September 3rd , Monday
夏期講習だのなんだのに明け暮れていたら、あっという間に夏休みは終わってしまった。
勉強漬けのつまらない夏休みというわけでも無くて、家族で親の実家に帰省したりとか、親戚と海に行ったりしたけれど。その間にもお構いなしで連絡をしてくる人物が一人だけ居た。
『日焼け止め忘れちゃだめですよ』
と、年上女性のわたしに向かって日焼けの心配をしてくる男の子。
ひょんな事から二年生の川西くんと顔見知りになり、何度か廊下ですれ違ったり、夏休み中の夏期講習で登校した際に出くわしたりして、そのたびに「連絡先教えて下さい」と迫られたのだ。年下とは言え自分よりうんと背の高い男子にぐいぐい来られたら、断るのもちょっと気が引けたし。連絡先を教えても、実際に連絡を寄越してくる用事なんか無いだろうと思っていたのに。
なんと川西くんは「用事が無いのに連絡してくる」タイプだったのだ。
『ちゃんと塗ったよ』
『ほんとですか?夏休み明けにチェックします』
『だめです』
『いやです』
『部活に集中しなよ』
『もう9時ですよ、鬼ですか』
そこまでやり取りをして、なんだか笑えてきた。川西くんって顔を見るたびに無表情で何を考えているか分からないけど、メッセージのやり取りは凄く表情豊かなんだもんな。
暑くて気だるい夏休みのうち、川西くんと連絡を取り合っている時間だけは少しだけ気持ちが和らいだ。…ような気がした。
「白石さん」
とある昼休みのこと、食堂の購買で目当てのパンを手に入れたわたしに川西くんが話し掛けてきた。もしかしてわたしが並んでいるのを見つけて、会計を終えるのを待っていたのだろうか。
「あ、川西くん。お疲れ様」
「っす。あの、来月予定あります?」
挨拶もそこそこに本題に入る川西くん。今は9月上旬で、二学期が始まったばかりなのに。しかも「来月」って、範囲が広すぎるんじゃ?
「…来月?10月?」
「はい」
「予定っていうか…模試受けたり色々ありますけども」
「じゃあ10月27日はどうですか」
今度はピンポイントで日にちを指定された。模試があったりちょっとした予定はあるけれど、いきなり10月27日と言われても分からない。
でも川西くんはわたしの答えを聞かなきゃ離れないだろう。携帯電話でカレンダーを表示させると、彼の言う日は10月最後の土曜日である事が分かった。
「…土曜日?」
「本当は木曜日から土曜日にかけて空けてもらえると助かるんですが」
「へ?」
木、金、土の三日間を空けておけと。受験生に向かって。
それはなかなか無理な相談だ。第一、模試や推薦入試が無かったとしても平日を空けておくのは難しい。
「それは無理だよ、平日は学校じゃん」
「…じゃあ27日。どうですか?」
どうやら外せないのは27日の土曜日らしい。約二ヶ月先の予定なんて全く決まっていないし、軽々しく約束できる立場ではない。模試があれば受けたいし、休日も進路指導の先生と面接の練習だってしたいし。
「…まだ分かんないけど。何があるの」
「試合です。県予選の決勝」
「えっ、もう決勝戦に出るのが決まってるの?」
「決まってないですけど…」
川西くんはごにょごにょと語尾が小さくなり、長い指で頬をかいた。
「年明けが本当は良いんですけど、全国大会だから」
「年明けはちょっと…」
「あまりにも受験真っ只中ですよね。わかってます」
「だから県予選の決勝?」
「どうしても観てもらいたいっす」
今度はごにょごにょした声ではなくハッキリと、川西くんが言った。どうしてもわたしに決勝を観てもらいたいと。
そこまで言われずとも、出来る限り観に行きたいのは山々だ。自分の学校の部活が全国大会に行けるかどうかの大事な試合、なるべく多くの生徒で盛り上げたい。
「…そりゃ、予定が空いてたら行くけど…模試とか推薦とか、何か入ったら行けないよ」
「何も入れて欲しくないから早めに言ってるんです。」
「は、はあ…」
そう言われましても、わたしにとって受験は譲れないものの一つだ。川西くんにとってのバレーボールがそうであるように。
まあ、模試なんかこの春から何度も受けているんだし過去問も相当数取り組んでいるし、約束しても良いかとは思うんだけど。
「白石さんって超ニブイって言われませんか?」
川西くんはわたしの考え込む様子を見下ろして言った。
「失礼な。言われないよ!機敏だよ」
「そういう意味じゃないです」
「じゃあどういう意味?」
「言えませんってば…」
自分で言うのも何だけど反射神経は良いほうだし、帰宅部にしては体育の成績もいい。幼稚園の時から走るのも得意だったし、ニブイだなんて産まれてこのかた言われたことが無いんだけど。
…と、過去の運動成績を熱弁したものの川西くんは呆れた様子であった。
「ていうか、機敏な人はプールサイドで転げたりしません」
「ちょ、あ、あれは」
「おかげで俺はラッキーでしたけどね」
さっきまで真横、あるいはへの字にしか結ばれていなかった川西くんの口が少しだけ三角形になる。
普段が無表情なもんだからふとした時の笑顔が珍しくて、ついつい見入ってしまうのだった。しかも彼はいつだって、どんな言葉だってさらりと言ってのけてしまうから。
「川西くんってさ、そういうの平気で言えちゃう子なんだね」
わたしが滑って転びそうになったのを、受け止めてくれたのは有難かったけど。
あの時のことを「ラッキー」なんて、高校二年生が言えるような台詞じゃない。川西くんだからこそ、何の気なしに言えてしまうんだろうなあ。
「…それすっげえ凹むんですけど」
「そう?」
「平気で言ってるつもり無いし」
大人びてるね、という褒め言葉のつもりだったのに川西くんは不服そうだった。さっき突然笑ったかと思えばもうこんな顔。やっぱりこっちの顔が川西太一という少年の基本型みたいだ。
「…まあ、うん。空いてたら観に行くね」
「空けてください。」
「わかったわかった、空けとくから…」
これは答えを聞かなきゃ離れないとかじゃない、イエスと言わなきゃ逃がして貰えなさそうだ。ひとまず空けておくと伝えると、川西くんは安堵したように肩を落とした。が、すぐに何かに気付いたように目をぱちくりとさせて、再び口を開いた。
「…白石さん」
「ん?」
今度はどんな頼み事だ、一体何だ。
「日焼け止め。ちゃんと塗らなかったっすね?」
「え?」
「真っ赤ですよ」
首元。と、わたしの首のあたりを指さして川西くんが言った。
思わず自分の首元、鎖骨のあたりに視線を落とすと赤くなった肌がある。夏休みのあいだ、手脚にばかり日焼け止めを塗っていて首元に塗るのを怠っていたのだ。長時間太陽の下に出ることなんか無かったから、少しくらい平気だと思って。
でも結局首元には洋服の日焼け跡がついてしまった。夏休みには、川西くんがしつこく「日焼け止めを忘れるな」と送ってくれていたのに。…焼けてないかチェックする、とも言ってたな。本当にチェックされるとは。しかもずっと、そこばかりを凝視して。
「…あ、あんまり見ないでよ」
「見るに決まってるじゃないですか」
「からかうのは止めてくださーい」
「からかってるわけじゃ…」
いくら相手が川西くんだからって、素肌をじっと見られるのは恥ずかしくて仕方ない。そろそろ買ったパンを持って教室に戻らなきゃ、昼休みが終わってしまう。
手を払って彼を遠ざけると、川西くんはやっと観念してくれた。そして足を踏み出したのでそのまま去るのかと思いきや、最後の最後に振り返って言った。
「…じゃあ来月、27日ですから」
「勝ち進んだら、だよね?」
「進みます。約束」
約束。その川西くんの声が顔に似合わず力強くて、頼もしく見えてしまったなんて、本人に言ったら調子に乗られてしまいそうだな。