20180504


目が覚めて部屋の中でストレッチを行う、頭が冴えて来てから共用の手洗い場へ。
すでにそこに居た何名かに「おはよう」と挨拶をし、その中で最も気の許せる男の隣へと歩く。川西太一は俺が隣に並んだことに気付くと少しだけ身体を避けてくれた。


「誕生日おめでとう」


と、まるで「今日の味噌汁なめこだってよ」みたいなノリで言いながら。


「…知ってたのかよ。さんきゅ」
「まあね」
「全然誕生日って感じしないけどな」


今日はみどりの日、世間は楽しいゴールデンウィークの真っ最中。部活に入っていない者はどうだか知らないが、俺たちは変わらず学校敷地内の寮で寝食を共にする。朝から夕方までぶっ通しで練習という事だ。

歯磨きを終えた太一は口をゆすいで洗面所から去るのかと思いきや、俺が終わるのをずっと待っている。
ああ何か言われるな、とすぐに分かった。太一の目がキョロキョロしているし、間もなく部活だし、なんたって今日は俺の誕生日なのだから。


「白石さんに言わないの?」


誰も居なくなってから太一が言った。予測していたとは言え直球すぎる彼の言葉に、思わずブッと口の中のものが出てしまう。ここが洗面所で良かった。


「言うかボゲ」
「祝ってもらえばいいじゃん」
「ここでその話すんなっ」
「誰も居ないよ」
「……」


誰かが居る居ないの話じゃない。とにかく外で白石さんの事を言うのはやめて欲しい。俺がずっと好意を抱いているマネージャーの話なんか。それにわざわざ「俺、誕生日だよ」とカミングアウトするような真似はしたくない。


「いいよべつに。向こうは俺の事なんかなんとも思ってない」
「卑屈だねえ」
「現実が見えてると言ってもらいたいね」


白石さんはバレー部でたった一人の女子マネージャーだ。同じ高校二年生。去年までは他のマネージャーの先輩も居たけれど、卒業と同時に白石さんのみになってしまった。

俺は去年から彼女の事を見てきたし、隙を見つけて話しかけたりもした。が、誕生日の話などした事が無いのだ。俺は一方的に白石さんの誕生日を知っているけれども。
それに、白石さんは俺の事など意識していないに決まっている。


「おはよう!」


既に一年生が準備を始めている体育館。足を踏み入れれば同じく練習開始のために走り回っていた白石さんが横切り、俺と太一の姿を見つけて挨拶をしてくれた。


「…おはよう」


朝から白石さんが挨拶してくれた、それに動揺してはきはきとした声が出ない。太一は俺に気を遣っているのか小声で挨拶を返したのみだった。

白石さんは俺たちのそばからさっさと離れて、タオルを出したりビブスを出したりと大忙し。でもお陰で助かった。「頭の周りに花飛んでる」と太一が俺をからかうのを、彼女に聞かれず済んだのだから。

そして練習が始まってからも、誕生日だからと言って何か特別な事があるはずは無い。みんなと同じようにストレッチや筋トレをし、軽くロードワークに出て、戻ってまた筋肉をほぐし、やっとボールを使った練習。これを切り抜けなければ俺がここにいる意味は無い。白石さんの事は二の次だ。


「あっ」


でも、白石さんのこんな声が聞こえるとどうしても意識が向いてしまうのは事実。

突然彼女がちいさな声を上げたのは、運良く俺が休憩に入った時だった。腕いっぱいの空のボトルをからんからんと落としてしまったようだ。
今から補充に行くのだろうか?これはチャンスかも。ただ、チャンスを活かすために俺は深呼吸をしなければなない。


「持つ」


落っことしたボトルを回収するのを手伝ってやり、補充を手伝うと申し出た…つもり、なのだが俺の口からは「持つ」の二文字しか発せられていなかった。


「え。大丈夫だよ、持てるよこれくらい」
「いいから貸して」


白石さんが持っていたボトルの籠を取り上げて、俺は体育館の外に出た。
この行動のひとつひとつを終えるごとに頭の中には反省点ばかり。お察しのとおり俺は好きな女の子を目の前にして、落ち着いて優しい言葉をかけるという事が出来ない。
どうしても冷静に顔を見たりゆっくり喋る事が出来なくて、愛想の悪いやつになってしまうのだ。


「白布くんてさあ」
「なに」
「損してるって言われない?」


水道までの道を歩きながら、白石さんにそう指摘されてしまった。


「…はあ?」
「言われるでしょ」
「何だソレ。言われない」
「少なくとも、わたしは思ってる」


損をしているって、俺が?そんなの言われたことは無いが、俺のどこが損をしていると言うのだろう。


「…どういうところが損してると思う」


「そうかな?どうしてそう思う?」と普通に聞けばいいものを、俺はまた無愛想な質問の仕方をする。これが無意識ならば仕方ないだろうが、意識しているのにこうなるから問題だ。


「なんて言うんだろ…いい人そうなのに時々怖かったり」
「怖くした覚え無いけど」
「そういうのが怖いんだよ」
「……。他には?」
「ちょっと乱暴だったり」
「乱暴って…」


俺は白石さんから見て乱暴に見えてしまってるのか。精一杯優しくしようと気構えているのに、言葉と身体と俺の表情は真逆の反応を示してしまう、それは分かっているけれど。客観的に見て乱暴だと思われているなんて大いに問題ありだ。


「いや、違うかな?ぶっきらぼうって言うの?」
「同じようなもんだろ」
「とにかくさ、もうちょっと眉間のしわ伸ばしたほうがいいよ。じゃないと一年生も怖がって近寄ってこな、」


なんだとコノヤロウ、それが出来るなら苦労しないしお前にだって余裕しゃくしゃくで笑いかけてみたいんだよ今畜生。
…と喉から出そうになった時、白石さんの身体がぐらりと傾いた。俺は咄嗟に手を伸ばそうとしたが、残念なことに両手にボトルの入った籠を持っている。そのせいで一瞬躊躇ったものの籠を離し、倒れかけた白石さんの腕をかろうじて掴んだ…が、完全に支えることはできずに俺も一緒に身体が傾いてしまった。


「あぶね…」


間一髪、白石さんは思い切り転げるのは免れて軽く尻もちをついただけで済んでいた。
俺も片膝を付くだけに留まったが、その代わりに俺たちの周りには無残に散らばったボトルの数々。白石さんの足元には段差があった。ここでバランスを崩してしまったらしい。


「…ご…ご、ごめ」
「怪我は」
「だ、だいじょうぶ」
「ったく…」


俺は男だし長い丈のジャージを履いているし、そもそも手足の怪我なんて日常茶飯事。でも白石さんは女の子だ。しかも俺が、何度も言うけど去年からずっと好きな女の子。近くに居ながら怪我をされてはたまらない。
見たところどこも擦りむいたりはしていないようで、彼女を起き上がらせるために俺は手を差し出した。


「ん」
「…え?」
「手!ボケっとすんな」


普通、自分が尻もちついた状態で男に手のひら差し出されたら分からないか?…分からないのか。そうだよな。また俺は怒ったような口調で喋ってしまった、糞野郎め。


「………。」


白石さんは無言で俺の手を掴んで、引っ張るとすぐに立ち上がった。
女子ってこんなに軽いのか。白石さんは普通体型だと思うけど、やっぱり男と女じゃ違う。どこか痛いところは無いか?見えない怪我はしていないか?頭の中では色々浮かんでくるのだが、うまく言葉にする事が出来ない。
きっと白石さんの言うように俺の眉間には深いシワが寄っているに違いない。一年生に怖がられるような顔。乱暴な顔。それを直したいのに直せない俺はどうすりゃいいんだよ。


「優しいヤツはこういう時…どうやって起こしてやるのが正解なわけ」


恥を承知のこの質問。俺が優しい男に見られるためには、どうすればいいのか本人に聞くしかない。しかし白石さんはふるふると首を振った。


「…わかんないよ」
「わかんねえのかよ」
「でも」


そう言ってから白石さんは暫く黙り込んだ。続きが待てずに彼女の様子を伺う俺。目が合うと白石さんは唇を尖らせて言った。


「今のはチョット良かったんじゃないの」


どうしてその言葉を口を尖らせて、俺から顔を逸らして、更にはちょっと顔を赤らめて言ったのか。


「……は?」
「ふふ」


そして、どうして俺が聞き返すと、恥ずかしさに耐えるように笑みを漏らすのか。俺の顔にはまた眉間のしわが現れているだろう。だって理由が分からないんだから。


「なに笑ってんだよ」
「ううん。…誕生日なのに迷惑かけちゃったなあって思ったら、なんか…ごめんね」
「…あ…え?」


俺は言葉を失った。その理由はいくつかある。照れ笑いめちゃくちゃ可愛いじゃねえかよって事とか、ゴメンネって台詞がすげえキュンと来たとか。俺の誕生日知ってたのかよって事とか。


「オメデト」


ふふ。と、白石さんはまた小さく笑って顔を伏せた。しゃがみ込んで今度は俺が散らかしたボトルを拾い集めていく。
俺も手伝わなくては。けど。けどさあ。
こんな時はどんな顔して「ありがとう」と言うのが正解なんだよ、眉間のしわは見逃してくれ、今はしわを寄せるか頬を染めるかのどちらかしか無理なのだ。

Happy Birthday 0504