02


成宮くんに、勝手に彼をモデルにして描いている事を知られてしまった。

「うまい」と言ってもらえたけれどあれはきっと社交辞令だ。
自分の知らないところで勝手にモデルにされていたなんて、気持ち悪いに決まっている。自分でも言うのも何だけど、わたしだったら気持ち悪い。
幸い一枚しか見られていないけど、このスケッチブックのほとんどのページが成宮鳴の姿で埋まっているのを知られたら?考えたくもない。教室の中では安易にスケッチブックを開かないようにしよう、そう心に決めた。

しかしわたしは相変わらず、早朝の美術室から成宮くんを眺めるのだった。ここなら誰にも見つからないから。


「…元気だなあ」


初めは「成宮くんを絵に収めたい」という気持ちが強かったのに、気付けば成宮くんを見るのが目的になっている。
朝から大きな声を出し、グラウンドを走り回り、汗を流す彼らはとても眩しい。成宮くんだけでなく、全員が。どうしてこんな時間から動けるのか不思議だ。成宮くんという目的が無ければ、わたしはギリギリに起きてしまうだろう。

やがて8時前になると、部員たちは監督かコーチのもとに集まって朝練終了の挨拶をした。
今から着替えて朝ご飯だろうか。散っていく部員を確認し、わたしも家から持ってきたパンを出して朝食タイムへ入る事にした。


「うーん…おいし」


隠れて侵入した美術室での朝食。成宮くんを見る時はいつもここで朝ご飯を食べている。家を出る前だと早過ぎるから。それに、この時間に食べるのが丁度いい気がするのだ。

パンを食べてからはしばらく、携帯電話で天気予報やSNSをチェックしていた。メジャーデビューした日本人が投打にわたって大活躍、というニュースとか。
成宮くんもいつかメジャーに行っちゃうのかな。そっちで彼女を作って結婚するのかな。それとも日本のプロ野球時代に結婚を済ませて、家族で渡米とか?


「やっぱり白石さんだったんだ」


妄想を繰り広げていた時に、ふと聞こえてきた声。
振り返るとそこには、飛び上がって天井に頭を突っ込みそうなほどの衝撃の人物。
成宮鳴本人が、美術室の入口に立っているのだ。


「…な…え!?成宮くっ」
「なんか視線感じるなーって思ってたんだよね、まあいっつも誰かしらの視線は感じてるけど」


…ここから見ているわたしの視線に気付いていたと言うのか。

既に制服を着ている彼は大きなショルダーバッグを担ぎ、ずかずかと室内に足を踏み入れた。
窓際にいるわたしのほうへ真っ直ぐ歩いてくる、と思ったがわたしには目もくれずに窓の外を眺めた。先程まで彼自身が立っていた場所がどんなふうに見えるのか確かめるように。
そしてそれを充分に堪能したらしく、勢いよくこちらを振り向いた!


「……なにか…用でしょうか」
「俺の台詞だよね?俺になんか用?」


窓のサッシに寄りかかり、斜め上からわたしを見下ろす。めちゃくちゃ怖い。こっそり見てるなんてやっぱり気分が悪かっただろうか。


「…ご…ゴメンナサイ」


でも、わたしは成宮くんを近くで見る勇気なんて無いから。
クラス内ではいつも、成宮くんの周りには男女問わず沢山の生徒が居る。グラウンドにだってそうだ。成宮くんに黄色い声援を送ったり、差し入れを渡そうとしたり、可愛い女の子が沢山。

わたしは実際にそこまでする勇気が無くて、勝手に絵を描いていた。元々感じていたその罪悪感と、今の成宮くんの態度で一気に縮み上がってしまった。このまま砂になって消えたい。
肩幅を極限まで狭くしたわたしを見て、 成宮くんは大袈裟な溜息を吐いた。


「……何でそんな怯えるわけ、俺別に怒ってないんだけど」
「え」
「たまたま校舎のほう見たら、ここの教室から誰か覗いてんのが見えたの。ここ最近毎日」


声はハキハキして強めだけど、成宮くんは特に機嫌の悪い様子はなく続けた。


「でも昨日のアレがあったから。もしかして白石さんなのかなーと思って来てみた。おかげで謎は解けたね」


昨日、教室でスケッチブックを開いていた時。ずっとひとりで描きためてきた「成宮鳴」のうち一枚を見られてしまった。わたしが成宮くんの絵を描いているのが、本人に知られてしまったのだ。


「…ごめんなさい。」
「だから怒ってねーって」
「だ…だって、覗いてたの気持ち悪いよね」
「はは、良くはないね。遠くて顔が見えないし、誰だアイツってずっと思ってたもん」
「……」
「写真撮られんのは慣れっこだけどさあ、まさか絵にされるなんて思ってなかったから。何でかなーって思っただけだよ」


さすがの人気者も遠くから覗き見されて、しかも絵にされていたなんて未経験のようだ。この様子だと引かれてはいない?でも、歓迎でも無さそうだ。


「美術部だから描いてんの?俺の事」


ほら、何故わたしが成宮鳴を描いているのか聞いてきた。気になるのは当たり前だ。


「……うん。そう、あの…人物画を描くのが課題になってて」
「へーえ。モデル選びの才能あるじゃん」
「は、はは」


これは咄嗟に出た嘘であった。課題なんて一切出ていない。でも美術部の課題と言えばもっともらしくて、怪しまれる事は無い。
顧問の先生と他の部員に申し訳なさを感じつつ、美術部である事を利用してしまった。


「けど、冗談抜きで何で俺なの」


が、成宮くんはそれだけでは質問を終えなかった。成宮鳴でなければならない明確な理由を求めてきたのだ。


「…成宮くんは目立つし…その、映えるかなぁ、と」
「映える、ねえ…」
「いつも堂々としてるから、見ていて気持ちがいいっていうか」
「気持ちがいい?」
「あ!?いや、違っ、ごめ」


今のは語弊だ!気持ちがいいって何言ってるんだわたし!上から目線にも程があるし!聞き方によっては変な意味に捉えられるかもしれない。この恋終わった。いや、昨日絵を見られた時点で終わっていた。

成宮くんはこれまで窓際に寄り掛かっていた身体を無言で起こした。そのままやっぱり無言で美術室から出…るのではなく、わたしの真ん前の椅子を引いて座った。


「はい。」
「…はい?」
「じっくり描けば?」


ドサッという音を立てて、成宮くんの鞄が床に置かれた。描けって?成宮くんを?じっくりと!?


「……いいの?」
「だって俺の事、描きたいんだろ」


だから真正面の自分の顔を、わたしに見せてくれているのだろうか。
描きたいのはやまやまだ。絵を描くのは好き。だから美術部に入った。でも今は、成宮くんが好き。だから絵を描いてる。順番がおかしくなっている。そんな状況でわたしは美術部を名乗って絵を描いて良いのか。


「で…でも…でも」
「課題なんだろ?」
「う…、うん」


グサリと罪悪感にナイフが刺さる。成宮くん、実は違うの。わたしが単にあなたの事を好きだから描いているだけ。話しかける勇気が無いから。今こうして二人きりで居ること自体が信じられない。成宮鳴が、すぐ目の前に。


「正直ヘタっぴな感じに描かれてたらショックだったと思うけど。白石さんすっげえ上手だし、いいよ。描かれても悪い気しないね!」


白い歯を見せて、いつも自信満々の台詞を発する大きな口を横に開いて、成宮くんは文字どおりニカッと笑った。
眩しさにわたしは目を閉じた。成宮くんの笑顔が眩しくて直視出来なかったんだけど、ちょうど良く太陽にかかっていた雲が晴れたおかげで、窓から光が差し込んできたっていうのを理由にしよう。