02


人の噂というのはどこからどう流れるか分からない。
と言うのも今日から突然サークルや部活の勧誘が始まったのだ。もしかして俺の背中に誰かが落書きしているのではと疑うほどである、「元・稲荷崎高校バレー部主将」と。


「自分、稲荷崎の主将やったんやろ!?春高観たで!中継で!」


このように声を掛けられるのは今日、三度目くらいだろうか。勧誘のみでなく、単純に高校で元バレー部だったらしき連中なども俺の姿を見つけると駆け寄ってくるほどだった。
そして今、今日一番の元気な声で呼び止めてきたのは見た事の無い女の人である。


「…ありがとう…ございます?」
「敬語なんかええねんええねん、あたしらタメやもん!」


どうやら俺たちは同級生らしい、初対面だと思うけれど。

すべての授業を終えて帰ろうとしていた時、この人に声を掛けられた。彼女は俺の事を知っているみたいだし、同級生だと言うし、何故か俺の歩調に合わせて歩き始めるしで、ないがしろにする事が出来ずにそのまま歩く。

こんな人おったかな。知らん顔したら失礼やんな。と自分を納得させて、隣でハキハキと喋り出すのをひとまず聞くことにした。


「北くんて文学部やっけ?」
「そうやけど…ごめん、俺キミのこと知らんねんけど」
「私、佐々木ユリコ!ユリコて呼んで」
「いやそれはちょっと」
「私も文学部やねん、よろしくー」


これまで会ったことのない類の女の子だ。元気よく喋るその子、佐々木さんは俺の空いてるほうの手を取って握手をした。握手もちょっと気が引けるけど、いきなり下の名前で呼べと言うのも困るのでそこは触れない事にして、佐々木さんがアレコレと話すのに耳を傾けた。


「でな、お兄ちゃんがバレーのサークル入ってんねん。そしたら私らの学年に稲荷崎の主将がおるって聞いて!勧誘頼まれましたぁ」
「サークル…」


入学式の日からいくつかのサークルや部活には誘われた。しかし俺が元々バレー部だったのを知らずに、新入生に片っ端から声を掛けている感じであった。それなのに今日から何故か、俺が稲荷崎高校出身である事を前提とした勧誘を受けるようになった。
それはある意味光栄な事だし構わないのだが、付き合っている彼女が居る手前、女の子からのサークル勧誘には応じたくない。


「サークルやったら部活ほどキツキツちゃうし!気軽〜にできるで、友達増えるし。どお?」
「あー…」


なんと言って断るべきか。兄弟に頼まれてわざわざ俺に声を掛けてきたというし、あまり無下にも出来ない。
でも俺はサークルで友人を作る気も無く、出会いを求めてもいない。それに今まで朝から晩までバレーボールに取り組んでいた俺が、今になって「気軽なバレーボール」を楽しめるかどうか。よし、断ろう。


「悪いけど俺、バレーは高校で辞めてん。ごめんな」
「うそっ!?」


予想どおりの凄い驚きようだった。が、これはバレー部を引退した後で何度も経験した事だ。
親戚のおばちゃんにも「え!?信介くんバレー続けへんの!?」、高校卒業前に話した担任にも「辞めてまうんか!?」、まぁその反応はもっともだと思うけれども。
佐々木さんも例に漏れず、あの強豪校で主将を務めたにも関わらずバレーボールを辞めた俺に納得しがたいようだった。


「ええー勿体無い…見学だけでも来やん?みんな歓迎する思うけどなぁ」
「みんなて…兄貴だけやなくて、佐々木さんもそのバレーサークル入ってんの?」
「そ!マネージャー的な!」
「へえ…」


共通の話題がある事は単純に嬉しいが、どうしても大学でバレーを続ける気にはならない。女子マネージャーが居る環境では特に。「気軽に」と言われると、更に。


「お兄ちゃんに頼まれてんねん、いっぺん北くん連れてこいって」
「そう言われても…、あ」


その時、ポケットの中で携帯電話が震えるのを感じた。
取り出してみると画面には恋人の名前が表示されており、今からちょうど天体観測の時間であることに気付く。


「どうしたん?」
「ごめん、電話やわ。また」
「ちょちょちょっちょお待って!もしかしたら気ィ変わるかもやんな?これ私の連絡先やから!登録しといて!」
「え」
「ユリコで登録やで!よろしく」


佐々木さんは鞄から引っ張り出したメモ帳に、トークアプリのIDらしきものを殴り書きすると、俺にずいっと差し出した。
突っ返す訳にも行かず、勢いに負けて受け取った俺に「ほんじゃ!」と大きく手を振って、佐々木さんはどこかに走り去って行った。大きな鞄を持っているから、今からそのバレーのサークル活動をするのかも知れない。


「…元気な子やなあ」


あんなに騒がしくて元気な子は初めてだ。高校の時もあんな子は居たけれども、高校生と大学生とではやはり違う。私服だからだろうか、佐々木さんは自分の魅せ方を分かっているような気もした。

とりあえず、貰った連絡先をそのへんに落としてしまわないように財布の中にしまい込む。
続いて先ほど鳴っていた携帯電話を手に取り、着信履歴からすみれの名前を押して折り返し電話をかけてみた。


「……出やんか」


コール音のみが鳴り続き、応答される様子はない。
望遠鏡を運んでいる最中かも知れないな、と携帯を仕舞おうとした時、再び電話が鳴り始めた。すみれからである。


『もしもし!』
「おお、ごめん。さっき出れんかった」
『大丈夫です、わたしもちょっと忙しゅうしとって…信介くん、今日はこっち来たりしますか?』


こっち、というのは稲荷崎高校の事だ。この間侑たちにも言われたように、俺は毎週母校に通っている。ちょうど大学から家に帰るまでの途中に稲荷崎の最寄り駅があるのと、引退後のバレー部が気になるのと、すみれに会えるという理由で。
しかし今日はどうしても直帰しなければならないのだった。


「や、今日はばあちゃん一人やから早よ帰らなアカンねん」
『あっ、そうなんや』
「何かあったか?」
『んーん、わたしも今日は色々やる事あって…やから大丈夫です』
「そか。遅くなりなや」
『平気でっす!』


学校からすみれの家がある芦屋までは片道30分程。芦屋駅から家までは自転車らしい。街灯があるとはいえ人通りの少ない道を走る事になるので、早く帰ってほしいというのが本音だが。
あまり俺が「帰れ」と言い過ぎてすみれの行動を制限するのも違う気がするので、今日はこれ以上言わない事にした。


『あ!せや信介くん、ええニュースがあるんですよ』


すると、すみれのほうから明るい声が聞こえた。


『天文同好会、メンバーが増えそうなんですっ』


電話口から聞こえた声は嬉々としていた。二年間ひとりで望遠鏡を覗いていた彼女が(去年は途中から俺も加わったが)、やっと同じ趣味を持つ仲間を見つけることが出来そうだと言うのだ。星に関して知識のない俺に説明するだけでなく、好きな事を一緒に話し合える仲間が。


「まじで?やったやん」
『そうなんですよ、入学式から勧誘した甲斐がありました』
「頑張っとったもんな」
『はい』


すみれは張り切ってビラをコピーして配っていたし、望遠鏡を置くための空き教室が無いかと先生に相談したりもした。盗難騒動のおかげで保管場所は新たに校舎内の使われていない教室を与えてもらい、そこに天体望遠鏡や本を置かせて貰っているらしい。
いつか仲間が増えないかと夢見ながら、机と椅子の配置もあれこれ考えていた。念願叶って何よりである。


『やから、みんなに色々教えたりすんので今日は忙しそうなんです』
「そうか」
『信介くんのほうはどうですか?』
「俺は…」


そこで思わず口を止めた。サークルに誘われた事を言うべきかどうか迷ったのだ。誘ってきた相手は女の子だったし、半ば無理やりとはいえ連絡先を受け取ってしまったから。
それらを全てすみれに報告するのは余計なトラブルになりかねないので、いくらか端折って話すことにした。


「…なんやろ。どこでバレたんか知らんけど、バレーのサークル誘われたわ」
『へえーっ!やらんのですか?』
「せやなあ…元々大学ではやらんつもりやったから」


大学では部活やサークルに参加せず学業に専念する、その考えは変わらない。受験勉強や部活でなかなか取れなかったすみれとの時間も作りたいし、先述の通りアルバイトだって試したい。


「で、とりあえず断ってるとこ。しつこそうやけど」
『大変そうですね…粘りましょ』
「せやな」


そう言いながら、あの佐々木さんという人は悪い人では無さそうだけど本当にしつこそうだなぁと肩を落とした。


「ほんなら今日は先帰るから。家着いたら連絡しといてな」
『はーい!』


またね信介くん、というすみれの声に少しだけ笑顔になるのを感じ、携帯電話をポケットに仕舞った。
頼りなくてちょっと危なかっかしいと思っていたすみれがもう三年生で、後輩に教える立場なのか。なぜだか自分の事のように鼻高々である。

悩める星の王子様