The point of view
by Osamu.M


未だかつてこんな気分になった事があっただろうか。同じ部活のやつと同じ女の子を好きになり、そいつが白石さんを好きだと知った途端に焦り始めた俺は間違った距離の縮め方をしてしまった。
結果、ふたりして白石さんの気持ちを振り回すはめになった。角名がその事に気付いているのかは分からないが。角名の性格からして、白石さんの心を揺らすのは作戦の内だったかも知れない。

唯一彼の作戦に無かったのは、俺が白石さんを好きであるという事だ。それも今ではすっかりバレているけれど。


「治」


角名に名前を呼ばれると、過剰な反応をしそうになってしまう。それが体育館の中だろうと外だろうと。
たかが恋愛で部活に影響を及ぼすなんてあるわけがない、馬鹿らしいと思っていた俺はどこへやら。


「なに?」
「世界史の教科書持ってる?俺忘れてきちゃって」
「あー…」


何を言われるのかと身構えてしまったが、白石さんとは全く関係の無い用事だったらしい。
世界史の教科書なら確か、教室後ろのロッカーに突っ込んだままである。あんな分厚い教科書、毎日持ってくるのは大変だ。


「ええよ。あとで取りに来て」
「今、白石さんの話題振られるって思ったっしょ?」


角名の声でまたまた反応してしまった。今度のは明らかに俺の反応を見たくて発せられた声であった。俺がどんな表情になり、どんな声を返すか予想出来ているくせに。


「…あ?」
「名前呼んだだけなのに睨むんだもん、俺のこと」
「睨んでへんわ」
「怖いってば」


俺にこんな顔をさせている犯人はお前だというのにこの男。俺の眉間のしわがどんなに深くなったって角名は怖がらないだろうが、出来る限り眉を寄せまくって角名を睨んでやった。


「…おまえが意味深な顔で話しかけてくんのが悪い」
「そんな顔してないジャン」
「今まさにしてるやろ」


しかし角名は「そうかな?」とはぐらかすのみであった。今回は本当に教科書を借りるためだけに話しかけてきたらしい。余計な一言を言わなければ俺の顔にしわが寄る事は無かったのに。


「悪いけど俺、治に睨まれる覚えはありませんから」


それなのに、しれっとこんな事を言う。俺にとっては角名を睨む理由がいくつも浮かんで来るんやけど?と、もう一度何かを言い返してやろうとした時に集合の笛が鳴った。





まあそんな事があったものの、おかしな事に俺と角名は以前のとおり仲が良い。…良いかどうかは正直分からないが悪くは無い。チームメイトとしての良い関係を築けていると思う。
だから今朝言われたとおりに世界史の教科書を貸してやったのだが、そういえば俺も4限目に世界史があるのだった。

3限目の終了後、教科書を返してもらいに角名のクラスまで足を運ぶにつれて足取りがゆっくりになる。こういう時に限って会ってしまう気がするのだ。白石さんに。
そして一瞬でもそれが頭を過ぎってしまうと、まるで神様に見られていたのかと疑いたくなるが、白石さんがひょっこりと廊下に現れるのだ。


「!」


俺たちは次に出そうとした一歩を互いに踏みとどまった。白石さんはやや警戒した様子で俺を見上げている、白石さんをどうこうするために来たわけじゃないのに。


「あー…角名…おる?」


教室の中を指さしながらこう伝えると、白石さんは無言で頷いた。それからすぐに目を逸らし、トイレかどこかに行ってしまった。
俺は溜息を堪えるのに必死だ。こんな態度を取られてしまうなんて、もうこの恋終わったも同然である。


「あれ、治」


もう少しで盛大な溜息が出てしまいそうになった時、教室内に居た角名が俺に気付いた。それでようやく我に返り、何をしに来たのか思い出す。


「世界史終わったか?俺いまから世界史やってん」
「あー、ごめんごめん」


放課後返そうと思ってた、と言いながら角名が自分の席へ小走りで歩んでいく。そしてすぐに貸していた教科書を持って戻って来た。


「はい、ありがと」
「ん」
「…白石さんと何か喋った?」


こいつ。入口で俺と白石さんがすれ違ったのを見ていたのか?それならもっと早く声をかけてくれば良いのに。


「なんも喋ってへんけど?」
「だから怖いって」
「イキナリその話するからやろ」


角名は白石さんのことが好き。俺も好きだ。それを知っていながら俺に向かって白石さんの話をするとはどういう事か。
今や俺は違うクラス、角名は白石さんと同じクラスに居る。喧嘩を売っているとしか思えない。だから威嚇をしているのに、角名は会話を止めなかった。


「いきなりじゃなかったら良いの?」
「なんやねん気持ち悪いなあ」
「俺、治に話したい事があるんだけど」


角名から直々に話したいこと、このタイミングで言ってくるなら白石さんの事だろうか。くだらない話なら聞きたくない。更に焦ってしまうだけだ。焦れば焦るほど俺は失敗する、分かっている。


「今日、一緒に帰らない?」


それでも角名の表情は先ほどと打って変わって笑顔では無かった。単に俺への喧嘩を売るわけじゃないのなら、聞いてもいいのか?それとも白石さんとは関係のない話か。


「…侑抜きで?」
「侑は邪魔だね」
「なるほど」


やっぱり彼女の事だった。しかしここまで聞いて断るのも癪である。


「ええよ。練習後な」
「うん」
「侑にはテキトーに言って帰らしとくから」
「さすが」


いつも一緒に帰っている侑(帰る家が同じなのだから仕方ない)とは別行動で帰ることくらい、簡単な事であった。侑が俺のどんな行動を怪しがり、どんな理由ならすんなり受け入れるのか、それくらいは分かっている。
今日は侑には悪いけど、仲間はずれになってもらおう。





「ほんなら先帰っとくわ」
「おう」


放課後の部活が終わってから、侑は素直に荷物を持ってひとりで帰って行った。
長年連れ添った双子の相方を騙すのは少々気が引ける、なんてことも無く。のんびりと帰っていく侑の背中を見送りながら角名が近寄ってきた。


「…侑にはなんて言ったの?」
「宿題出し忘れて先生に呼ばれたーゆうたら信じよった」
「あー」


恥ずかしながら俺が宿題を忘れて居残ったり、昼休みを返上して取り組む事は珍しくないのだ。それは侑だって同じだが、今日ばかりは普段の怠慢に感謝した。

侑が学校を出てから数分後、俺と角名も遅れて靴に履き替えた。そして耳のほうは聴く体制を整えた。わざわざ放課後ふたりになってまで、俺に話したいこととは何か。


「…で?」
「うん。うーん」


歩き始めてすぐに俺は訊ねた。角名はポケットに手を突っ込んで唇を尖らせ唸っている。
もしかして何か重大な報告でもするつもりか、俺が聞きたくないような内容の。


「いちいちこんな事言うのもアレかなって思ったんだけど」
「…はよ言えや」


なかなか本題に入らない角名に苛立ちを覚えて急かしてみると、角名はふぅと肩を落とした。その瞬間に俺は覚悟を決めた、角名の口から嫌な報告が聞こえてくる覚悟を。
けれどそれは全くの無意味だった。


「俺、白石さんに振られちゃった」


これから何を言われても黙って冷静に聞き、受け入れよう。そう思っていたのに俺の口からは、「はぁ?」と間抜けな声が出たのだった。

Candy, and Guilty