December 8th , Saturday
今日はいよいよ天童くんの推薦入試の合否結果が発表される日だ。
あれからわたしたちは真面目に勉強をして、天童くんの苦手科目である英語も何とかコツを掴んでもらえたと思う。
面接についても進路指導の先生から「椅子にもたれない!」と檄を飛ばされつつ、姿勢を正して長時間座る事に慣れてくれた。天童くんは「腰痛めちゃうよ」と笑っていたけど辛そうだった。
でも、先生の言うこともわたしの話もちゃんと聞いて臨んでくれた。きっと結果は付いてきているはず。
「今日も練習か…」
12月8日、土曜日。直接結果を聞きたくて学校へ来たけれど、天童くんは下級生の練習に参加しているらしかった。
体育館がいくつか連なっているので、どの体育館に誰が居るのかなかなか把握が出来ない。入口からこっそり中を覗いていると、突然後ろから声が聞こえた。
「チワース」
「ちわす」
「っす」
「!?」
振り返ってみるとあら不思議、何人かの男子生徒がわたしに向かって頭を下げているではないか。わたしは部員じゃないし、単に天童くんを探しに来ただけなのに。
…しかしよくよく見てみれば、彼らの服には別の学校名が書かれている。白鳥沢の生徒ではないらしい。
「なあなあ、今日もウシワカ来んのかな?」
「せめて白鳥沢の敷地内では牛島さんって呼びなよ…」
「外でも牛島さんって呼べよ!」
最後に強く言い放った子はうちの体操服を着ているので、白鳥沢の生徒だった。
牛島くんへの敬称を気にするという事はバレー部だろうか?背が高いし、そう言えば何度が見かけた事も気がする。この子なら天童くんの居場所を知っているかも。
「あ、あのう」
「はい」
「バレー部の方ですか?」
「はい!烏野高校バレー部のひなっ」
「君は黙って」
「一年の五色ですけど、誰かお呼びですか?」
オレンジ色の子を押しのけて、にゅっと出てきたのは白鳥沢の男の子。丁寧に名乗ってくれた彼は身長のせいでわたしを見下ろしている状態だけど、威圧感を感じさせない柔らかい雰囲気の子だった。だからちょっと安心して、本題に入ることが出来た。
「三年の天童くんを探してまして…」
「ゲスの人…!」
「黙ってってば」
「天童さんならさっき着替えてましたから、もうすぐ来ると思いますけど…」
「あ、ほんとですか」
「呼びましょうか?」
「大丈夫、ですっ。待ってます」
あまりにも丁寧に対応してくれるもんで、こっちが敬語になってしまった。
五色くんと名乗った男の子と、あと数名の男の子たちは軽くお辞儀をして体育館へと入っていく。天童くんももうすぐここに来るのか、とわたしもそのまま入口で中を見てみると、今入っていった彼らは早速ウォーミングアップを始めていた。
「…すみれちゃん?覗きなんて趣味悪いよぉ」
「!!」
そのわたしの背後から突然掛けられた声で、びくっと身体全体が飛び跳ねる。天童くんがいつの間にかすぐ後ろにいて、わたしの耳元で悪戯っぽく呟いたのだ。
「天童くんっ」
「そんなとこで何してんの。見学?」
「ちが…えっと、け、結果を知りたくて…来たら教えてくれるって言ったじゃん」
「フフ。分かってるって」
今日が天童くんの推薦入試の結果を知らされる日。
すぐに知りたいからメールが欲しいと言ったけど、「直接聞きに来なきゃ教えないよ」と返されてしまったから。だからわたしは土曜日の今日、学校まで足を運んだのである。
「隼人クン。若利クンってまだだよね」
「もう来るんじゃね?」
「えー…じゃあ俺お腹下したって事にしといて」
「はあ?伝えとくけど…」
たぶんバレるぞ、と言って、天童くんと一緒に来ていた山形くんが先に体育館へ入って行った。
周りの全員が中に入ったのを見届けて、天童くんが「こっち」と手招きをする。それについて歩いて行くと、体育館の二階へ繋がる階段に辿り着いた。ここはなかなか人が通らないようで、比較的静かだ。
天童くんは階段に座り込むとわたしを見上げて、わざとらしく首を傾けた。
「…で、なんだっけ」
「なんだっけじゃなくて!」
「分かってるよ、合格ハッピョーでしょ?」
そんな怒んないでよと笑いながら、天童くんがジャージのポケットを漁る。中から出てきたのは携帯電話で、その画面をわたしのほうへ向けた。
「ホイ。」
出された画面には写真に撮られた何かが写っていた。
一瞬でそれが合格、あるいは不合格の通知なのだと理解する。しかし文字が小さくて結果が見えない。二本の指で画面をピンチアウトしてやっと文字を認識することが出来た。そして熟読した。
「………!!」
「見えた?」
「みっ……あ…う…」
そこに見えた二文字はわたしの言葉を詰まらせるには充分だ、このために頑張って勉強してきたんだから。
口をぱくぱくさせて震えるわたしを見て天童くんが笑ってる。笑い事じゃない。いや、笑っていいのか。めでたい事なんだもん。
「合格してる…!」
「そそそ〜」
「そそそ〜じゃないよ!凄いよ!やったじゃん!やばい!どうしよう」
天童くんはへらへら笑っているけれど、わたしはもうそれどころじゃない。
志望校に合格って、凄いことじゃんか。わたしですら、あの時は天童くんとの色んな事があったとは言え、合格通知を受け取った時には涙したものだ。そして天童くんの合格を知った今も。
「何ですみれちゃんが泣いてんの」
「だって…いや、だってさあぁ!」
「すみれちゃんがそうやって号泣すっから俺、いっつも泣くタイミング逃してるんだよねえ」
「わたしのせいなの!?」
「そだよ〜」
わたしがぼたぼたと涙を流すのを見て、天童くんは困ったように笑ってる。そんな冷静な彼を見たら自分の取り乱し方が恥ずかしくなってきたけど、簡単に涙は止まらない。
「ごめん…だって…嬉しいし、良かったなあって思ったら」
「いんだよ。アリガトね」
立ち上がり、着ているジャージの裾を持って、天童くんがわたしの涙を拭いた。汚れちゃうよ、と彼の手を押し返してみたものの、それは意味の無いことだった。
「…ここでは部活だけやってりゃ良いやって思ってたけど。すみれちゃんみたいな子と知り合えて良かったかな」
わたしの涙を拭きながら天童くんが言う。
白鳥沢にスポーツ推薦で入学した彼は、わたしの思い返す限り、あまりバレー部以外の生徒と深い交流を持っていない。途中まではわたしも話しかけにくい人だった。住む世界も考え方も違う人だと思っていたし、きっと天童くんもそう思っていただろう。
でもふとした事がきっかけでわたしたちは仲良くなり、喧嘩みたいな事を経て、今、仲直りができている。あっという間の出来事だった。白鳥沢学園で過ごすことが出来るのも、あとわずか。
「…もうそんな時期なんだ…」
「だね」
「三学期、学校来る?」
「俺はバレー部のほうに来るけど。すみれちゃんは?」
「……」
三学期は始業式を終えてすぐに、三年生は自主登校となる。来てもいいし、来なくてもいい。
わたしは恐らく学校に来ることは少なくなるだろう。進学の用意を始めなきゃならないし、大学は実家から通うには少し遠いので、ひとり暮らしの家を探さなくてはならない。だから学校にはなかなか来られない。
「俺ら、会う事も無くなるね。きっと」
黙り込んだわたしを見て、天童くんがぽつりと言った。
その顔は笑っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。天童くん独特の、感情豊かに見えて実はそうじゃないこの顔を見られなくなるのは悲しい。わたしの姿を見つける度に「すみれちゃん」と呼んでくれる声を聞けなくなるのは寂しい。
「…やだ」
「ん?」
「やだよ…」
会えなくなるなんて信じられない。まだわたしは天童くんと話したいことが山ほどあるし、言いたいことも溜まってる。
いつも話しかけてくれるのが嬉しかった事とか。
「寝ぐせ付いてるよ」と髪を触りながら指摘されるのが嬉しくて、わざと髪を跳ねさせていた事もそろそろ白状しなきゃならないし。
気付いたら好きになっていました、って事も。
「天童くんと会えなくなるの、やだ」
会えなくなったらそれらのこと全部、言えなくなってしまう。
さっき天童くんの合格に感激した時とは別の涙が頬をつたい、流れていくのを感じた。
「…そうなの?」
「そうだよっ」
もっと一緒に色んなことをして、なんならまた喧嘩したっていいし、とにかく会いたい。ずっと会い続けたいのだ。
「わたしたち…大学、別々になっちゃうけど…卒業してからも友だちで居てくれる?会ってくれるよね?」
天童くんもわたしも同じ宮城県内の大学へ進学する。会えない距離ではない。白鳥沢にいる時よりも頻度が減るだけで。
でも、会うためには確実に「いつ会おうか」と約束をし合わなければならない。ずっと連絡を取り続けなきゃ。友だちで居なければ。
「そうだねえ…どうかなあ」
「駄目なの…?」
「んー」
わたしは天童くんと離れるのがこんなにも苦しいのに、天童くんは即答せずに悩んでいた。
なんで?卒業したらもう、わたしとは会えなくなってもいいの?天童くん、わたしのことは少なくとも特別な存在だと思ってくれてるんじゃないの。今度はそれがショックで涙が流れてきた。
「友だちとしてじゃなきゃ駄目?」
天童くんはわたしの涙を拭こうとはせずに、じっとわたしを見つめていた。
卒業してからも友だちで居たい。そうじゃなきゃわたしたちの関係、終わってしまうから。
「俺、友だちじゃイヤなんだけど」
もうどれくらいの涙を流したか分からないわたしに向けて、天童くんが言った。
「すみれちゃんの事がすきだよ。ずっと」
一瞬、ぴたりと涙が止まる。人間ってどんなに泣き続けている時でも、びっくりすることがあると脳が停止しちゃうんだ。だって今、涙も息も心臓も止まったに違いない。
そのくらいわたしの身体のすべてが固まった。
「……じ…じゃあ…ってことは…」
「卒業してからはコイビトとして会ってくれる?」
好き放題に泣いてたわたしの顔へ、再び天童くんの手があてがわれる。今度はジャージではなくて、彼自身の指がわたしの頬や目元に溜まる涙を拭い、どうなの?と答えを急かす。
こんなにこんなにあなたのために泣いているのに、答えなんて決まってるじゃん。
「…卒業まで待てないよ……」
卒業したらコイビトになるなんて、あと二ヶ月も待てるわけない。
そう伝えたわたしを見て天童くんはやっぱり困ったように笑うのだった、「泣いちゃうよ」と。
天童くんの涙を見たのは、その時が初めてのことである。