06


落ち着いて考えれば分かる事でも、焦った時には簡単に判断を誤る。

それはどんなに注意深く真面目に生きてきた俺にだって起こり得る。あの時ああしていれば良かった、こうしていれば結果は違ったと後悔した時にはもう遅いのだ。大抵の場合は。

許されるならやり直したいと思った事が過去に何度もある。一番最近では一月上旬の春高全国であったが、とうとうそれは塗り替えられた。
俺は今日をやり直したい。
その「やり直したい今日」の事をどこから説明すれば良いのか、まだ冷静になれていないので初めから説明させてもらう。


「きーたーくん」


今朝の事だった。天気がいいのを楽しみながら歩いていると、佐々木さんに声をかけたれたのは。

俺は正直言って佐々木さんを嫌いではないし、最初の頃はむしろ好きだった。いろんな場所に気を遣えるし、このように話し掛けてくるのは俺に対してだけでなく、すべての人間に平等だ。
それは素直に尊敬できるのに、どうも彼女は加減というものを知らないようだ。それだけが佐々木さんの苦手なところ。


「…何。」
「飲み会来おへん?」


またあまり関わりたくない単語。飲み会って事は居酒屋かどこかに行って何人かでお酒を飲むという事だ。俺も佐々木さんも(もし佐々木さんが浪人していないなら)未成年だし、そういうものには興味が無い。
良くない事が起こりそうな気配がぷんぷん臭う。断るしかない。


「行かへん」
「ええっ!別に飲まんくてええねんで?交流会みたいなもんやし」
「サークルには入らんて言うてるやろ」


あれからずっと断っているのに、ついに練習では無くて飲み会に誘ってくるようになるとは。いわゆる新入生歓迎会みたいなもんなのだろうか?
怪訝な顔をする俺を見ても佐々木さんは引く様子が無く、それどころか笑って言った。


「バレーの飲み会ちゃうちゃう、あたしらおんなじゼミ取ってるやん。せっかくやから同期で集まらんかって話!」
「ゼミの……?」


よくよく話を聞いてみると、本当にサークルとは関係ない集まりが開かれるらしい。てっきりその飲み会とやらで囲まれて半ば脅迫のように勧誘されるのかと思っていた。

しかし、しかしだ。複数名が集まる「飲み会」に行くなんて、何か事件が起こりそうでならない。俺たちはまだ未熟な年齢だし、もしかしたら誰かは飲酒をしてしまうかも知れない。


「………。」
「なんか疑ってる?」
「そういう訳ちゃうけど…」
「大丈夫やで、鈴木くんも島田くんも来る言うてるし。男に両隣占拠させときぃや」
「そういう問題でも無いねんけど…」


鈴木と島田という、同期で比較的仲のいい男子も参加する予定らしかった。それなら大丈夫か?とも思うが、やっぱり嫌な予感しかしない。しかし頑なに断るのは気が引けた。


「これから四年間一緒の仲間やん!なぁ」


こんな事を言われたら、それもそうか、と思ってしまったのだ。

入学してからというもの大学の同期と大学外で会うことも無く直帰、寄り道したとしても稲荷崎高校。
このまま四年間を過ごしたのでは、確かに大学で友人を作ったり充実した大学生活を送れないのでは。それに、ある程度は周りに合わせるのも重要な事なのでは無いかと。





夕刻、俺はやっぱり断れば良かったと後悔する事となる。何故なら用意されたのは予想どおり居酒屋で、そこで交わされる会話はあまり興味のないものだったから。


「なー、村井さんてめっちゃ可愛ない?」


隣に座る鈴木はチラチラと女子のほうを見ながら耳打ちしてきた。
村井さんはどの子だったかな、と俺も横目で見るものの同じような髪型で同じような服装の女子ばかり。可愛くないとは思わないが少なくとも俺にとって魅力的では無かった。


「…そうか?」
「そうやろ!…あーお前カノジョ居るて言うてたもんなぁ」


ぎくり、と思わず携帯電話を握りしめた。
今日の俺の後悔その2は、この集まりに参加するのをすみれに黙っている事。俺とすみれの間には、あの日からなんとなく良くない空気が流れている。だからそれを更に悪い方向へ持っていくのが嫌で、内緒にしておこうと思ったのだ。
しかし元々隠し事が苦手な俺は早くも罪悪感で一杯だった。


「あかんめっちゃタイプ…」


そんな俺の苦悩を知らず、鈴木は「村井さん」のほうを見ては顔を逸らし、見ては逸らし、を繰り返している。


「話しかけたらええやん」
「えーほんま?イケるかな」
「ウダウダしてたらイケるもんもイケへんで」
「北ってなかなかアクティブやな…」


そうだろうか?好きなら好きと伝えればいい、会いたいなら会いに行けばいい。それを恋だと気付くのに時間がかかった俺が言うのも変だけれども。
言わずに後悔するよりマシやで、とどこかで聞いた台詞を鈴木に伝えてみると、彼は目を輝かせた。


「…やな!行ってくるわ」
「おー」


鈴木が単純なやつで助かった。どたどたと村井さんの席へ移動するのを見送って、ふうと息をつく。


「やっと静かになった…」
「なれへんよ」
「!!」


落ち着いて携帯電話を確認しようとしたその時、なんと佐々木さんの細長い脚が鈴木の居た場所へ入り込んできた。
そのまますとんと腰を下ろして、誰のものか分からないグラスを取ってニコリと笑いかけてくる。


「きーたくん、やっとお隣空いたわぁ」
「佐々…ちょっ、あかん」
「あかんくなぁい」


あかんあかん、あかんやろ。隣に座ってくる事もまず問題だし、その距離を徐々に詰めてくるではないか?やっぱり来たのは失敗だった、今すぐ帰ろう。と鞄を取って立ち上がろうとしたものの、佐々木さんに腕を掴まれて叶わなかった。


「なに帰ろうとしてんの」
「自分が近付いてくるからやろ」
「なんなん私の事嫌いですかー?」
「嫌いではないけどやな…」
「ふっふふふは」


佐々木さんはいつも以上にテンションが高く、けらけらと笑いながら俺の肩に頭を乗せてきた。一気にドシンとのしかかる巨大な罪の意識。そして鼻をついてくるアルコールのにおい。


「…酒飲んでんの?」
「飲むよぉそらぁ、あっ北くんに強要はせんから安心して」
「そうやなくて…」


駄目だ、帰ろう。
用事がある振りをするために携帯電話を取り出したところ、ちょうどすみれから『今から帰ります』とメッセージが来ていた。
俺も今すぐ帰らなければ、そしてすみれに俺から話さなくては、今日の出来事を洗いざらいと。やはり黙っておくのは俺には無理だ。

再び立ち上がろうとした時、なんと今度はすみれから電話がかかってきた。


「!」
「あっ!すみれちゃん?」
「ちゃう、俺もう帰るから」
「えっ!?ちょお待って、…あ」


佐々木さんが一瞬だけ動きを止めた。どうしたのだろうと見下ろすと最悪な事に、佐々木さんの指が俺の携帯の画面に当たってしまったらしい。
見事にスライドされた画面の表示は「通話中」、一気に血の気が引いた。


『もしもし信介くん?』
「すみれ、ちょっと待っ」
『ん?』
「すみれちゃんと電話!?」
「あっこら」


この時俺は力を行使すべきか迷ってしまった、仮にも相手は女の子だし。
けれどこれが後悔3つ目、佐々木さんを力ずくで引き剥がさなかった事。彼女は携帯電話を奪うのではなく、俺の手を固定させて携帯に向かって話し始めたのだ。


「もしもしすみれちゃん!今帰り?」
『ど…どなたですか?』
「もーすぐ北くん帰る言うてるから!すみれちゃんも気を付けて帰るんやでぇ」
「ちょっ」
「ほらぁ北くんも」


やっと佐々木さんが手を離し、俺に話すよう携帯電話を押し付けてきた。
今言えることなんか何も無い。落ち着いて話せる状況では無い。はじめから順を追って説明しなくては、帰りながら冷静に。


「ごめん、いったん切るわ」
『え』


だから今は一言謝って、申し訳ないが電話を切った。そして村井さんと話していた鈴木もさすがに俺たちの様子を見て危機感を感じていたらしく、恐る恐る俺に近づいてきた。


「ほんまにあかん、俺はもう帰るからな」
「お、おう…」


苦笑いの鈴木。こんな状態では苦笑いするしか無いだろう。佐々木さんは言うだけ言って眠くなってしまったのか、なんと壁にもたれて眠りこけていた。

自分のぶんのお金を鈴木に預けて店を出、エレベーターに乗り込みながら携帯電話を開く。すみれからは電話の折り返しは来ていなかった。が、ひとつだけメッセージが。


『もう電話いりません。』


いろんなことが重なると、人は簡単に判断を誤ってしまうのだ。あの時ああしていれば良かった、こうしていれば結果は違ったと後悔した時にはもう遅いのだ。
俺は今日をやり直したい。最初から。朝目覚めた瞬間からやり直したい、そしてやり直せたならば固い決意を持って家を出るだろう「飲み会なんてクソくらえ」と。

ハッピーエンドは世迷い事