November 11th , Sunday


高校最後の学園祭。本当ならもっと晴れやかな気持ちで参加すべきだと分かっているのに。
今日だけは受験の事をいったん忘れて全力で楽しむぞって思っていたのに、それは叶わなくなってしまった。

川西くんとはこのあいだから一度も会えておらず、メールも電話も出来ていないのだ。わかしからメールなんて送れるわけがない。
川西くんがクラスの女の子と盛り上がっている姿を見て、わたしは焦ってしまった。嫉妬した。自分の気持ちを誤魔化すためにアレコレと勝手に口から言葉が出た。
その結果、彼をひどく傷つける羽目になってしまったんだから。


「やっぱりセーラー服なの?」


学園祭当日、コスプレ喫茶というありきたりな出し物をする私のクラス。
借り物のセーラー服に身を包んだわたしは別人のようだった。普段がブレザーだから印象ががらりと変わって、なんというか、幼い。おまけにわたしの表情はどんよりしているので、喫茶店を盛り上げる事が出来るかどうか。


「…もうコレしか無いし。これでいいよ」
「せめてテンション上げたら?最近暗くない?」
「そんなこと…」
「まあわたしも受験は焦るけどさあ…」


友だちはどうやら、わたしは受験勉強の進み具合で落ち込んでいると勘違いしたらしい。深く踏み込まれずに済んだのは有り難いが、だからってテンションは全く上がらない。

試合に負けてまだ心の整理がついていない川西くんへ、「もう立ち直ってるよね」などとその時の感情で言ってしまった。取り返しのつかない事をした。彼を深く傷つけた。
だって川西くんが女の子と盛り上がっているのを見て、心がぎゅっと苦しくなってしまったんだもん。

いつも「白石さん」としつこくわたしに話しかけていた彼の周りには、女の子はわたししか存在しないのではないかと、勝手に思い上がっていた。
居るに決まっている。同級生の可愛い女の子がいくらでも。仲が良いのも当然だ。
わたし以外の女の子と、わたしの知らない場所で、わたしの踏み入る隙の無いクラス内で、学園祭の準備をするために女の子と密着するなんて。


「写メってあげようか?」


セーラー服を着たわたしを見て友達が言った。写真を撮られたって、見せる人が居ない。この姿を見たらどんな反応するかなあ、と気になる唯一の人はもうわたしの事など嫌っているはず。


「いいよそんなの、撮らなくて…」
「えー、せっかくカワイイのに」


この姿を見て「かわいいっすね」と、まったく気持ちのこもっていない目で言われるのかな?と心のどこかで期待していた愚かなわたし。いつの間にか川西くんのことが好きだったんだ、と今になって気づく愚かなわたし。
そんな女のセーラー服姿を、写真に残してどうなると言うんだろう。


「牛島さん山形さん、ちわっす」


そんな時、クラスで一番目立つふたり、牛島くんと山形くんを訪ねてやって来たのは五名ほどの男子生徒。
全員背が高いのを見て、彼らはバレー部なのだろうと分かった。が、その中に川西くんの姿が無いか探そうとするのは止めにした。


「牛島さんの割烹着、似合ってますね」
「それは褒めているのか」
「褒めてるよ〜ね?英太くんツーショット撮りなよ誕生日記念に」
「はあ?こんなもんプレゼントとして受け入れねえからな!撮るけど」
「撮んのかよ」


男子バレー部は地元の取材を受けたりもする有名人だけど、普段からこういう会話を聞くわたしにとっては普通の男子高校生。動物の着ぐるみを着た山形くんと割烹着の牛島くんの間に、今日が誕生日だという瀬見くんが挟まれている。
その異様な光景をサンバの衣装を纏った天童くんが写真に収めている(天童くんのクラスはサンバショーをするらしい)、ますます異様だ。


「太一も写っとく?」


その時、わたしが必死に意識の中から消そうとしている人物の名前が聞こえた。天童くんが写真の輪の中に入るかどうかを聞いたのだ。


「…だいじょうぶです」


彼らのほうを見ないように努力していたのに、姿を見つけないように気を付けていたのに。やっぱり川西くんはそこに存在したらしい。

でも彼は写真に写るのを断っていた。写らないんだ、せっかくの思い出になりそうなのに。天童くんも「入ればいいじゃん」と不満そう。
そうだそうだ入ればいい。同じ空間にわたしが居て申し訳ないけど、少しでもうちのクラスの出し物を楽しんでくれればいい。はしたないセーラー服を着たわたしの事なんて視界に入れないでもらいたい。それなのに。


「白石さん」
「っ、」


それなのに、バレー部の集団から離れたところへ逃げていたわたしを、川西くんは発見した。


「白石さんですよね?」


確認するように名前を聞いたのは、わたしが白鳥沢の制服ではなく妹のセーラー服を着ているからだろう。しかも、結構短い丈の。

こんな関係になる前ならば「スカート短すぎませんか」と言いながらも褒めてくれる川西くんを想像出来た。でも今は、ひたすらに恥ずかしい。俺に無神経な事を言ったくせに何浮かれてんだよコイツ、と思われるのが怖い。わたしは浮かれてなんかいないのに。


「…だ…団体が座れる席は…あちらです」
「白石さん」


別人を装って空いている席を手のひらで示してみたが、川西くんはそれを無視した。無視どころかわたしが挙げた手首を掴んで、自分のほうに向き直らせたのだ。


「団体じゃないです。俺ひとりです」
「へ…わっ!?」


何を言ってるんだこの人、と思った時には掴まれた手首を引っ張られていた。
川西くんは長い脚ですたすたと三年三組の教室を出て、学園祭で騒がしい廊下をすり抜けていく。わたしの手首を掴んだままで。
教室からは「太一アイツどうしたの」という天童くんの声が聞こえていた、ああ大変だ。


「ちょっと、川西くんっ」


無言でわたしを連れ回す彼に呼びかけてみるが反応は無い。怒っているの?
何人かにぶつかりながら歩いてやっと辿り着いたのは、学園祭では使われていない教室。校舎の端っこにあり比較的静かなので、自習室として使われている場所であった。


「…いいんですか、抜け出してきて」


やっとわたしの手を離しながら川西くんが言った。


「よくないよ!ていうか川西くんが連れてきたんでしょっ」
「それもそうですね」


相変わらず何を考えているのか一切読ませてくれない言動、そして表情。そのくせ彼の目はわたしの心を見透かしてしまいそうなほど、真っ直ぐにわたしを捉えていた。
ただ、今の川西くんが見ているのはわたしの目や顔ではない。主に首から下だ。


「か…川西く」
「よく見せてもらえませんか?」


そう、セーラー服を着ているわたしの姿をまじまじと眺めていたのである。瞬きも忘れていそうなほど長時間。


「ひとつ良いですか」
「…え…う、うん」


ごくりと喉が鳴る。無意識のうちに身構えてしまった。この間のわたしの失言について、ついに何か言われてしまうのだろうかと。
川西くんからどんな辛い事を言われても受け止めようと唇を噛んだ時、彼が息を吸うのが聞こえた。


「すっげ可愛いです」


極限まで膨らんだ風船がついに割れたかのような、緊張からの解放。…と言うか、間の抜けた空気の乱入。


「……え…あ…ありが…え?あの」
「そんな格好するならするって先に言ってくださいよ」
「え、え…ごめん…?」
「……」


よく分からないけど川西くんに怒られた。セーラー服を着るなら先に言わなきゃいけなかった?いや、怒られる覚悟はしていたけれど何か違う。瞬きを繰り返すわたしを暫く見下ろしていたが、川西くんはゆっくりと肩を落としながら息をついた。


「…って、言えるわけ無いですよね。すみませんでした」


そして、今度は頭を下げ始めたではないか。いったいわたしは彼の中でどのような立ち位置に居るのだ。


「なんで…謝るの」
「このあいだ俺、白石さんに酷い態度取っちゃいましたよね」
「それはわたしが…」
「まあ、白石さんのせいなんですけど」
「うっ」


ぎくりと身体が跳ねた。川西くんがあのような事を言ったのは、川西くんにあのような顔をさせたのはわたしのせいで間違いないから。


「あんな明らかな態度取るくせに無理やり誤魔化そうとするし、勝手に勘違いしてるし」
「……」
「俺がもう、負けたくせに元気ハツラツで居るんだって思われてるし」
「…ごめん……」
「いいんですよそれは。試合の事はもう」


やはり傷ついたのだと知り改めて頭を下げようとしたものの、川西くんはわたしが謝るのを制した。完璧ではないけれど試合に負けた事は心の整理が出来てますから、と。


「でももうひとつはハッキリさせてくれますよね?」
「…もうひとつ?」
「白石さん、どうしてこのあいだ俺から逃げたんですか」


あの時、学園祭の準備で賑わう川西くんの教室を訪れた。
そこで見たくないものを見てしまい、気付かれないうちに戻ろうとしたけれど川西くんと目が合った。そして、逃げた。だってすごく辛かったから。頭の中がぐしゃぐしゃになって、逃げるという選択肢しか浮かばなかったから。


「…そ、それは」
「それは?」
「それは……」
「俺が二年生の女子と密着してたから?」


図星である。わたしはあの時、女の子が川西くんにお化けの被り物を脱着するために身体を近付けているのを目にした。胸が当たりそうな距離。少し首を伸ばせば、キスできてしまいそうな距離。それが凄く嫌で、視界から消したくて逃げた。


「あんなの衣装を着るためには仕方ないじゃないですか」
「で…でも!あんなふうに仲良さそうにしてるの見せられたらわたし…」


そこまで言ってからハッと口を覆う。わたし今、何を言おうとしているの?


「なんですか?」


川西くんも続きを促している。なんですかって、そんなの言わなくても気付いていそうなくせに。わたしがこうして両手で口を覆っても、もう遅いだろうに。


「わたし…川西くんが…他の子と仲良くしてるの、すごく嫌な気持ちになった」


わたしが川西くんから逃げた理由はたった一つ、あの女の子に嫉妬したからだ。その嫉妬を川西くんに知られるのが恥ずかしかったから。
それに自分自身が川西くんの事をどう思っているのか、あの時は自覚していなかった。気付くのが怖くて逃げてしまったのだ。

それを補足として説明しようとしたんだけど、突然顔面を何かに押し付けられて声が出なくなった。…川西くんの胸板だ。


「かわっ…!?」
「さいこうです」
「え」
「可愛さマシマシっす」
「はっ?」


川西くんは力任せにわたしを抱きしめたまま続けた。


「俺はずっと、プールで走って転ぶような慌てんぼうの白石さんが好きです」


ぎゅうぎゅうに抱き締められているので、川西くんがどんな顔で言ったのかは分からなかったけど。好き、と言った瞬間にわたしを締め付ける腕の力が強くなった。


「白石さんは俺の事、アウトオブ眼中だったみたいですけど」
「っそれは…」
「だからあの試合の日に、惚れてもらおうと思たんですけどね…」


負けちゃいましたけど、と小さな声で続ける川西くん。負けたからって何なのだ。川西くんの魅力は試合の勝ち負けに左右されるようなヤワなもんじゃない。遠くの席から観ていたわたしにもしっかりと伝わってきたんだから。


「…惚れたよ」
「え?」
「しっかり惚れたよ。あの日」


川西くんの手が緩んだ。互いの顔がきちんと見える距離まで離れて、今度はわたしの番。


「川西くんが何と言おうと、あの時の川西くんはかっこよかったもん」


試合の日の川西くんも、試合に来て欲しいと誘ってくれた川西くんも、負けた事を必死に整理しようとする川西くんも、全て格好いい。もちろん今、わたしに告白してくれた川西くんもだ。


「わたしも、好き」


彼の目が絵に描いたような点になり、口が半開きになった。ぽかんと呆けた様子でわたしを見下ろしている。なにその顔、と吹き出しそうになってしまった。
しかしわたしが吹き出す前に、再び川西くんがすごい勢いで背中に手を回してきた。


「ぐぇ」
「もー…好きっす」
「…ちょ、川西くんっ」
「聞こえません」


川西くんが彼の思うままにわたしを抱きしめるおかげで、妹のセーラー服はぐしゃぐしゃである。汚れないように気を付けていたのに帰ってアイロンをかけなきゃならない。だから少し離れるようにと川西くんの身体を押してみたけど、全然動かなかった。


「だめ、セーラー服…借り物だから!しわになっちゃう」
「それが何ですか?」


セーラー服のしわなんて、川西くんにとっては全く関係の無い事らしい。それどころか着慣れない制服を着たわたしの頬を、川西くんが指でそろそろと撫でてゆく。
あ、この人、まさか。そう思った時には思い切り顔を上向きにされて、川西くんからのキスが降ってきた。何度も何度も、わたしの服をぎゅっと握りながら。
…セーラー服、実費でクリーニングに出せばいいか。