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高校を卒業してから三ヶ月しか経過していないと言うのに、とても長く感じられた。半年くらい経ったんじゃないかと錯覚するほど。
この数ヶ月で大学での新しい出会いがあり、新しい環境に放り込まれ、新鮮な気分に浸っていたものの恋人を疎かにして喧嘩をする事も。

みんなは俺を凄いだの、完璧だの言うけれどそんな事は無い。ペルセウスだって今は勇敢な星座として祀られているが、お前も何回かはアンドロメダと喧嘩ぐらいしたんだろ?と俺だけは空に問い掛けていた。もちろん、返事は無かったが。


「なかなか来ませんねえ」


とある日曜日、すみれと待ち合わせをしてやって来たのは加古川市にある体育館。
そして俺たちはその体育館前で何台かのバスを待っている。他のギャラリーも待ちわびていた、県内一番の強豪である稲荷崎高校バレー部の到着を。


「今日は三回戦ですか」
「そうやなぁ」
「だんだん相手、強くなって来そうですね?」


すみれはそわそわしているようだった。俺も、俺が居ないチームの応援に来るのは初めてなので不思議な気分だ。
三年生が抜けたからと言って戦力が落ちるとは思わないが、どうしても首を突っ込みたくなる。どこかの双子がまた喧嘩して誰かを困らせていないか、とか。


「あ!来よった!」


バスを待つ人だかりの中で、誰かが言った。駐車場の入口を向けば何台かのバスが連なって到着し、中にはバレー部の部員たちと、応援に来たブラスバンドの面々が。
最近侑がブラスバンドの女の子にお熱だと聞いたが、果たして余計な力を抜いて試合に臨めるだろうか?…これもまた要らない心配か。


「今日も頑張ってな侑くん!」
「おう、ありがとう」
「俺の顔で鼻の下伸ばさんとってくれる?」
「誰がお前の顔やねん?俺のがちょーっと偏差値高いぞ」
「はっ」


顔面に並ぶすべてのパーツが全く同じである彼らは、互いに自分のほうがちょっと勝ると思っているようだ。
ふたりとも同じように整っていると思うけど、「同じように格好いい」というのは彼らの前ではタブーである。そんな宮兄弟が歩いてくるのを見て、どうしても笑いを我慢することが出来なかった。


「お前ら、試合前に兄弟喧嘩なんて余裕やなぁ」
「!!」


ここで見せたギョッとした反応も全く一緒。同時にこちらを振り向いて、犬みたいに興奮した様子で寄ってきた。


「北さん!来てくれはったんですか?白石さんも」
「そら来るやろ、一応な」
「みんな頑張ってー」
「ありがとー」


すみれも双子とその他面々に声援を送ると、彼らはガッツポーズをしながらバレー部の列に戻っていった。俺も去年はあそこに居たなんてなぁ、あのジャージを着て、その下には1番のユニフォームを着て。


「調子いいみたいですね」


近くでそう呟いたのは、角名倫太郎であった。今の会話の流れだと、侑と治の事を言っているように聞こえるが。角名の目には俺と、俺の隣に立つすみれが写っているかに見えた。


「…それは俺の話?双子の話?」
「どっちでしょう」
「達者な口やな、相変わらず」


俺の言葉にはほんの少し口角を上げるだけに留めて、角名もメンバーの列に戻り体育館へと入っていった。


「調子悪かったんですか?信介くん」


今の会話を聞いていたすみれは角名を見送りながら不思議そうに言う。
調子はとても悪かったが、もう解決済みで思い出したくはない事だ。すみれと醜い言い争いをした事は、時々思い返すたびにどうしようもなく恥ずかしくなる。


「…まぁ、ちょっと。そろそろ中入ろか」
「はーい」


すみれは何も察していないのか察してくれたのかは分からないが、素直に返事をしてくれた。

体育館内は既に稲荷崎の生徒で溢れており、地区予選の三回戦とはいえ応援団もしっかりと揃っていた。
「あれが最近できた侑くんの彼女ですよ」とすみれに耳打ちされブラスバンドのほうを見てみると、なるほど侑の好きそうな綺麗な女の子がトランペットを吹いている。どうか侑が彼女にいいところを見せようと失敗しませんように、と俺はやっぱり密かに祈った。

そして、先程入口で会った出場メンバーが体育館内に入ってきた。途端に盛り上がる稲荷崎の応援団。俺自身も応援の声を聞いて昂ってきた。そして、コート脇でストレッチを始める面々を見て懐かしい気分に浸っていた。


「こっから観るのは久しぶりやなぁ」


ポツリと呟くと、それを聞いたすみれが顔を上げた。


「…そうなんですか?信介くんはずっとレギュラーやったでしょ」
「話さんかったっけ?レギュラーになれたんは最後の年だけやねん」
「え……」


高校一年、二年の頃はずっと上から試合を見ているのみだった。それが嫌だと思った事は無いけれど、俺があそこに立つメンバーと同じくバケモノみたいな凄いやつになれるとは思えなかったのだ。世界が違うというか、生まれが違うというか。


「…知らんかった」
「そういう事や」
「何か意外やなあ、わたしにとっての信介くんは何でも出来る人やから」
「はは、何でもか」


俺は自分が何でも出来ると感じた事は無い。やったらやった分だけ出来るというだけで。
だから未知の事には挑戦したって上手くいかない。俺が何でも出来る男なら、例えば初めて彼女とすれ違いが生じてしまった時も、すぐに解決策を見つけられたはずなのだ。


「俺がそんな完璧超人やったら、すみれと喧嘩せずに済んだんかな?」


と、単純にそう思えた。もしも喧嘩をせずに済んだなら怒らせなくて済んだし、悲しませる事も無かったから。
すみれも「そうですね」と笑ってくれるかと思ったのだが、突然無言で俺の肩に頭を乗せてきた。


「わっ、どないしてん」
「なんも……」


そして、膝の上に置いていた俺の手を取りぎゅっと握り始める。今は全員コートに視線を向けているから誰にも見られていないが、すみれから人の目がある場所で密着してくるのは初めてである。戸惑っていると、すみれは握る手に力を込めて言った。


「…やっぱ、ちょっと駄目なトコあるほうが良いですわ」
「俺?」
「そう」
「……そうやろか?」
「だって、そんな信介くんが好きなんやもん」


頭を肩に乗せたまま、すみれはそんな事を言った。だから俺は肩を震わせるのを我慢するしか無かった、嬉しさと笑いが込み上げてきたのを知られるのは照れくさい。


「…胸張って説教出来ひんくなるなぁ」


俺自身が完璧ではないのに、すみれを怒ったり指摘したりするのは良くないだろうか。「お説教は怖いからいいです!」と笑うすみれの声と時を同じくして、体育館内には試合開始のホイッスルが鳴り響いた。

アストロロジーの浸透