01


日本ではほとんどの高校生は大学または専門学校へと進学し、新しい知識を得たりとか、あるいは「こんな場所には来ず働けば良かった」と感じたりする。
俺は今のところその判断が出来るほどではない。桜がすべて散ったころにやっと、自分がもう高校生では無いことを実感したのだ。


『今日は天気がいいですね』


大学のキャンパスを出て帰ろうかと思った時に、受信したのは恋人からのメールであった。

白石すみれはひとつ年下の女の子で、稲荷崎高校の最高学年。たったひとりで天文同好会の活動をしている変わり者。勘違いしないでもらいたいが、この場合の「変わり者」とは褒め言葉である。

そしてもう夕方で、まだ外は肌寒いというのに「天気がいいですね」などと送ってくる理由も、もちろん彼女が変わり者だからというわけじゃない。今日は天体観測に適していますね、一緒にどうですか、という俺への暗号文だ。


『ひとりで遅くまで残らんように』


と、母親みたいな事を送る俺。しかしこれも暗号なのだった。今から俺は稲荷崎高校に出向き、お前を駅まで送り届けるぞという意味である。





先月まで俺はここの生徒だった。けれど三学期はほとんど登校して来なかったし、受験戦争から抜けても進学するための用意に追われていたのでバレー部にもあまり顔を出していない。
ところが大学入学後は忙しくはなったが、夕方になるとここに来る事もあるのだ。


「北さんっ!チワス!」
「おー。遅くまでご苦労やな」


外はすっかり薄暗いのに、後輩たちときたら体育館内を所狭しと走り回っている。もちろん遊んでいるのではなく、バレーボールの練習をしているのだが。
そして、そう言えば俺も去年はこの時間まで練習していたんだったな、と少し寂しい気分になった。
もしも俺があと一年遅く産まれていたなら、あるいは、あと一年長く高校生で居られたならと叶わぬことを考えたのは今年の初め。


「北さん、毎週来てません?大学ヒマなんですか」
「ちゃうわ。…と言いたいところやけど、正直バレー部ん時より暇やな」
「ええーっ」


現在は新しい環境に慣れるのが大変ではあるものの、高校生の時よりも自由時間が多い。
バレーボールは部活の引退とともに辞めた。大学では学業に専念したいし、中学高校の時は部活ばかりだったので、アルバイトなんかも始めようと思うのだ。


「白石さん、さっき望遠鏡片しに行きましたよ」
「おお。ありがとう」


治がそのように教えてくれたので、俺はその場で待つ事とした。
いつも体育館の近くで天体観測をする彼女の事を、バレー部の連中は知っている。そもそも俺たちの出会いは宮兄弟の喧嘩が切っ掛けだ。だから俺は、あれから彼らが喧嘩をするたびに複雑な気分になったものだ。


「…ちゃんと続いてるんですねえ」


思い出にふけっていると、ちょうど外へ涼みに来た銀島が言った。


「失礼なやつやな」
「そういう意味ちゃいますけど…北さん、女の子と付き合うとか興味ないんやと思ってたんで」


そう言われて俺はまた、失礼なやつだなあと感じた。


「そんなん、俺がもし彼女なんか要らん思てても、目の前に魅力的な子が現れたらそらぁしゃーないやろ」


彼女が欲しいとは思っていなかったし、付き合いたいと思える子も居なかった。それでも一緒に居たいと思える女の子が現れて、好きになってしまったら、わざわざ我慢するような男では無い。

それは俺の中で当たり前のことだったし他の奴らも同じだと思っていたが、侑は感心したように頷いた。


「…今の台詞メモっていいですか?」
「はあ?」
「あ。来ましたよ」


治が俺の背後を指さした。振り向くと校舎のほうからリュックを背負って駆けてくる女の子が居て、俺の姿を見つけると「あ」と口を開き表情が明るくなる。その子は半年ほど前に出会ったばかりの、けれどすぐにその魅力を俺に示し、虜にした女の子であった。


「すみれ」


俺が名前を呼んだのと同時にそばへ辿り着き、すみれはリュックを背負い直した。


「信介くん!やっぱり来てくれたんですね」
「遅なりな言うてるやろ」
「遅なっても絶対送ってくれますやん」


にんまり笑うその顔も俺の行動を読まれているからこそなのだが、特に悪い気はしない。だって俺はすみれへの「迎えに行く」という暗号文を送ったのだから。


「ほんなら帰るわ」
「はーい」
「お前らもあんまり遅くなりなや」
「うっす」


とは言っても、俺よりも数倍体格のいいやつらを襲うような人間が居るかどうか。
まあ襲われなかったにしても彼らは明日も朝から練習だろうし、練習のし過ぎは疲労の蓄積に繋がり身体には悪い。ダラダラ遅くまで練習せずに、短い時間で集中したほうが効率がいいのではないだろうか。


「…まだ残ってるやろなぁって分かってました?」


バレー部後輩のことを考えていると、すみれが歩きながら聞いてきた。


「当たり前やろ」
「ふふ」
「…べつに俺が来れるうちはええけど、俺も色々忙しなったら無理やからな?落ち着いたらアルバイトしなアカンし」
「信介くん、家計苦しいんですか!」
「いやいや…」


別に家計は苦しくはない、と思う。ただ俺は今も実家から大学に通っているし、実家から出た事がないのだ。
あまり世間知らずのまま社会に出るのは避けたいので、大学生のうちに「働いて金を稼ぐ」というのを経験しておきたいのである。今のところどんなアルバイトをするかは全く決まっていないけど。


「…じゃあバイト先にキレイなお姉さんおったら、どうするんですか」
「何やその質問」
「めっちゃキレイな人がおったらですよ、大学にも大人っぽい人多いんちゃいますか?」


そう言われると確かにそうだ。すみれはどう頑張っても「きれいなお姉さん」では無い。しかし大学では皆垢抜けており、髪がさらさらでモデルみたいな女の人も少なくない。そういう人がキャンパス内を歩いていれば嫌でも目に付く。そして感じる、めっちゃキレイな人おんなぁ、と。


「…そら、大学にはおるけども」
「ほらー」


けれど見た目は大して重要な要素ではない。少なくとも俺にとっては。


「いくらキレイで大人っぽくても、大事なんはソコちゃうし」
「…ドコですか?」
「言わす気か」
「言ってくれへんのですか」
「口が達者になりよったなぁ…」
「それは信介くんが一緒に居てるからですよ」


どうやら彼女は俺と一緒に居るうちに、会話中の頭の回転が早くなってしまったらしい。

俺が女の子に求めるもの、俺にとっての大切なこと。
新しい知識を教えてくれる事や、その語り口調が柔らかくて心地いい事、俺を王子様みたいと比喩する夢見がちなところ、父親からの贈り物を大切に使うところ、など。
でもこれらを口に出して伝えられるほど、余裕があるわけではない。すみれと付き合っていくうち、見栄っ張りでカッコつけたがりの自分が居ることに気付いてしまったのだ。


「やっぱ俺には、空に向かってビーム出せるくらいの女やないとな」


だから照れ隠しとして、いつもポケットにレーザーポインターを忍ばせる彼女の事を口にした。
スイッチひとつで真っ暗な空に光を指すことの出来る、まさにビームを発することの出来るアイテム。こんなものを持ち歩く女子高校生が果たしてどのくらい居るだろう。コレもすみれの大きな魅力のひとつであった。


「出しましょか、ビーム」


嬉しそうにポケットに手をやるすみれを止めることはできない。俺は「歩きながらはアカンで」と注意しているふりをして、「立ち止まってもう少し一緒に居ませんか」と暗号を送った。

こちら地球、日本国、
兵庫県のペルセウスより