October 29th , Monday


『今日は頑張ってね』


天童くんとのメッセージのやり取りは、10月27日の朝、わたしから送ったもので止まっている。
試験会場に到着する直前には既読になっていたから、読んでくれているとは思うけれど。試験を終えて学校に向かった時にはもう、決勝戦は終わっていた。
職員室の先生たちの落胆する声。わたしももちろん残念だった。それに、観に行きたかった。わたしが行っても何も変わらなかったけど、バスに乗って学校へ戻って来た天童くんは別人みたいに気が抜けていた。


「おはよ〜」


試合から二日後の月曜日、天童くんが始業前に教室へ入って来た。その声を聞いてどきんと高鳴る心臓はときめきのせいじゃなくて、緊張によるものだ。
どんな顔をしているんだろう。恐る恐る顔を上げると、普段と何も変わらない様子でクラスメートと話す彼の姿があった。


「残念だったね」
「そだねえ」
「観に行ったよ、すごい接戦だった!悔しいと思うけどすごく良かったよ」
「ありがとう」


何を考えているのかよく分からない目は細長くなり、笑っている顔を造っているように感じる。わたしの思い違いだろうか。天童くんはもう一昨日の試合に負けた事を完璧に吹っ切っているのだろうか、それなら少し安心だけれども。


「天童って大学どーすんの?」


クラスの誰かが聞いた。天童くんは表情を変えず、鞄の中から教科書などを出しながら淡々と答えていく。


「推薦受けるよ。来月」
「へー、県内?」
「ん。」
「おお、それならバレー部でレギュラーだったなんて楽勝じゃん?アピれる要素満載」
「そーかなあ」


未だわたしには読み取れない彼の感情。確かに白鳥沢でバレー部の戦力だったなら、それは充分なアドバンテージであると言える。今回は県予選で敗れたとはいえインターハイ出場経験あり、去年の春高バレーにも白鳥沢は出場した。
まわりの生徒は当然、天童くんがそれを武器に大学を選び推薦を受けるものと思っているようだけれど。


「けど俺、大学行ってもバレーするかどうか分かんないし」


天童くんが最後のノートを机に放りながら言った時、わたしは分かってしまった。この人、全然気持ちの整理が出来てないんだって事を。





その日、わたしは一日じゅう天童くんと目を合わせることが出来なかった。

試合の日、観に行けなかった罪悪感。敗戦後の天童くんに言われたあの言葉。冷たい声で言い放たれた「来なくて正確だったね」と言う台詞は、わたしに対して言ったわけじゃない。自分自身に向けて言ったのだ。そうでもしなきゃわたしの前で、自分を保てなかったんじゃ?
そう思うと、そんな姿を見せられたわたしが天童くんの視界に入っていいものかどうか悩みどころであった。


「腫れもの扱いしてんのぉ?」


ビクンと全身に鳥肌がたつのを感じた。朝から放課後まで近付かないようにしてたのに、天童くんのほうからわたしの前に現れたのだから。


「…しっ、てな」
「ビビりすぎだよ」


そう言われたって、「腫れもの扱いしてんの?」なんて言いながら来られたのでは、すぐに良い返事が浮かばない。天童くんはいつかのように前の席の、椅子の背にお尻を乗せて言った。


「おとといゴメンね、俺もう疲れちゃっててさあ」


一昨日、天童くんたちが負けた日。ゴメンねって言うのはわたしに対してあのような態度で、あのような言葉を放った事についてだろうか。疲れていたからついあんな風に言っちゃった、という事にしている?


「でもさ実際見たくないっしょ、負ける試合なんて」
「そんな」


例え勝っても負けてもわたしにとっては大切な事だった。いつからか心惹かれていた天童くんがバレーボールをする姿、この目に焼き付けたかったから。
バレーボールが好きなんじゃなくて自分が好きなのだと言っていたけれど、あの時話していた天童くんは間違いなくバレーボールもチームメイトも好きで好きでたまらない様子だったもの。


「まーコレで自由時間増えるし、すみれちゃんに勉強教えてってお願いする事も出来るから良いんだけどね」


それなのに、平気な顔してこんなことを言うもんだから。
わたしに勉強の事を聞いてくれるのはとても嬉しい。でも勉強なんか頭に入らないんじゃないの?無理やり勉強とか、他のことに意識をやろうとしてるんじゃないの?


「…ほんとにいいの…?」
「なにが?」
「平気な顔、してるけど」


10月27日にそれぞれの場所で力を発揮し、結果を報告し合おうねと話した時には、天童くんはこんな顔をしていなかった。今回の試合は観に行けないと謝った時、年明けの全国大会を観に来ればいいと言っていた時は。


「ほんとは、よくないでしょ。悔しいでしょ」
「そりゃあ多少はね」
「多少…」
「いつまでも落ち込んでらんないじゃん。現実戻らなきゃ俺、浪人しちゃうよ」


それより勉強教えてよと天童くんが前の椅子を引いて、机を挟んだ向かい側に座った。
落ち込み続けるのは良くない、そんなの分かってる。けど、そういう意味じゃなくて。


「…そうじゃなくて…天童くん…無かった事に、しようとしてない?」
「なにが?」
「今まで頑張ってたこと全部、無かったことにしてるでしょ」


今の天童くんは負けた事を乗り越えようとしてるんじゃなく、忘れてしまおうとしている。…ように見える。楽しい悔しいと思っていた過去の事、全部。そうして自分を保とうとしている、それが間違いだとは思わないけれど、良くない事じゃないのだろうか。


「それって駄目なこと?」


天童くんの声が低くなった気がした。


「駄目っていうか…」
「なにが駄目なの?」
「それは、だって、ずっと皆で頑張って来たことだし」
「でも結果が出なかったんだから、あってもなくても一緒だよね?」
「そんなこと誰も」
「誰も思ってなくたって、俺が思ってたら一緒じゃない?それじゃ駄目なの?なんで駄目なの?」


これでもかと捲し立ててくる天童くんの目はもう笑っていなかった。
これまで一度も見たことの無い表情でわたしを睨んでいるような、いや、これは無表情とも言えるのか。とにかくわたしの言葉を詰まらせるには充分な効果があった。


「…ど、して?」


どうしてそんなふうに言うのと、言いたかったけど声が出ない。でも天童くんにはわたしの言いたい事が伝わっていた。とても苦々しげに眉を寄せて、わたしに見せた事のない顔で、聞いた事のないような声でこう言われたから。


「どうしてって。俺が聞いてるんですけど」
「……」
「そこまで踏み込んでくんの気分悪い」


ガタンとわたしの机が揺れた。天童くんが立ち上がり、彼の座っていた椅子が机に強く当たったのだ。その音と揺れに驚いたわたしは小さく息を呑んだけど、天童くんはわたしに構わず横をすり抜けていく。あ、いけない。天童くんが行ってしまう。わたしの心ない言葉のせいで傷つけてしまったかも知れない。


「…天童くん、」
「なに?」


間髪入れずに返ってくる返事は「それ以上話しかけてくるな」と言われているようだった。


「…ごめ…あの、べ…勉強」


勉強、一緒にしてくれるんだよね?だからわたしの席まで来てくれたんでしょう?謝るからどうかここに居て、わたしのことを許して欲しい。天童くんがあの日の事を話したくないのなら、わたしも触れないようにするから。


「…すみれちゃんは自分の勉強に集中すれば?」


けれどもう遅かった。天童くんはわたしの返答を待たずに踵を返して、教室を出てしまったのだ。
そんなふうに言われて勉強なんか集中できない。天童くん自身がどんなに試合の事を悔やんでいて苦しんでいるのか、配慮すべきだったのに。わたし、すごく無神経な事を言ってしまった。