November 2nd , Friday


わたしは決勝戦の日に、約束通り試合を観に行った。「どうしても観てもらいたい」と誘われて、予定が入ったら無理だよと何度か伝えたけれども、結局なんの予定も入らなかったから。

それに、実はちゃんと予定が入らないように調節した。川西くんがあそこまで強く誘ってくるから断り辛かったし、彼の試合に出る姿を観てみたいなあと思えたから。

でも結果負けてしまい、弱々しく笑う川西くんに「かっこよかったよ」と告げたけれど、それが反対に彼を傷つける事になってしまった。
わたしみたいな、ルールにも何も詳しくない人間が気休めで「かっこよかった」なんて、言ってはいけなかったのかも知れない。それが分かったのは川西くんの更に弱々しい笑顔を見た後だった。


「ねえ、衣装用意できた?」


慌ただしい教室の中、友だちに声を掛けられてハッと我に返る。
間もなく年に一度の学園祭が行われる予定で、生徒たちはその用意に追われているのだ。それはうちのクラスも例外ではないが、三年生は受験の関係であまり用意に手間のかからない出し物が許されている。


「あー…うん。妹のセーラー服借りる」
「セーラー服!普通じゃん」
「そうかなあ…だってコスプレっぽい服持ってないし」


わたしたちのクラスでは「コスプレ喫茶」という、どの学年にも一つはありそうな出し物だった。
全員何かしらのコスプレをしなきゃならないんだけど、わたしは良い衣装を持っていない。妹が通う中学校のセーラー服を借りて着るだけにするつもりだ。ただし妹はわたしより背が低いので、スカートの丈が短いのだけが難点である。

せっかく楽しい雰囲気に包まれているのに今ひとつ乗り気になれなくて、わいわい騒ぐクラスの中心からこっそりと抜け出した。すると、同じように騒がしいのが苦手であろう男の子が、教室の隅っこに立っていた。


「牛島くんは何着るの?」


黙って突っ立っている牛島くんに聞いてみると、彼は真面目な顔で答えた。


「割烹着だ」
「か…割烹着?」
「寮の食堂から借りる」
「ああ…」


牛島くんをはじめバレー部は殆どの生徒が寮生活をしている。寮母さんか誰かから割烹着を借りるらしい。
牛島くんの割烹着姿を見られるなんて、この気を逃すと一生無いんじゃなかろうか。さっきまで落ち込んでいたはずのわたしだけど、思わず顔が緩んでしまった。

きっと牛島くんの姿を写真に収めようと、たくさんの生徒が訪れるだろう。他のクラスからだけじゃなく、バレー部の後輩たちも。
そこで、せっかく楽しくなり始めていたのに思い出してしまった。川西くんの事を。


「…あ、あのさ」
「ん」
「あの、バレー部の…川西くんって居るじゃん」
「…川西太一か?」
「うん…あの子って、試合の後…どう?」


何という質問だろう、もう少しマシな聞き方があったんじゃないかと思うがもう遅い。牛島くんはしばらく無言で考え込んだものの何も浮かばなかったらしく、「さあ」とだけ答えた。


「分かんない…よね」
「川西はあまり表情に出ないからな。と言うか白石は川西と知り合いなのか」
「え、いや…顔見知り程度」


そうか。わたしと川西くんが何故知り合いなのか、そこから話さなきゃならないんだった。
牛島くんが川西くんに余計な事を言ってしまわないように(言わないとは思うけど)、今のは忘れてくれと頼んでおいた。





放課後、自分のクラスを抜け出して下級生の校舎にやって来た。
わざわざひとりでこんな場所に来る理由はひとつ。モヤモヤ考え込むのは辞めにして、川西くんに一言しっかり謝ろうと思ったのだ。あの日、わたしが余計な事を言ったせいで彼を傷付けたかも知れないから。

最近は電話もメールもしていないので、突然連絡するよりは直接話すほうが早いと考えた。だから少々目立ってしまうけど二年生の教室前をそろそろ歩いて、やっと川西くんのクラスに到着した。


「二年五組は…お化け屋敷?」


二年生たちも同じように学園祭準備のため、教室内でガヤガヤと盛り上がる声が聞こえた。わたしも去年こんな感じだったっけなあ。

お化け屋敷をするらしい川西くんのクラスには、黒い布の束が大量に置かれている。脅かすための音を出す道具とか。既にカセットデッキでホラー映画のBGMを流しており、クラスの雰囲気は上々の様子。

そんな教室内をこっそり覗こうとした時、わたしが居るほうと反対側の出入口から背の高い男の子が廊下に出てきた。
頭には被り物をしているので判別がつかない。が、男の子が気だるそうに被り物を外すと顔が見えた。間違いない、川西くんだ!


「あ、川西く…」
「やーっだ川西くん!超似合ってるんだけど!」


ほぼ同時、いや、わたしよりも早くに明るい声で川西くんを呼んだのは二年生の女の子。被り物を脱いだ川西くんに駆け寄って、変装姿を絶賛しているようだった。


「なんかコレ、首がだるいんだけど…」
「大丈夫!川西くん大きいから!それでドヤアアッて脅かしたら大受けだよ」
「そお?」


川西くんはわたしと話す時と同じように、あまり表情を変えずに応答している。傍から見ても素っ気ない。
でも、そんな素っ気ない対応すら羨ましかった。川西くんと一切の連絡を絶っているわたしからすれば。


「こっちも試してみよ、ちょっとかがんでー」
「はい」


言われたとおり川西くんが腰を曲げた。そして今度は別の被り物を、女の子が彼に被せてあげている。「高いよ!もっと」「はいはい」と楽しげな会話が聞こえてきた。
瞬時にわたしは「これ以上ここに居るべきではない」と自衛の義務を感じたけれど、もう遅かった。

川西くんがわたしの知らない女の子と、他愛ない会話で盛り上がっている。

自分の教室へ大人しく戻ろう。そう思って踵を返そうとしたのに、川西くんは気づいてしまったのだ。わたしの存在を。


「…あ」
「!」


大きなお化けの被り物をしているけど、川西くんがふと顔を上げてこちらを向いた事で理解した。わたしが居る事を気付かれた。どうしてこんな場所にいるのか不思議に感じているに違いない。というか、どの面下げて来てんだよって思われる。


「あの」
「っ失礼しました!」


三年生の女子が二年の廊下で物凄いスタートダッシュを切る光景は、明らかに怪しいだろうな。

でも、それでもいい。川西くんに変な目で見られるくらいなら。川西くんが他の女の子と仲良くしているのを見るくらいなら。わたしだけが川西くんの特別な相手では無いのだと、思い知らされるくらいなら。
だってわたしと川西くんは何の関係もない、ただの先輩と後輩なのだから。


「…いや、うん。そうだよ。そうだよね、別に普通だよねわたしがトクベツなわけじゃ無いしうんうんそうだそうだ…」
「白石さん」
「っわあぁ!?」


全速力で逃げていたはずなのに、いつの間にか涼しい顔した川西くんが並走しているではないか。元々脚の長さが違うとかいうレベルじゃない。この人、走るの速い。
あっという間にわたしを追い抜いたかと思えば、ちょうどよく存在した生物室の扉を開けて川西くんが中へと手招きした。
が、素直に入るわけには行かない。今のわたし、自分でも意味が分からないもん。それなのに、モタモタしているわたしの肩を押した川西くんと二人して生物室に入る羽目になった。


「か…川西くん」
「何で逃げるんですか」
「いやいやだって…た、たまたま通りがかっただけだし別に川西くんに用事があったわけでも無いし」
「えらい饒舌っすね…」
「……。」


普段は気丈な歳上を装っているのに、焦りのあまり勝手に口が動いていた。そんなの仕方ない。急によく分からない感情に襲われて、それが何と呼ばれるものか悟るのが怖くて、とりあえず逃げ出すという選択をしたんだもん。焦るに決まっている。


「も…、戻らなくていいの?」
「着せ替え人形になんのはシュミじゃないです」


色々なお化けの変装をするのは本意では無かったらしい。だからなのか川西くんは教室へ戻る素振りなど見せず、それどころかわたしとの距離を詰めてくるような。わたしを真っ直ぐ見下ろしたまま、何かを言いたげにしているような。

でもわたしだって言いたいことがある。だから二年生の校舎までやって来たのだ。川西くんに見られた瞬間に慌てて逃げてしまったけど。


「あの」
「ねえ」


思い切って口を開いたとき、あろう事か川西くんも同じタイミングで何かを言いかけた。


「…ごめん。どうぞ」
「いや、白石さんから」


当然だろうけど川西くんはわたしに譲ってくれた。でも、今ので更に言いにくさが増してしまった。


「…ううん。何でもない」
「えっ嘘でしょ」
「何でもないの!」


そう、何でもない。わたしは川西くんのことなんて何とも思ってない。
ただ決勝戦の日に、「かっこよかった」と軽率な言葉を発してしまった事を謝りに来ただけだ。まだ負けた事について落ち込んでるのかなと、ほんの少し気になってしまっただけ。


「謝りたかっただけだよ。…あと…川西くんが、あれから元気にしてるのかなあって心配で」
「え…」
「でも大丈夫だよね別に!わたしが心配するような事でもないし!それこそ余計なお世話っていうか」


だって川西くんは悲しそうな顔ひとつ見せずに、学園祭の準備に取り組んでいた。同級生の女の子と身体を近付けて、無表情ながらもちょっと楽しそうに。


「元気そうだもん。クラスに友達も居るもんね、仲良い女の子とかさ、うん」
「は…え、白石さん?」
「立ち直ってるよね、別にわたしがいちいち様子見に来なくてもっ」


川西くんの視線に耐えきれず彼に背を向け、顔を見られないようにする。自分でも声が裏返っているのが分かる。感情を読まれないようにわざと明るい口調で話す。
このままの雰囲気で川西くんが「まぁそうっすね」とでも返してくれれば丸く収まる。それなのに。


「…あの」
「へっ、」


川西くんはとても冷たい声で、わたしの言葉を遮った。


「俺、べつに立ち直ってません」


そして、聞いたことのないほど低い声で言い、見たことも無いほど暗い目でわたしを見下ろす。凍りついたのはその場の空気だけじゃない。わたしの表情も、きっと心臓も、一瞬にしてカチンと凍った。


「白石さん、俺が何事も無く能天気に過ごしてるように見えるんですか?」
「……」
「だとしたらショックです」


そうじゃない、そんな事思ってない。そんな事を言いたいわけじゃない。


「…ご、ごめん…そうじゃなくて」
「じゃなくて?」
「……」


久しぶりに川西くんがわたしを見てくれたのに、久しぶりに話をする事が出来たのに。その内容は最悪だった。またわたしは川西くんに対して、言ってはいけない事を口にしてしまった。