October 24th , Wednesday


さわやかな秋晴れの空、と言うにはもう肌寒いこの季節。
正直言ってこの時期に屋上に出る人は少ないし、そもそも立ち入り禁止なのだった。でも「禁止」と言われれば破ってしまいたくなるのが人間の性分だし、過去に破られた形跡もありありと残っているので、わたしたちはふたりだけの壮行会を行う場所として屋上を選んだ。
平日の昼休み、ほんの三十分程度という限られた時間ではあるけれど。


「誰も居ない?」
「…うん。寒いからかなあ」
「ラッキー、じゃあ行こう」


屋上の扉をほんの少し開き、誰かの姿が無いのを確認してから、大きく扉を開けてふたりで外に出た。
風は少し肌寒いかなと思ったけれども、太陽の真下にいるお陰でそれほど寒くはない。元々ここに来る予定だったから、ブレザーの下にセーターを着込んでいるし。
でもセーターなんて着ていない、更にはブレザーだって羽織っていない工は両手を広げて叫んだ。


「気持ちいー!」
「わっ、ちょっと…大声出したらバレるよ」
「大丈夫だって」
「駄目駄目!謹慎になったらどうすんの」
「屋上に入っただけで?」
「なるかもしれないじゃんか」
「ならないって。こっち来て」


わたしの心配をよそに工が手招きするので、まあいいか、と肩を落として近付いていく。

ふたりのお気に入りは仙台城が見える方角。並んで腰を下ろして、空とかお城とかを見ながらお弁当を食べて、時々肩を寄せ合って、というのを週に一度の楽しみにしている。その他の日は別々になり、お互い友だちとお弁当を食べるからだ。

だから、週に一度だけのこの時が、唯一わたしたちが二人きりになれる時間。工は普段練習で忙しくて、出掛けるのはなかなか難しいから。


「もうちょいこっち」
「う、うん」


工の隣に座ってみると、もっと近付くようにと腕を引っ張られる。これ以上近付けないってくらい近くに居るのに、もう耳に工の息が当たるくらいの距離だ。
顔を上げたら絶対に目が合ってこの恥ずかしい顔を見られてしまうので、工に耳を向けたまま体育座り。
でもそれがお気に召さない彼は、片手でわたしの頬・顎を簡単に包み込んで自分のほうに向けさせた。


「……あの、お弁当…」
「後で」


とても短く呟くと、工は目を閉じてわたしにキスをした。少し乾燥気味の薄い唇。
それが何度かわたしの唇に重ねられ、甘噛みを繰り返すと潤いを増してきた。柔らかくって気持ちいい、でも恐ろしい。永遠に時間を忘れてしまいそうだ。


「…つ、つとむ」
「んー」
「誰か来るかも…」
「来ないよ、寒いんだから」
「でも」
「おーねーがーい」


工のお願いは付き合い始めてから一度も断る事が出来ていない。そりゃあ断る筈が無い。わたしもキスがしたいんだから。自分からは言いにくいだけ。

わたしたちは互いにキスが上手いとか下手とか、そういうのはよく分からない。ただ自分たちが「心地いいな」と思えるように唇を合わせ、「もっと教えて」と伝えるように舌を伸ばす。工のキスは結果的にわたしを気持ちよくさせるので、彼はキスが上手いと言って間違いないと思う。


「…あったけー。」


最終的にぎゅっと強く抱きしめあった時、工が噛み締めるように言った。


「そ、そお?」
「うん。熱あんじゃないの」
「無いと思うけど…」


身体を離して自分の額に手を当ててみる。確かに熱いけど、これはきっと工のせいだ。「そんなに熱くないよ」と伝えたものの、「本当?」と私の手の上から額に手を当ててきた。


「ひゃっ、」
「かわいい」
「!!!ちょ」
「あっ、何で逃げんの」
「だだだっだって!」


付き合い始めの時は何を言うのもしどろもどろだったのに、今じゃ工は戸惑いも無く甘い言葉を吐いてくる。可愛いとか、好きだよとか。会える時間が少ないんだから言える時に言わせてよ、とか。凄く嬉しいけど、その都度わたしは発熱地獄だ。


「そろそろお弁当食べよ、ね」
「はーい」
「せっかく作って来たんだし」


このままでは昼休みが終わってしまう。今日はわたしが二人分のお弁当を作ってきたから、それを味わってもらいたいのだ。
わくわく待つ工の視線を感じながらお弁当包を開くと、わっと大きな聞こえた。


「すっご!全部リクエスト通りじゃん」
「試合前だからね!お母さんに手伝ってもらって頑張った」
「ありがとうございますっ」


きっと嬉しい反応をくれるのだろうと思っていたけど、期待通りに喜んでくれた。
箸を持ってどれから食べようかとお弁当を見下ろす姿に、母性本能をくすぐられる。さっきキスしていた時は男らしくて仕方なかったのになぁ。


「…つとむ」
「ん?」
「…あーんする?」
「!!」


わたしがこんな事を言い出すとは思わなかったのか、工は口をあんぐり開けた。そのままパクパクと口を動かし、喋る内容を整理している様子。


「し…す…え?する、うんするする」
「あ、慌て過ぎだよ」
「すみれだって慌ててるだろ」
「そそそそんな事」


そんなに驚かれたらこっちまで緊張してしまう。お願いします、と工が言うのでわたしは箸を手にとって、お母さん直伝のだし巻き玉子を挟んだ。


「…あーん。」


口を開いて待つ工の口元へ、一口サイズのだし巻き玉子を持っていく。
あれ、どのくらい奥まで入れたらいいんだっけ。加減が分からなくて、工の大きな口の中に置いてから素早く箸を引っ込めた。途端に工は「ん!」と目を輝かせ、ゆっくりと噛んでいく。


「おいひい」


飲み込むのと喋るのとを同時に行おうとしたせいか、げほっとむせながら工が言った。美味しいって!


「よかったぁ」
「超おいしい!全部食っていい?」
「はは、いいよ」
「うわあ、やべーテンション上がる」


ちゃんと噛んでいるのか不安になるほどのスピードで、工がお弁当を食べ始めた。そんなに喜んでもらえると、こっちのほうがテンションが上がる。

もぐもぐと食べ続けるお陰で静かになった屋上。風の音と、後者の窓から漏れる生徒達の声だけが遠くに聞こえる。そうなると、ふと考えるのはどうしても大会の事。


「…明日からだねえ」


明日から、いよいよバレー部の県予選本戦が行われる。インターハイの時には出られなかった工はやっとレギュラーを勝ち取って、その試合に出る事ができる。


「試合ぜんぶ観たいなあー」
「平日は学校あるからなあ」
「何で平日にするんだろうね」
「さあ…あ。これって鮭?」


ぱくり、もぐもぐ。工はおにぎりを食べ始めた。彼氏の試合を全て見きれないわたしの悩みは届いていないらしい。そんなところも工らしいと言えば工らしいのだが。


「土曜日、絶対観に行くから」


土曜日が県内トップを決める決勝戦。これだけは必ず応援に行きたい。そして、工の格好いい姿を直接見たい。
未だもぐもぐタイムを続ける工の裾を引っ張ると、やっと工は口の中のものを飲み込んだ。


「ん、うん。バス準備してくれるし絶対来てよ、決勝まで残るし…ていうか全国行くまで?」
「おおー」
「牛島さんが居るからな」
「つとむは?」


すると、二個目のおにぎりを取ろうとしていた工の手が止まった。


「…俺が居るからな。」
「あっ言い直した」
「だ…だって牛島さんすげえんだから!本人には言えないけどマジで!」
「へー」


牛島さんが凄いのは、白鳥沢の生徒なら誰だって知っている。でも最近までライバル視どころか「絶対に超えてやる」って息巻いていたのに、牛島さんの事を褒める回数が増えた。


「わたしにとってはつとむのほうがスゴイけどね」


牛島さんを素直に尊敬しているところも、工自身の努力も、そんでもって魅力も。
…という気持ちを込めて「スゴイ」と言ってみたところ、工は食べようと持っていたおにぎりをお弁当箱に戻した。


「……もー」
「何?」
「昼休み足りねえ…」
「え、わ!ちょっおにぎりっ、」


おにぎり触った手で触っちゃダメ!と言おうとしたのに、途中で身体を強く締め付けられて適わなかった。キスはとっても良いのだが、わたしをハグする時の力加減だけは、まだまだ改善の余地ありだ。