July 2nd , Monday


東北地方といえど、7月にもなれば日差しが強く蒸し暑い。ただでさえ暑くて仕方が無いのに体育委員に課せられる使命はとても過酷で、持ち回りでプール掃除をしなければならないのだった。
体育委員って二学期は体育祭があったりして大変だから、一学期なら楽だろうと思っていたのに。プール掃除のことを失念していた。


「あ…あっつい」


更衣室には弱弱しい冷房があるけれど、あまり効果的ではない。プールサイドの掃除は男子がやってくれているので、彼らはもっと辛いだろう。

プールの掃除なら水泳部がすればいいのにと思うけど、水泳部は学校のプールでは無くて近くの屋内プール施設を借りて活動している。
完全に授業でしか使用されないプールなもんだから、その掃除は体育委員が交代で行わければならないのだった。ああ、苦痛。


「白石、このゴミ放っといてー」


更衣室からプールサイドへ出てみると、掃き掃除をしていた同じクラスの体育委員がゴミ袋を掲げていた。それを受け取るために靴を脱ぎ、裸足で歩き出す。
プールの水をプールサイドに撒いたのだろうか、濡れていて気持ちが良いけれどもうお湯みたいに熱くなっていた。


「袋いっこだけ?」
「たぶん。あと葉っぱとかはその辺に撒いとくから、それ捨てて」
「わかった」


彼からゴミ袋を受け取って、再び更衣室のそばへ脱ぎ捨てた靴のもとへ歩き出す。足の裏がめちゃくちゃ熱い。土足厳禁の場所だけどこっそり靴を履いておけば良かったなあ、と小走りになりかけた時だ。


「あ」


足元に嫌な感触。つるんと滑った瞬間に頭に流れる「プールサイドは走らない!」という先生たちの怒鳴り声。
小さなころから何度も聞いた注意だったのに高校三年になってまでプールサイドで滑るなんて、しかも片手にゴミ袋を持った状態で。制服のスカート姿で。何よりも段差の目の前で。
堅いプールサイドの段差に倒れ込んでしまう。諦めて目を閉じようとしたときに、ふっと目の前に誰かが現れた。外の掃除をしていた人が入って来た?危ないぶつかる!


「うわ」
「ぶっ」


自分を庇えば良いのかゴミ袋を庇えば良いのか分からないまま、わたしは重力に任せて身体を叩きつけられる覚悟をしていた。
が、ぶつかったものはプールサイドやごつごつの段差ではなく、別の堅いものだったようで。


「大丈夫ですか?」


頭の上から振ってくる言葉でハッと我に返る。顔を上げれば、今日一緒にプール掃除の当番をしている体育委員の二年生の顔があった。そして顔を下げれば、傷ひとつ付いていないわたしの身体が。


「…あれ?コケてない」
「ギリ支えられたんで…」
「支…えっ!?嘘!?ごめんなさい!」
「ダイジョブです」


どうやらわたしはこの男子に思い切りぶつかって、コケないように支えられたらしい。全体重を預けてしまった恥ずかしさとこんな失態を見せてしまった恥ずかしさ、つまり恥ずかしさだらけ。
しかし彼はボンヤリとした様子で、気にも留めていないようだ。


「白石ー大丈夫?」


そこへ、同じクラスの体育委員がわたしの悲鳴を聞いてやって来た。


「大丈夫!二年の子と偶然ぶつかって」
「え。下級生に迷惑かけるなよ」
「うう…」
「あ、俺は大丈夫です」


二年生の彼はひらひらと手を振って、平気であると告げてくれた。
確かに少し離れて見ると背が高くて身体つきも良いので、わたしのような標準体型の女ひとり支えるくらいワケは無さそうだ。ところが最近太ってきた事を思い出し、やっぱり重かったかも知れないので改めて謝ることにした。


「ごめんね」
「平気っすよ。それよりゴミ大丈夫ですか?」
「あ」


指摘されてプールサイドを見てみると、わたしの手から離れたゴミ袋が宙を舞い、べしゃっと叩きつけられた拍子に中身が散乱したであろう悲惨な光景が広がっている。
せっかく履いて集めてくれたのに、また散らかしてしまったらしい。最悪だ。


「えーと…白石ゴメン、俺もう部活行かなきゃなんだわ。それやっといてくれる?」
「あ、うん…わたしが悪いんだし」
「ありがと!じゃ」


クラスメートはそのように言うと、部活に参加するため去って行った。今回のこれは注意力散漫だったわたしが悪いんだし、仕方が無い。わたしは別に部活をしていないし、バイトも今日は休みだし。


「ごめんね、後はやっとくから」


まだその場に立っているままの男の子にも戻っていいよと伝える事とした。けれど彼は頷くことなく、何やら目を泳がせ、考え事をしながら言った。


「あー…はい。いや、俺もやりますよ」
「えっ、でも」
「炎天下のランニング、サボれてラッキーなんで」


掃除を始める前から今までずっと無表情だったと言うのに。そこで初めてその彼は、ちょっと悪戯っぽく笑ったのであった。

蝉の声が響く中、わたしたちは二人で葉っぱやゴミなどをかき集める。そんなに大した運動じゃないのにとても暑い。
一度は集めたゴミをバラまいて再び集めるなんて、こんな下らないことに付き合わせているのが申し訳なく思えてきた。


「ほんと、ごめん…」
「いいえ」
「部活は大丈夫?」
「大丈夫です」
「何部なの?えーと…」


体格もいいし、ランニングをサボれてラッキーという事はきっと運動部なのだろう。無言のままゴミを集めるのも間が持たないので質問してみると、無表情ながらも彼は答えてくれた。


「二年の川西です。バレー部」


川西くんか。確かに掃除をする前、そのように名乗っていた気がする。そしてバレー部というのも納得した。だから身長が高いんだ。いや、身長が高いからこそバレー部?この際どっちでもいいか。


「ああ、バレー部…って事は…人数多いから、ひとりが居なくてもバレなさそうだね」
「そっすね、まあ俺レギュラーなんで即バレですけど」
「嘘!?」
「控えに見えます?」
「そ、そうじゃなくて!バレー部のレギュラーって言ったら…ごめん、練習行ってください!」
「大丈夫ですよ、ちょっとくらい」


いくら大丈夫と言われてもうちの生徒で「男子バレー部のレギュラー」と言えば、最も位の高い存在だ。全国クラスの部活だし、朝も放課後も土日も練習をしている。だからこその試合成績を持っている。そんな彼らの練習時間を奪うなんて、めちゃくちゃ罪深い事なのだ。

けれど川西と名乗った彼はあまり覇気のない様子でゴミを集め、大きな袋にまとめてくれた。


「ええと…川西くんだっけ。本当にありがとう」
「気にしないでください」
「うん…でも、色々と」


ぶつかった挙げ句に支えられたし、散乱したゴミ集めを手伝ってもらったし。しかも部活の時間を削ってまで。何か色々申し訳なくて、「ありがとね」ともう一度頭を下げた。


「じゃあ、ひとつだけいいですか?」
「え、うん。何?」


迷惑をかけた代わりに水の一本や二本奢る覚悟は出来ている。何を言われるのかと待っていると、川西くんはごほんと喉を鳴らして言った。


「先輩、お名前教えてください」


それだけ?というのがわたしの感想であった。名前を教えるだけ?べつにいいけど。悪用する気がないのなら。


「…白石すみれ…です。三年五組」
「川西太一。二年五組です」


フルネームを伝えたことで、川西くんも下の名前を改めて名乗った。川西太一くんか、ふうん。
名前を教えただけで良いのだろうか、川西くんはそれ以降何も言わずにわたしの前に突っ立っている。しかもわたしの顔をじっと見下ろしながらである。


「…なに?」
「あ、えーと…なんもないっす」
「何それ」
「いや、何も無くはないんですけど」


何も無くはないってどういう事だ。「先輩、体重重いっすね」とでも?それは否定出来ないが。川西くんが言いにくそうにしているので、てっきり体重の事とか「喉乾いたんですけど」とか、そんな事だと思っていたが。


「白石さん、すげえ俺の好みなんでビックリしました」


川西くん、すげえ真顔で言ってくるんでビックリしました。