05


ゴールデンウィークが明け、再び日常が戻って来た。「日常」と言っても俺にとっては先月始まったばかりの新しい日常なわけだが。

すみれと出かけている時に偶然出会った佐々木さんとは、今日は運よく出くわしていない。同じ教室内に居る事はあったがなんとなく避けたほうが良い気がして、顔を合わさないように気を付けていた。佐々木さんと別れた後のすみれの表情は、決してご機嫌だとは言えなかったから。

そんなすみれの様子が気になるというのもあり、バレー部の後輩が寂しがっていると聞いたのもあり(社交辞令かも知れないが)、帰りに稲荷崎高校へ足を運ぶ事にした。
あまり早い時間に到着しても練習の邪魔だと思われたので大学構内の図書館で時間を潰し、ちょうど練習の終了時刻を狙って到着した。


「あっ!ちょ!ちょおっ」


と、俺の姿を見るや否や仲間を集め始めたのはムードメーカーの銀島である。


「北さんや!」
「北さん!?」
「ほんまや北さん!」


自分よりもでかい図体の男が俺に向かって突進してくるのは少々怖いけれども、彼らの表情はオモチャにつられる子どもみたいだったので何とか耐えられた。予想通りたった今練習が終わり、自主練を開始したところだと言う。


「最近来おへんから見捨てられたんかと思てましたよ」
「最近て…二、三週間前に来たやん」
「そうですけど」
「何か問題無いか?」


後輩達に最近の様子を聞いてみた。しかしすぐに思い出したのだった、俺はもう引退どころか卒業済みだという事を。


「…て、あっても俺には関係ないねんけど」


俺の悪い癖は、ついつい偉そうに口出ししてしまう事だ。もう自分が所属しない部活だと言うのに「問題無いか?」って、あったとしても俺に報告する義務は無いというのに。
しかし、銀島はものすごい至近距離で悲しそうに訴えてきた。


「なんでそんな寂しい事言うんですか!」
「え。すまん」
「問題あったら真っ先に北さんに相談しますやんか!」
「それはそれで困るねんけど」
「北さんこそ万事順調ですか?」


騒がしい銀島とは対象的な声で割り込んできたのは角名倫太郎だ。この世代では一番冷静で、かつ視野の広い部員では無いだろうか。その視野は勿論同級生だけでなく、俺にも向けられているようで。


「…まあまあかな。まあまあや」
「フーン…珍しいですね」


俺が自分の事について答えをはぐらかすのは珍しいようだ。
今の角名からの問いはすみれの事を聞かれているようだったので、ハッキリと答えづらかったのもある。
最近俺は悩んでいるのだ。俺の言動が気付かぬうちにすみれに嫌な思いをさせているんじゃないかと。先日町中で会った佐々木さんに、すみれが変な勘違いをしているんじゃないかと。


「…天体観測はやってないんやな」


角名の目を俺から逸らすために辺りを見渡すと、いつもならすみれがひとりで望遠鏡を覗き込んでいたお決まりの場所に今日は人影が無い。


「そうですね…部室が出来たんで、そっちに居るんじゃないですか」
「あー、そうか」
「何人かで時々、そのへんでやってますけ…ど」


そのへん、と言いながら指さそうとした角名の言葉が止まった。


「なんやねん?」
「…なんもないっす」
「言いかけた事は言え」


非常に言いにくそうな様子で角名は頬をかいた。俺に言い難い事とは恐らくすみれに関連する事だ。ただでさえ言葉の途中で切られて気になると言うのに、すみれの話となれば更に。
最後まで話すよう促す俺には勝てないと思ったのか、角名は肩を落として続けた。


「や、北さん知ってるかもしれませんけど…天文部に男子が増えたッポイんで」


なるほど、俺にそれを言っても良いものか悩んでいたのか。


「…なんとなく知ってる」
「なんとなく?」
「集合写真見ただけやけど」
「ああ…」


先日すみれが送ってくれた写真に写っていたひとりの男子生徒、恐らく一年生。角名もその存在を知っているという事は、後輩とともに体育館のそばで天体観測をした事があるのだろう。

だが、天文部に男が一人増えたからと言って何なのだ。一緒に写っていた残りの二名は女子だったし、女三人・男一人なら特別心配な事は無いと思われるが。角名はどうもすっきりとしない様子だ。


「で、それが?」
「いや…あ、」


本当に言いたいことは何なのか、聞いてみようとしたけれど叶わなかった。角名の目線の先、校舎のほうから何名かの話し声が聞こえてきたのだ。

そのうち一人は俺が聞き間違えるはずのない恋人のもので、あとは知らない女の子の声、そして男の声。
白石さん来ましたよ、と角名が耳打ちしてくれたがそんな事はとうに気付いてる。ただ何故か振り返るのが嫌だったのだ、すみれが俺の知らない男に向かって楽しそうに話す姿を見るのが。


「やっぱ男の子おったら助かるわあ」


と、すみれが感心したように言うのが聞こえる。男子生徒が天体望遠鏡を持ち運んでくれているらしい。俺が卒業するまでは、それをすみれの代わりに運ぶのは俺の役割だったのに。
そんなことを思い返している俺は相当怖い顔だったのだろうか、角名が恐る恐る呼びかけた。


「…北さん?」
「なんや」
「や…怒ってません?」
「怒る要素なんてあるか?」
「…ありません。」
「せやろ。俺は怒ってへん」


怒ってなどいない。俺が怒るような事は無い。女子が持つには大変だから天体望遠鏡を男が運ぶ、そんなのは当たり前のことだ。どうして俺が怒る必要なんてある?


「あっ、信介くん」


そこへ、この嫌な空気を吹き飛ばしてくれるような声。すみれが俺に気付いたようだ。角名はナイスタイミングだと言わんばかりにそそくさと自主練に戻って行った。
取り残された俺は、ひとまず今声を掛けてくれたすみれのところへ歩み寄る。彼女の周りには突然現れた俺を不思議そうに観察する一年生が居たので、とりあえず挨拶をしてみた。


「…コンバンハ」
「こんばんは!…あのう…?」


この人誰ですか、という目で女の子のひとりがすみれを見た。


「バレー部OBの北先輩やで」
「え!?うちのバレー部て」
「去年の主将やってん」
「わっ、すご」


すみれが俺を紹介すると、三人とも目を見開いて俺を見上げた。誇らしいような恥ずかしいような、本当の事なのだがスゴイスゴイと騒がれる事でもない。あまり萎縮されるのも嫌なので軽く話題を振ってみる事にする。


「みんな、元々こういうのが好きなんや?」


そのように聞いてみると、一番近くにいた一年生が頷いた。


「そうですね…私はチョット興味ありました」


それを聞いてもうひとりの女の子もうんうんと首を縦に振る。男子生徒も頷いていたが、にこにこ笑いながら一言。


「白石先輩の誘い方が凄かったんもありますけどね」


彼は俺が何者なのか知らずに言ったに違いない、だから俺に対しては何の他意も無かっただろう。けれど俺は思ってしまった。一体すみれは新一年生をどんなふうに勧誘したのだろう?


「あの、もしかして天文部にも居はったんですか」


嫌なことを考えてしまいそうになった時、男子生徒が言った。更に嫌な方向へ考えてしまいそうな事を。


「…いや。どんな事してるんか気になっただけやねん。邪魔して申し訳ない」


俺は今この学校の生徒ではない。天文部でも無かったし、ただの男子バレーボール部だった。すみれとどんな関係であるかを自ら明かすのも変だ、それは良くない気がする。
だから今日は単に「気になっただけ」という事にして、すみれの部活が終わるまで待っておくことにした。





それから一時間もしないうちに、彼らは手短に天体観測を終えたようだ。俺はその間バレー部にも気を遣わせないように、目立たない場所で待っていた。すみれには「邪魔にならんとこで待ってる」と送っておいたので、俺を待たせているから早く終わらせてくれたのかなと、自分に都合のいいことを考えながら。


「信介くん!」


本を読みながら待っていると、ベンチに座る俺を見つけてすみれが駆け寄ってきた。


「ごめんなさい、色々やっとって…先帰って良かったんですよ」


色々って何だろう。もしかして後輩の男と話していたとか。いやそれは考え過ぎだろう俺、でもなんとなく彼はすみれに気があるようでは無かったか?俺の被害妄想なのか。
それがだんだん俺の心に余裕を無くし、「先に帰って良かった」と言うすみれの言葉がぐさりと心に刺さった気がした。


「帰って欲しかったか?」


俺はこんなに嫌な人間だったろうか、彼女に向かってこんな口のきき方をするような。


「…そんなん言うてませんやん」


案の定すみれは硬直し、俯きながら小さな声で言った。俺もそんなすみれを見て、やってしまったと後悔した。


「……そうやな。ごめん」


最悪の空気になった。俺はすみれよりも歳上なのに、どうしてこうも格好のつかない事を言ってしまうのだ。


「あの、さっき…」
「ん?」
「小田くんが、信介くんに聞いたでしょ。天文部やったんですかって」
「ああ…」


小田くんとやらは恐らく、天文部の一年生男子だろうと思われる。


「何であん時…」


すみれはそこまで言うと言葉を止めた。


「何で、わたしの彼氏やからって言ってくれんかったんですか」


小田くんという男子が俺に、過去に天文部にも居たのかと聞いた時。その時の俺の答えが納得のいくものでは無かったらしい。

だが俺だってあの時はどうするべきか分からなかった。分からないなりに考えて答えたのだ。俺とすみれとが恋人同士である事なんて、彼らには関係ないのだから。
だから俺はつい自分の答えを否定されたような気がして、口調が強くなってしまった。


「…それ、言う必要あるか?」
「で、でも」
「公私混同すんのは嫌いやねん。部外者が居てるだけでもあの子らにとったら気になるやろし」
「けど」
「彼氏やからってしゃしゃり出んの気分悪いやろ」


口を開いたまま固まるすみれ。俺の言うことが正しいから言い返せないのか、それとも俺が突然こんな言い方をする事に驚愕しているのか、どちらにしても今の俺を落ち着かせるには程遠い反応である。俺だって自分が何故こんなにも苛立っているのか分からないのだ。


「…そうかもしれんけど」
「常識的に考えたらそうやろ?」


それでも俺はきっと間違ってない。すみれが間違っているとも思わないが、とにかく俺は絶対に間違っていない。何が俺をここまで頑なにさせるのか、今は冷静に考えることが出来なかった。
わかりました、とすみれがかすれた声で言ったのも、まだ俺の苛立ちを抑えるには足りない。

あなた狂ったリズム感