スキナヒトを振り向かせるには?気になる男子の好きタイプは?
可愛らしい表紙の女子高生むけの雑誌には、思春期の心をくすぐる特集ばかり。なんたってもうすぐバレンタインデー!片想いの相手に告白をするには絶好の機会がやってくるのだ。

去年のわたしはスキナヒトが居なくて、クラスの女の子といわゆる「友チョコ」を交換していた。余ったぶんは男子に配って、律儀な男子からはホワイトデーにちょっとしたお返しがくるかな、と期待して。
でも、わたしもいつか特別な人に特別な想いを持ってチョコレートを渡したい。そして、特別なお返しをもらって特別な時間を過ごしたい。なんて少女漫画みたいなことを考えていた。


「それなあに?」


高校1年生のバレンタインデー。あらかたチョコレートを配り終えた放課後、廊下を歩いていると背後から声をかけられた。
同級生よりも低い声だったから、先生なのだと理解する。振り向くとあまり見覚えのない、恐らく他学年を受け持っている先生が立っていた。


「それ」
「どれ?ですか」
「見えちゃってるよ、ポケットの中身」


とても背の高い先生だなあ、というのが最初の印象。つづいて、くすりと笑う顔が優しいなっていう印象。
先生に言われてブレザーのポケットを見てみると、余ったチョコレートのラッピングが覗いていた。


「ああこれ…チョコです」
「そりゃ見たら分かるよ、バレンタインだもんね」
「はい、あの…友だちと、交換してて」
「学校に持ってくるのが禁止ってのは、分かってる?」
「………」


まずい。一応うちの学校は規則が厳しくて、お菓子や雑誌などの持ち込みは禁止されているのだ。
先生はわたしの顔色を伺うように首を傾げた。言い訳を考えている顔を見られないよう、わたしはそっと目を逸らす。なんて言えばいい?


「…なんてね、取り上げないよべつに」


でも、先生はわたしを覗き込むのをやめて身体を起こした。思わず「え」と間抜けな声が出る。没収しないのかな、このチョコレート。


「懐かしいねそういうの。俺も学生のとき、貰えるかどうかソワソワしたなあ」


背が高くて短髪の、真面目なかんじの先生だと思っていたけれど。わたしのチョコレートに手を伸ばす素振りは見せずに、それどころか仕舞うように言った。


「見つかんないようにしなよ、ほかの先生には」


わたしのポケットを指さして、ほんの少しだけ口角を上げて。
この先生からしたら、子どもが色気づいてチョコなんか持ってきて、やれ告白だ友チョコだと浮かれている事なんてどうでもいいのかも知れない。でもそれを懐かしむかのように、切れ長の目で優しく笑うのがとても魅力的で。
16歳になったばかりのわたしが、この大人の男性に惹かれてしまうなど簡単なことであった。


「……せ、先生」
「んー?」


その場を去ろうとする先生に勇気を出して話しかける。
わたしがこの高校に通い始めて約10ヶ月、初めて会話をしたのが今。残り2年間の高校生活のなかで必ずこの人ともっと親しくなりたいと感じた。


「先生って、なんの先生ですか」
「俺?保健体育」
「保健体育…」
「1年女子は見てないね。川西って覚えといて、来年授業するかもだから」


川西先生。保健体育を担当、今は1年の男子、2・3年の体育と保健の授業を受け持っている。いま得られた情報はたったこれだけ。「じゃね」と首だけで挨拶をして、川西先生は通り過ぎていった。


「…川西先生。」


その背中を見送りながら名前を口ずさむと、ポケットのなかでチョコレートが溶けていくような、そんな気がした。





わたしが川西太一先生のことを好きなのだと自覚したのは、それからすぐの事。学校内で姿を見つけるたびにどきんと胸が高鳴って、先生の顔をじっと見てしまうのだ。遠くからでも、たとえ近くにいても。

高校2年に上がってからは、幸せなことに川西先生が体育を見てくれるようになった。おかげで授業に集中できなくて、「白石さんの番だよ」とハードル走のときに叱られたっけ。

でもそんな事が何度かあったおかげで(もしかしたら授業態度の評価は低くなっちゃったかも)、先生はわたしのことを覚えてくれた。
体育の時はもちろんのこと、学校内ですれ違う度に声をかけて挨拶をして、川西先生にちょっとでもわたしの存在を意識してもらえるように。


「川西先生!」


そして、その時がきた。去年のバレンタインデーからちょうど一年後の今日、わたしは再び校則違反を犯して、持ってきてはならない「あるモノ」を持っている。
それを川西先生からは見えないように後ろ手に持って、放課後、体育教員室へと向かった。


「あ、白石さん」
「こんにちはあ」


先生は自分の席に座って、ノートパソコンを開いていた。運良く他には誰もいない。帰宅部のわたしがわざわざこんな場所に来るなんて不思議なのか、川西先生は目を丸くした。


「どしたの?あ、こないだのマラソン速かったじゃん。びっくりした」
「へへ…」


先日の授業で行われたマラソン。先生に褒められたくて必死で走った結果、同じクラスの女子の中で3番目だった。あのあと息がしんどくて大変だったけど、先生の「速かったじゃん」と言う笑顔を見られただけでそんなのチャラだ。


「あの、…ほかの先生は?」
「今は居ないよ。部活の時間だからね」
「川西先生は?」
「俺もそろそろ行くところ」


バレー部の顧問をしている川西先生も、そろそろ部活動のため体育館へ行くらしい。
うちのバレー部は川西先生が来てからレベルが上がったと聞く。先生も背が高いし、高校の時は活躍していたのかなあ。そう思うと先生の魅力はますます増していくばかりだ。


「…何か用事?」
「あ、いや…」


ぎくりと肩が揺れた。わたしはバレンタインチョコを渡しに来たのだ。去年はたくさん作った友チョコも、今回は一切配っていない。川西先生にしかあげないんだと決めているから。


「…これ、先生にあげようかなって」


わたしは昨夜一生懸命ラッピングしたチョコレートを先生に向けて差し出した。
それを目にした瞬間、川西先生がまたもや目をくりんと丸くする。そして、そのままの目で視線を上げた。


「バレンタイン?」
「ん。」
「俺に?」
「うん」


先生以外に誰が居ると言うんだ。しかも、誰が見たって明らかな本命チョコ。
先生と付き合いたいとか、そういう事じゃない。「付き合えたらいいな」と言う欲は確かにあるが、どうしても好きって伝えたくて。でも言葉で言うのは無理だから、このチョコレートを見て伝わればいいなって思ったのだ。
川西先生は私の手から両手でチョコレートを受け取りながら言った。


「…俺がもらっていいの?」
「え?」
「こんな立派なやつ。手作りっしょ」
「はい…」


手作りだよ、当たり前じゃん。立派なのは先生が本命だからだよ、もしかして気付いてくれてないの?


「俺に構ってたら、本命逃しちゃうよ」


川西先生はいつもの優しい笑顔を見せた。素敵な笑みを浮かべているのに、今、その顔で言われた言葉はわたしの心に陰を宿す。
本命逃しちゃうよって、どういう意味?


「だから、ハイ。」
「え、」


一度は受け取られたかに見えたチョコレートが、今度は先生からわたしの手へ戻された。


「俺は受け取れないから。先生だしね」


先生だから、受け取れない。学校にお菓子を持ってくるのは禁止だから。
指導するために没収するならまだしも、チョコレートを喜んで受け取るなんて教師の道に反する?だから、受け取れない?


「…わかりました」


それだけ言って、わたしは体育教員室を後にした。

ねえ先生、「先生だから受け取れない」って嘘なんでしょう。わたし知ってるんだから、川西先生が今日、ほかの生徒が配っていたチョコレートを受け取ったのを。見えてたんだから、先生の足元に置かれた紙袋に、いくつかのチョコレートが入っているのを。
でも、それらは気付かなかった事にする。そうでなきゃこんなの受け入れられない。どうしてわたしのぶんだけ受け取ってくれないの?

高校1年のバレンタインデーは友チョコをたくさんの人に配ったけれども、今年のバレンタインデー、なんと誰にも渡すことなく終わってしまった。

知りたくないことばっかり
押し付けないで現実

2018年度のバレンタインデーのお話として、川西太一先生。ほんの少しだけ続きます。