の文字。ああ、確かにうちの生徒だ。いやいやそんな事よりも。


「…見りゃ分かんだろ…!?」


見りゃ分かんだろって、言う?普通、女の子に向かってそんな口のきき方する?さっき小学生に向けていた顔と言葉は幻だったのか。





それから教室に入り、朝のホームルームまでの間に白布くんもやって来た。同じクラスというのは本当だったみたい。しかし席が離れているので近くを通る事はなく、わたしと目が合う事もないまま昼休みを迎えた。


「あの、白布…くん?」


さすがに今朝、見知らぬ小学生の一大事に一緒に居合わせたのに教室で一言も交わさないなんておかしいよね。
そう思って話しかけたところ、財布を持って立ち上がりながら白布くんが返事をした。


「何?」
「えーと…いや、本当に同じクラスだったんだなって。よろしくね」


白布くんはわたしの目をじっと見て、ウン。と一言だけ答えた。
何故こうも素っ気ないのだろう。今朝も態度があまり良くなかったし(あの男の子への態度は良かったが)、もしかして嫌われてる?


「…わたし、何か悪い事したかな…?」
「え?」
「わたしが白布くんの事知らなかったから怒ってるとか…」
「それくらいじゃ怒らない」
「じゃあ…」


それなら何故、もう少し柔らか〜い態度で接してくれないの?と言おうとした時。


「けんじろー、ミーティング」


教室の入り口で白布くんを呼ぶ声がした。何故それが白布くん宛てだと分かったのかというと、今朝「ケンジロウ」と名乗っていたし、呼ばれた瞬間に白布くんが反応したから。


「今行く」
「ミーティングって?」
「部活やってるって言っただろ。バレー部」
「え!白布くんバレー部なんだ」


という事は、今朝はバレー部のランニングか何かをしていた途中だったのか!…という意味で言った言葉だったんだけど、わたしが放った言葉を聞いた途端に白布くんの表情は一変した。今まで無表情だったのが、仏頂面へと。


「…なんでそんなに驚く?」
「ひぇっ?え、いや驚いたわけでは」


弁解する暇もなく白布くんは椅子を戻して、教室の外へと出ていってしまった。
今のってやっぱり怒らせた?いや、でも今朝も怒らせたかと思ったけど怒ってないって言ってたし、じゃあ彼の怒るタイミングはどこ?


「……こ〜〜〜わっ」


白布賢二郎、超がつくほどの仏頂面と弱き者への優しい顔、ふたつの顔を持つ男。
思えば出会った日の白布くんの印象は、めちゃくちゃ悪かったなあ。