The point of view
by Osamu.M


高校2年に上がってからと言うもの、俺の周りで大きく変化した事がある。白石さんとクラスが離れてしまった事だ。

1年生の秋、学園祭の最後にゴミを捨てに行った時のこと。
あの時すでに、白石さんが好きだと明確に自覚していた。告白をするには悪くない機会だったと自分でも思う。けれども俺にその勇気は無く、結局「下の名前で呼んでもらう」という事だけをお願いできたのだ。

その後はクラスで行うイベントなんて無くて、白石さんとの会話は激変した。
部活帰りにパン屋に寄る事はあれど、必ず侑が付いてくる。時には角名も一緒であった。侑や角名が居る状況で白石さんに執拗に話しかける事はできなかったし、俺が白石さんに抱いている気持ちあいつらにを悟られるなんて絶対に嫌だ。

そんなわけで、気持ちを伝える事が出来ないまま無駄な時間が過ぎ、とうとうクラスごと別れてしまったのだった。


「今日のおすすめは?」


俺がそんな状況だというのに、運よく白石さんと同じクラスになった角名倫太郎が、何故か白石さんと仲良くなり始めていた。…「何故か」って事もないか、去年からこうしてパン屋に寄っているのだから。
でも角名の白石さんに対する接し方はとてもストレートで、時々首を傾げたくもなる。彼の性格を考えれば不思議では無いのだが、悪く言えば慣れ慣れしい。
今日だって3人でパン屋に来て、いくつものパンが並んでいるのに、突然「今日のおすすめは?」なんて白石さんに訪ねていた。


「…クロワッサン」


白石さんが答える。角名はほんの少し口角を上げたかに見えた。そして即座に「じゃあそれ」と回答した。自分の中だけでぴりりと何かが走った気がする。


「俺も」


気付けば俺も白石さんのおすすめを希望していた。侑が「え、お前らまた?」と驚いている。
白石さんはパンを用意するために奥へと引っ込んでいった、その時角名のほうをちらりと見ると、真っすぐに彼女の背中を追いかけている。
こいつ、もしかして?と思った瞬間に角名の首がくるりと動き始めたので、慌てて陳列棚を眺めるふりをしたのだった。





そんな事が起きてから何日か経ったある日のこと、昨日降っていた雨は無事に止んで、気持ちの良い朝を迎えていた。
いつもの通り早起きをして大量の朝食を食ったあと、侑とともに家を出る。食べたばかりで眠いのか、侑は大あくびをしていた。つられて俺も大きなあくび。昨日たくさん寝たはずなのに。


「お、角名」
「はよ」
「っす」


学校に向かう途中、同じく朝練に参加する角名と合流した。このように朝、偶然時間が重なる事は珍しくない。しかし今日はひとつだけ不自然な事があった。


「その傘、なに?」


角名の手に握られているのは雨傘で、しかも男子高校生が持つには少々かわいらしいデザインのもの。
今日の天気予報は晴れだ。雨が降る予定なんてひとつも無い。万が一の事を思って傘を持参したとしても、角名がこの傘を使用するなんて想像できない。


「これ?借り物」
「なんや自分、折り畳み傘あるんとちゃうかったっけ?」
「あー…うん。それが破れてて」


昨日、角名は置き傘を取りに教室へ戻った。しかし破れていたから、偶然会ったクラスメートに借りたのだと言う。


「さては女子やなあ」


角名の顔を覗き込むようにして侑が言った。女子に借りた傘ならば納得できるが、こんな色の傘を角名が自ら進んで借りるとは思えない。ずぶ濡れになるよりは良かったのだろうか?


「うん。白石さん」


その角名の言葉を聞いた時、なるほどな、という気持ちは出てこなかった。この野郎。頭に浮かんだのはたったそれだけだ、この野郎め。





部室に着いてから着替えを終えるまで、とても長い時間を費やしてしまった。普段ならさっさと着替えておしまいなのに、角名の言葉が頭から離れずに集中できない。
昨日俺たちと別れてから白石さんに傘を借りたって、どうしてだ。白石さんは帰宅部である。あんな時間まで学校に居るはずは無い。もしかして待ち合わせでもしていたとか?角名と白石さんは知らない間に親密になっているというのか。

やっと着替えを終えロッカーをばたんと閉めたとき、部室には俺ともう一人の人間しか残っていなかった。角名倫太郎だ。


「そろそろ行かな怒られんで」


悠長に座り込んでいる角名に声をかけると、彼はゆっくりと立ち上がった。そのまま部室を出るのかと思いきや歩き出す事はなく、小さく口を開いた。


「俺さあ」


その角名の声色から、俺は瞬時に感じ取った。誰の話をするのか。


「昨日、白石さんに告白したんだよね」


しかし、誰の「何について」の話をするのかまでは分からなかった。
いきなりこんな報告を受けるとは思わなくて、一瞬何を言われたのか分からなくなる。耳を疑った。角名が白石さんに告白?


「…は?」
「同じクラスになってから、けっこう気になり出しちゃって」


それでも角名は平然と話を続ける。俺が白石さんに抱いている気持ちを知らないからか?いや、きっと勘づいているだろう。でなきゃわざわざ俺と二人きりになるのを狙う理由は無い。


「治も去年同じクラスだったろ?」
「…まあ……」
「白石さんてどんな感じだった?」


去年の白石さん、出会ったばかりの白石さんは今と特に変わらない。食べることが好きで、パンを焼くのが好きな女の子であった。


「…べつに普通やけど」
「ふーん」


白石さんは学園祭の面倒な準備も率先して行っていたし、片付けだってしていた。
あの学園祭でゴミを出しに行った時、俺にとっては一番の良いタイミングであった。告白のタイミング。それをしなかったのは俺の責任である、が、角名倫太郎がそれをやってのけたという。それを俺にカミングアウトした理由は知らないが、俺がどんな反応を示すのか見ている。


「何やねん」
「何でもない」
「何でもない事あるかい」
「ないって。練習行こ」


角名はへらりと笑ってみせると、ようやく足を踏み出した。俺の表情の観察は終えたらしい。どこまで悟られただろうか?俺が白石さんの事をどう思っているかを。今、どれほど焦りを覚えてしまったかを。





人は焦り出すと周りが見えなくなる。小さな頃から侑と一緒にいるせいで、それを知ったのは早い時期だった。
けれども予想外のことが起きると、人間は簡単に我を忘れて焦ってしまう。そしておかしな行動を起こす。今の俺のように。

夕方の練習を終えてから、いつもなら侑とともに家に帰る。けれど今日は侑だけを先に帰らせて、俺はひとりで寄り道をした。
そんなに大層な寄り道じゃない。学校から駅までの一本道を、少し曲がった場所にあるだけの場所。白石さんのパン屋である。


「…ストーカーか」


こんなところに一人で押しかけて白石さんを待ち伏せするなんて、ストーカーとしか言えない。けれどどうしても焦ってしまったのだ。

俺は去年白石さんと同じクラスであった。去年から白石さんの事が好きだ。角名と白石さんは今年の4月からクラスが同じになっただけの、それだけの仲。それなのに角名に一歩先を行かれた事に危機感を覚えた。


「……あれ?治くん」


どのくらい待っていたのだろうか、ぼんやりしているうちに店のドアが開き、白石さんが中から現れた。入口に置いた看板を片付けに出てきたようだ。


「ちは」
「どうしたん、ひとり?珍し」
「うん……」


俺がひとりで居ることはそんなに珍しいか。いつも侑や角名が一緒に居るから。でも彼らが居たのでは意味がない。ひとりで居るのには理由がある。


「…待っとった」
「え」


白石さんが動きを止めた。不思議そうに俺を見上げる目は丸くて可愛らしい、角名が気持ちを伝えた時も同じようにこの目で角名を見上げていたのだろうか。醜い嫉妬心しか沸かない。


「…私を?」
「そう」
「なんで?あ、パン買う?」
「ちゃう」


思えば俺が白石さんと話す時はいつも食べ物の話だった。学園祭の時だって何度も会話をしていたのに。けれど今回は違うのだと伝えると、白石さんは首をかしげた。


「角名に告白されたんやって?」


が、傾げた首はすぐに元に戻る。丸く開かれていた目は更に大きく見開かれたが、八の字に下がっていた眉にはしわが寄った。


「……なんで知ってるん」


当然の疑問である。けれどそれに答える余裕は無かった。先述の通り俺は焦っていたのだ。俺が一歩、二歩と近付くにつれて白石さんは後退りを始めた。


「…付き合うん」
「な…なんでそんな事聞くん」
「なんでやと思う」


何歩追い詰めたか分からなくなったが、白石さんの背中がついに店の壁にべたりとくっ付いた。入口の壁に飾られていたプレートに彼女の肩がぶつかって、からんと音が鳴る。その音で意識が戻った時には、白石さんの顔には動揺しか表れていなかった。


「…ごめん」


咄嗟に謝ったけれども遅かったらしく、白石さんは俺が声を出すとびくっと震えた。怖がらせた。先程まで感じていた焦りとは別の焦りが産まれ、近付けていた身体を慌てて離す。


「ごめん。こんな事言いに来たんと違う…」
「へ…」
「帰るわ」
「えっ」


人は焦り出すと周りが見えなくなる。自分のことも見えなくなるのだ。好きな女の子が自分に対して恐怖しているかどうかすらも。

Candy, and Guilty