October 27th , Saturday
ひとことで言うなら「真っすぐ」、でも太くて強くて真っすぐなんじゃなくて、どこか危ういんだけれども他の追随を許さないような夢と意志を持った、真っすぐなひと。
五色工は眩しいくらいに純粋な男の子であった。白鳥沢に進学してから偶然同じクラスになって、偶然席がとなりになって、偶然わたしの弟がバレーボールをやっているおかげで仲良くなった。
そして、これは願わくば偶然で無ければいいのだが、わたしたちは惹かれあって恋人同士になった。
「もうバス出るってよ、早く!」
「あ、うんっ」
友だちに呼ばれて慌てて走り始めるわたし。10月27日の朝、土曜日で授業は無いと言うのにわたしたちは学校に来ていた。他の生徒もちらほらと集まってきている。今日これから何台かのバスに乗り、バレー部の応援に行くためだ。
しかしわたしが慌てているのは自分のバスに乗り遅れるからじゃなく、一足先に出発する男子バレーボール部の出発が迫っているからである。
既に停車したバスの近くには、バレー部員とそれを見送るために集まった生徒が居た。
その中で目立っているわけじゃないけど、すぐに見つける事が出来た恋人の姿。
工もわたしに気付いて「おはよう」と手を挙げたので、何名かの視線がこちらを向く。恥ずかしいけど自慢したい。わたしがこの人の彼女なんだぞって。
「見送りきてくれたの?」
「う、うん…なんか緊張してきた」
「何ですみれが緊張してるんだよ」
「だってさあ」
だって、工はずっと春高に出るために頑張ってたから。入学して仲良くなった時からそれを目標にしていて、入部してからもすぐにはレギュラーになれず悔し泣きしていた。インターハイの時、工はベンチメンバーにも選ばれずに観客席から試合を観ていた。
それを知ってるから緊張する。彼が全てを費やしてきたものが今日、集大成が見れるのだと。
「夏はイイトコ見せられなかったけど。今日はゼッタイだから」
そう言って力強く拳を握る工のことを、素敵だなって思うのは当然だと思う。
ただ、そんな工の言葉はわたしだけじゃなく、そばに集まっていた他の人にも聞こえていたらしい。バレー部のジャージを着た人が小さく口笛を吹いた。
「かぁっこいいね〜」
「オイ!ちょっかい出すな」
「て、天童さん…盗み聞きやめてください!」
「聞こえちゃうんだってばぁ」
なんとなく知っていたけど、工は部活の先輩たちにちょっとイジられている。愛されキャラなんだろうなぁ、だから工はわたしに「あんまり練習観に来ない方がいいよ」と言う。わたしまでその対象にされるからかも。
先輩たちはそのへんは弁えているみたいで、わたしが彼らに何か言われた事はまだ無いけれど。(工は寮とかで何か言われてるかも知れない)
「ったく…それで…あれ。なんの話だったっけ」
「あははっ」
「わ、笑うなよ」
「ごめんごめん。今日はイイトコ見せてくれるって話」
「あーそうそれ…うん。そう」
工は頭をぽりぽりかいて、口を尖らせた。さっき言った台詞が今になって恥ずかしくなったらしい。
「…まあいつも通りに勝つだけだけど!昨日までみたいに」
昨日と一昨日の件予選を勝ち抜いたように、今日も力を出し切るだけ。
そう言ったところで、バレー部のコーチが点呼を始めた。やべ、と顔を上げる工。そろそろ行かなきゃならないらしい。バスに向かおうとする工に最後に声をかけるため、わたしは息を吸った。
「後で追いかけるね。頑張って!」
「もち!」
ガッツポーズで返してくれた工が踵を返し、バスへ乗り込んでいく。
自分の席に向かいながら先輩に声をかけられ頬を染めるのを見ると、また何かからかわれているらしい。
決勝前なのに皆、緊張してないのかな。それとも自分たちが勝つのを分かっているから、無駄な緊張なんてしないのか。
◇
決勝戦が行なわれる体育館。わたしたちも一足遅れて応援する生徒用のバスに乗り、会場へ到着した。
体育館の中では先に到着していたチアリーディング部と応援団が用意を始めている。その間を縫って席につき、コートを見下ろせば両チームとも練習を開始していた。
白鳥沢のユニフォームは紫と白。相手は黒だから、互いが互いを引き立たせるかのような色である。
その中でも動きにキレがあり、すらりとしているのに筋肉質で、お気に入りの前髪を揺らす恋人の姿はすぐに見つけられた。
「…かっこい…」
「声に出てるよ」
「う、うん…だってさー…つとむやっぱり格好良いよ」
「ハイハイ。わたしは牛島先輩かなあ」
友だちはキャプテンの牛島先輩目当てのようだ。確かに素敵だと思うけどわたしにとって工以上に良い人は居ないかなぁ、なんて思いながら工ばかり見ていると、相手チームの様子を見ていた友だちが言った。
「相手も強そうだね」
「そ…そんな事ないし!」
「だって見てコレ、ダークホースって出てるよ」
「……。」
生徒に配られた相手チームの情報には、確かにそう書かれていた。ダークホースって何か格好いい書かれ方してるけど、白鳥沢のほうが強いに決まってるじゃん。それに、
「…勝つって約束したもん」
工は今日もいつも通りに勝つと言っていた。他の先輩たちだって同じ気持ちだろうし、応援するわたしたちが相手チームにビビってどうする。全力で応援しなきゃ、試合を盛り上げてこっちの空気にしなければ。そして勝利した暁には最大級の歓声をあげなければ。
と、思っていたのは数時間前の事。
すっかり空気の変わった体育館。大きな拍手と、遠くのほうで盛り上がる声が聞こえる。長い長い試合はたった今終わった。白鳥沢の敗北という結果を残して。
「…だいじょうぶ?」
「……」
「すみれ…」
友だちは一生懸命わたしを気遣ってくれるけど、耳に入ってこない。
大丈夫なわけないし、例えわたしが大丈夫であっても工は大丈夫じゃないはずだ。昨日までみたいに勝つよって言ってたのに負けたんだから。
付き合ってからずっと、ふたりで遊びに行くのも限られた時間だったから数える程度しか無いし。土日だって練習だ。放課後も暗くなるまで練習して、寮で寝て、そこからまた朝も練習。
そこまでしていた彼らが負ける事をどうして想像できるというのだ。
「…なんで」
「え?」
「なんで、日曜日とか、遊ぶのとか、全部返上して頑張ってたのに…こんな、一回の試合で終わっちゃうんだろ、ね」
工に練習時間のことで我儘を言ったことは一度もない。彼の頑張る姿は好きだったから苦じゃなかった。練習は結果をもたらしてくれると信じてたから。
「納得いかないよ…」
お前が負けたわけじゃ無いくせに泣いてんじゃねーよって、周りの人に思われるだろう。でもこんなの我慢出来るわけない。勝った時のことしか考えてなかったんだもん。わたしだけじゃなくて他の生徒もきっと同じ。
「帰りのバス出るよ」
「……」
「先に戻ってようよ、あとで五色くん迎えてあげなよ」
ね?と優しく肩を叩いてくれる友だちに感謝しなくては。一人じゃきっと、なかなか立ち上がることが出来なかった。
◇
バスで学校に到着してからは、各々自分の部活の練習に行ったり帰宅したりと生徒は散り散りになった。
バレー部のバスがいつ戻ってくるのか分からないけど、どこで工を待っていれば良いだろう。しかもどんな顔をして、どんな声をかければ良いだろう?
結局、誰もいない食堂の中で座っておくことにした。土日に工と会う時は、練習の合間にここで話をする事があったから。
「…すみれ?」
「!」
少し掠れた低い声。名前を呼ばれて飛び上がる。いつの間にか結構な時間が経過していたらしく、工が食堂へやって来ていた。
「なんでここ分かったの…」
「なんとなく。居るかなって」
工の表情は明るくもなく、暗くもない。真顔といえば真顔だけど、そのぶん気持ちが分からなかった。
「座るよ」
「…ん。」
歩み寄ってきた工はわたしの隣の椅子を引き、そこに座った。座ってからは何を言うでもなく、股の間で両手の指を絡ませながら考え事をしているようだ。
「何か今、頭の中からっぽかも」
やがてポツリと工が言った。
「…わたしも。」
「せっかく応援来てくれたのにゴメンね」
「いやいやっ、そういう意味じゃないし」
負けたからってわたしに謝ることじゃない。一番悔しくて悲しいのは本人たちだし。でも気の利いた言葉が出てこなくて、わたしはまた黙り込んでしまった。
工、かっこよかったよ。素敵だったよ。今日は負けたけど、次から負けなきゃいいんだよ。そんなうわべの言葉をかけるのでは足りない、五色工は努力し過ぎていた。
「俺、ずっと牛島さんに勝ちたいなあって思ってたけど」
「…うん」
「まあ勝てないのなんて分かってたけどさ。初めて実際に間近で見た時、ぜってえ敵わねーなって思ったし」
「……」
牛島先輩の話は工から何度も聞いていた。ライバルであり目標であり仲間である人。牛島さんが、牛島さんがといつも言っていたのに、その牛島さんは今日で引退だ。白鳥沢の絶対的エースだった人。
「俺、牛島さんの代わりになれるかどうか分からない…」
その牛島さんを継ぎ、チームを引っ張る事の責任を工は負えるのかどうか。
わたしには分からない、工も分かっていない、まだ受け止めきれていない。でもわたしに出来るのは信じる事だけだ。工は絶対大丈夫だよ、絶対やって行けるよと。