08


「ほんまにほんまに申し訳ない」


土下座せんばかりの勢いで謝っているのは俺、ではなくて同じ大学の佐々木さんであった。

先週の事、佐々木さんに誘われてゼミの集まりに出向いてしまったは良いが、酔っぱらった佐々木さんに携帯電話を誤操作されてすみれに多大な不快感を与えてしまったのだ。更にその後俺とすみれは大喧嘩をしてしまい、それは今も続いている。


「…別に佐々木さんが全部悪いわけちゃうし、ええよ」
「あかんで北くん!妥協したらあかん!あたしが最高に最強にメッチャ悪い。マジであかんやつ。めっちゃごめん!!」


ぱん!と手を合わせて、佐々木さんは再び頭を下げた。腰は綺麗に直角に曲げられている。
この子に腹を立てた事もあったが、そもそも断る勇気を持たなかった俺も悪いので頭を上げるように促した。


「もう謝らんでええから…」
「嘘やん、まだ彼女と喧嘩中やろ!?」
「……そうやけど」
「ホレみいや!あたしのせいやんな?」
「…まあそれもあるけど」
「ほらあぁぁ!」
「や、けど俺も悪かってん。やからもう佐々木さんはええから。一個だけお願い聞いて」


佐々木さんが何度も謝罪を述べるので、こっちが申し訳無くなってきた。全てアルコールのせいとは言わないが(未成年飲酒をしたのは佐々木さんだし)、同じ空間にいながら飲酒を止めなかった俺も悪い。
だからもうあの日の事は水に流して、ひとつ彼女にお願いをする事にした。


「もう俺の事誘わんとって欲しいねん。友だちが要らん訳やないけど、」
「いや分かってる。分かってるで。言いたい事は」


かなり食い気味に佐々木さんが言った。


「飲み会もバレーももう誘わんとくから。もしアレやったら彼女んとこ謝りに行くし」
「ええってそこまで…」
「ホンマのホンマにアカンかったら行くから!すみれちゃんにも頭下げさせて!なんなら殴ってくれてもええ!!」


頼めば本当にすみれの前で頬を差し出しそうな勢いだ。さすがにそれは過剰なので、もしも必要になったら呼ぶわ、と伝えるとやっと頷いてくれた。


「あと…自分、あんまお酒飲んだらあかんよ」


ついでにもうひとつ、お願いでは無いけれど気になっていたことを伝えた。お節介かも知れないが。実際俺は少し迷惑してしまったし、これから先この子自身が困るかもしれないから。
もしかしたら嫌な顔をされるかなと思ったが、佐々木さんは大人しく返事をした。


「……はーい。」
「このあいだは大丈夫やった思うけど、危ない目に遭うてからやったら遅いやろ」
「…うす。」
「分かってんの?」
「分かってるって…北くんほんま優しいねんな」
「はあ?」
「ふっふふふ」


お母さんみたい。と佐々木さんは女性らしく笑ってみせた。佐々木さんと出会ったばかりの時に感じたのと同じ、自分の魅せ方を分かっているような顔で。しかし、不思議とあの時ほど彼女から「女」を感じる事は無かった。


「仲直りできたら報告してな」
「…わかった。」


そう言うと、ようやく佐々木さんに解放された。仲直りができたら報告、しておくか。まずはその仲直りの方法から考えなきゃならないけれども。





恋人と喧嘩をした時、結局どうすれば解決するのか一人では策が見当たらない。だからと言って喧嘩の原因を言い触らすのも嫌だ。特に口の軽そうな連中には。

…という事でこの間出くわした角名に聞いてみたところ、「プレゼントでもあげたらどうですか」との事だった。
プレゼントって。モノで釣るのもどうかと思うが、よく考えたら謝罪をする立場だし少しでも誠意を見せるには効果があるだろうか。


「何がええんか分からんなあ…」


女子の好きそうなもの、例えばアクセサリーとか、そういうのは全くと言っていいほどセンスが無い。すみれに渡すもので失敗しないのはやっぱり星座に関する物しか浮かばない。
だからこの辺の巨大なショッピングモールにやって来て、ひたすらそれらしい店を探って歩いていた。

…が、そういう場所にはそういう物に興味のある人間が集まってしまうらしく。


「…ほんでな!そん時白石先輩が」
「!!」


突然、すみれの苗字が聞こえてきたのでびくりと跳ね上がった。実際には数ミリ程度しか動いていないだろうが、心臓が天井を突き抜けてしまいそうなほど跳ねた気分だ。

どこかで聞き覚えのある声、そして「白石先輩」という呼び名。
誰だろうと声のするほうを見てみるとドンピシャリ、すみれの後輩であった。しかも俺たちが喧嘩をした日、すみれと一緒に会話をしていた一年生の、確か小田くんという人物。と、もうひとりは恐らく一年生の女の子だ。


「白石先輩ほんま温厚やんなぁ」
「わかる」
「大学生の彼氏いてるんやってさー」
「え!?うそ。どんな人?」


興味津々で食いついたのは女の子のほうだった。
俺はというと、思わぬところで自分の話題が挙がってしまい慌てて彼らから見えないように棚の影に隠れる。
その場を離れようとしたけれど、どうしても続きが気になって動けなかった。すみれは第三者に、俺の事をどのように紹介しているのだろう?


「何か、王子様みたいな人って言うてた」


王子様みたいな人。
それを聞いて女の子は首を傾げたのだろうか、暫く静かになった。俺も声を出すどころか息が止まった。


「…王子様?」
「白石先輩て、ペルセウス座の神話好きやろ?」
「あー、言うてた!」
「ペルセウスみたいな人やねんて」


まだまだ俺の呼吸は回復しない。聴覚以外のすべての器官が停止したかに思えた。
俺はすみれにとって「王子様」?付き合い始めのころ、確かにそう言われた。去年の秋頃だ。もう半年も前。
この時普通なら「何を未だに惚気てんねん」と呆れるのだろうが、俺には呆れることなど出来やしない。


「先輩ッポイなあ、めっちゃ素敵やん」
「やんな」
「自分もしかして白石先輩の事スキやったりして」
「ちゃうわアホ、ちゃうし」


女の子からのからかいの言葉を、小田くんは必死で否定していた。俺はその声だけを聞いて、一年生の小田くんが一緒に居るあの子にどんな気持ちを抱いているのか分かった気がした。


「わたしにも王子様現れんかなあ」


それを知りもしない女の子は、夢見るように呟いた。ぐさりと俺の心に刃が刺さる。俺が傷ついたのではなく、小田くんの傷みを感じてしまったのだ。果たして彼はどんな言葉を返すだろうか。冷や冷やしながら耳を澄ませていると、元気な声が聞こえてきた。


「はぁ?お前んとこには来んやろ」
「何なんそれ!?分からんやん」
「いや一生無理やで、たぶん」
「はァー、あんたホンマ腹立つ、めっちゃムカつく」
「はいはい」
「流さんとってくれますか!?」


言葉遣いは荒々しいながらも、ふたりは楽しそうにはしゃぎながら離れていった。
高校一年生の小田少年よ、俺は謝らなければならない。申し訳なかった。直接謝ることは適わないのでここで謝罪の念を送っておく。そして、俺が彼女の王子様である事を思い出させてくれてありがとう。

アルデバランの
軌跡をなぞり