The point of view
by Rintaro.S昨日は帰宅してからというもの、白石さんが無事に家にたどり着いたのかどうか、それが気になって仕方なかった。
料理教室で出会った男の人に付きまとわれてる、って相当危険なのではと思ったが、「教室が終わってからご飯に誘われる程度」と言っていた。
たった今料理教室で作ったものを食べたばかりだろうに、終わってからもご飯に誘うのかよ。というツッコミも過ぎったが、無理に誘われたり触られたりする事は無いと言う。白石さんは危機管理能力が低そうだから心配だ、悪い男ならその隙をついて来そうなのに。
…そこまで考えて辞めた。「悪い男」ってそもそも俺じゃん。
「角名おはよー」
「オハヨ」
朝練を終えて教室に入り、入口付近のクラスメートに挨拶をして自分の席まで歩いていく。平日は毎朝これを繰り返しているが、最近は「なるべく白石さんを意識しないように」というのが加わっていた。
でもつい昨日、偶然出会ってあのような事があったのでは、意識せずには居られない。ふと白石さんの席へ目をやると、彼女もちょうど俺のほうを振り返ったところだった。
「あ…」
なるべく白石さんを怖がらせないよう、これ以上嫌われてしまわないよう避けてきた彼女の目。俺から逸らすべきか迷ったけれど、白石さんからこちらへ歩み寄ってくるではないか?
「あの、おはよう。昨日…」
昨日はありがとう、と白石さんが小声で言った。
「あれから大丈夫だった?」
昨日何が起きたのかなんて周りには知られたくないだろうし、俺も小声で応えた。
駅の改札で別れたはいいが、もしかして最寄り駅まで送り届けるべきだったんじゃないかとも思ったのだ。でも俺はきっと白石さんに好かれちゃいないだろうし、と言うか怯えられているし、昨日はそこまで言い出せなかった。
「だいじょぶ。お母さんに話したら教室に電話してくれて…」
「うん」
「そしたら、おんなじ系列の料理教室がこのへんにできるねんて。そっちに移ろう思てんねん」
それまではもう、昨日まで通っていた場所には行かなくなるのだそうだ。
白鳥沢から少し離れているとはいえ絶対に安心ではないけど、ひとまずは大丈夫だろうか。俺が心配するのは彼女からすればお門違いだろうけど。と思っていたが、白石さんは再び小声で礼を言った。
「昨日はほんまに、ありがとう」
「いいってそんなの…」
昨日のあれは、白石さんが声を掛けてくれたから出来ただけの事である。そうじゃなければ近くに白石さんが居るなんて、まして男性の誘いを断って慌てて帰宅中だったなんて気づけなかった。
だからお礼は言わないで、と首を振ると、白石さんは少しだけ和らいだ様子で頷いた。
久しぶりに見る白石さんの笑った顔、しかも俺に向けられた顔だ。
「昼休み、話したいことあんねん」
その表情のまま昼休みに呼び出されるという事は、喜んで良いのか?
◇
白石さんはいつも女友達とともに昼休みを過ごしている。その友達になんと言って断ってきたのかは知らないが、いつかチョコレートをあげた時に呼び出した空き教室で俺たちは落ち合うことにした。
「…角名くん、ごめんな」
何か嬉しい報せでもあるのだろうかと期待したが、彼女の第一声はこれ。もしかして、期待した俺が馬鹿だったのか。
「あー、と…何について?」
「昨日の事に決まってるやんか」
昨日の事、つまり料理教室の帰りにあった出来事?俺は今朝、礼は言わなくていいと伝えたが、謝ってくれとは伝えていない。まあとにかく、「ごめん、角名くんとは付き合えへんねん」の「ごめん」じゃ無さそうだ。
「それに、私ずーっと答え出さんとおったやろ」
ドキリと心臓が鳴る。ここ最近白石さんのほうからその話をしてくる事なんてなかったからだ。そもそも俺たちは教室内で会話することが減っていたし。
きっとこのまま振られることもなく、もちろん恋が実ることもなく、忘れられるのだろうと思っていたが。
「角名くんの事、ちゃんと考えやななぁて思って…」
それでも俺が白石さんを好きであるという事実が、ずっと頭の中にあったらしい。
とても嬉しい事だけど、治の気持ちも知っている俺としては、嬉しさの前に戸惑いがあった。しかも治は少し前に振られたと聞く。治のことは振ったけど、俺のことは「ちゃんと考える」と?
「…でも…治のことは振ったんじゃ」
「なんで知っとんの」
「う、え」
まずい。治と俺が白石さんについての事を共有しあっているなんて、白石さんにとっては良くない事だ。慌てて知らんぷりしようとしたが言い訳が浮かばない。
「いや、…なんとなく」
「前から思ってたけど、二人ともそういうの良くないと思うで」
「……ごめん」
「こっちは必死やねんから…」
最もである。告白しただの振られただのを報告しあうなんてモラルが無い、弁解の余地もない。ひたすら頭を下げるしかない。
「まあ…もう、整理ついたけど」
「整理?」
が、下げようとした頭が途中で止まった。
「知ってるとおり、治くんのことは断ってん」
けろりとした様子で白石さんが言った。治のことは振ったって、そりゃ聞いたけど。
「…白石さんは治のほうが好きなのかと思ってたけどね」
「なにそれ?ちゃうよ」
去年彼女と同じクラスだった宮治は、ずっとずっと白石さんのことを好きだった。治とは恋敵になってしまったが、正直言って治には余りある魅力があると思うし(侑にも)、白石さんが治に惚れる要素は沢山あると思っていたけれど。
治の言うとおり振られたのは本当で、しかも白石さんはそれをケロッと俺に言えてしまうほど精神状態が安定しているようだ。俺が怖がらせていた時とは大違い。
「告白された時はビックリして、しばらく答え出せんかったけど。治くんはやっぱり友達としてしか見られへんゆうか…」
白石さんの中の「友達として」の基準が何なのか分からないが、治は恋人枠からは外れてしまったらしい。
ということは、俺も?いや、俺は?俺はどうなの、と聞こうとすると白石さんが続けた。
「…あんなふうに色々されてもうたら、角名くんのこと好きになってまうんしゃーないやん、ていうか…」
「……えっ?」
俺は耳は良いほうだ、しかも人を見る目はあると思うし、もしかして読唇術とかできちゃうんじゃないのと自惚れるほどの観察能力はある、と自負してる。でも聞き逃した。と言うか、自分の聞き間違いを疑った。
「……ごめん。え?」
「ちょ…ちゃんと聞いとったん!?」
「聞いてたけど…え。ごめん聞こえてなかったかも、何」
断っておくが俺はふざけているわけじゃない。大真面目だ。
「俺が好きなの?治じゃなくて」
どうしても俺の中には宮治というライバルが存在していたので、ここでも彼の名前を出してしまった。それほど俺は混乱しているのだと思う。
「治くんはちゃうってば」
「でも白石さん、俺のこと怖いって」
「そら怖いわ!ビビったもん!正直不気味やったわ」
「…ごめん。」
「でもな、角名くんみたいな人が私のこと好きやとか…何で私なんやろ?て思って、やな」
白石さんは喋る速度が速くなったり遅くなったり、途中で噛んだり息を吸ったり、めちゃくちゃだ。が、彼女の話は進んでいく。
「…で、角名くんのこともうちょい知りたいなって思てたら…今度は全然話しかけて来んようになるし」
「それは白石さんが俺を避けてると思って」
「避けてへん!照れてたんや!」
「…ごめん。」
めちゃくちゃ怒られた。避けられてるわけじゃ無かったのか。いや照れてるからって俺と目を合わそうとしないのは「避けている」って事になるんじゃないか。…これを言ったらもっと怒られてしまいそうだ。
「…昨日の事があったからちゃうで?私、たぶんちょっと前から角名くんのことが好きやわ」
たぶん。
ちょっと前。
角名くんのことが好き。
掘り下げたい言葉が山のようにある。たぶんって、どういうこと。ちょっと前っていつ。と言うか俺のことが好きってやっぱりマジなのか。
聞きたいことが多すぎて、俺の口は声も無くもごもごと動きまくっていたに違いない。
「昨日言うたら良かってんけど…昨日は何か…言うタイミングちゃうなって思って」
昨日の帰り道、そう言えば別れ際の白石さんはいつもと様子が違った。
俺は昨日白石さんに、毎週ここに迎えに来てもいいかと聞こうとした。それを彼女は断った。
でも、断り文句のあとに続く言葉がありそうだった。もしかしてそれが、今日のこれ?昨日言おうとしたけれど言えなかった事?
「…ほんとに、今のほんとなんだ」
「ほ…ほんまやし」
「じゃあ昨日俺が言おうとしたこと、今日は言わせてくれるの?」
昨日は言う前に断られてしまった事を、今この場で言っても良いのだろうか。校舎内やパン屋の中以外の場所で会うための約束を取り付けても良いのか。
言葉にする前に白石さんを伺うと彼女はうんと頷いた。そのゴーサイン、信じていいなら言わせてもらう。
「…料理教室がある日。迎えに行って家まで送っていいですか」
それから白石さんの返事が聞こえてくるまで、何十分も経過したかのような感覚だった。俺は辱めの拷問を受けているのかと思えるほど。
けど、目の前の白石さんが俺を怯えた顔ではなく、両頬をパンみたいにふっくらさせて微笑んだお陰で救われた。
いつだったかパンよりお米派だと言ったのを撤回しよう、俺、もう完全にパン派だ。
Candy , and Guilty